以前、No.4560
ちょっと一休み その707 『文字の歴史が変わる!?』で、福岡県朝倉市にある弥生時代の下原(しもばる)遺跡から出土した石の破片が硯(すずり)と見られることから、弥生時代に既に文字が使われていた可能性が出て来たとお伝えしました。
そうした中、2月2日(日)放送の「おはよう日本」(NHK総合テレビ)で同様のテーマについて取り上げていたのでご紹介します。
島根県松江市の田和山遺跡から出土した、弥生時代中期の遺跡から硯と見られる板状の石に“炭書き”のようなものが残され、2つの文字と判断出来ることが分かりました。
調査した研究者によりますと、今から2000年ほど前と考えられ、文字だとすれば国内最古の例と見られます。
この板状の石は松江市の田和山遺跡から以前、出土していたもので、國學院大学の柳田 康雄客員教授らが改めて調査を行いました。
その結果、石は今から2000年ほど前の弥生時代中期に硯として使われていたと考えられ、裏側に墨書きのようなものが残されていることが分かりました。
複数の研究者が確認したところ、2つの文字が縦に並んでいると判断でき、上の字は子どもの「子」など、下の字ははっきりしないものの「戊」などの可能性が考えられるとしています。
日本列島では古墳時代の5世紀ごろには確実に文字が使われ、それより前の弥生時代後期にも文字とみられる土器の線刻などが見つかっていますが、今回のものが文字だとすれば国内最古の例とみられます。
柳田さんは次のようにおっしゃっています。
「2文字あるので記号とは考えられない。弥生時代中期には西日本の拠点では硯とともに文字が普及し、交流などに使われていたと考えられる。」
以上、番組の内容をご紹介してきました。
弥生時代のことがもう少し詳しく知りたくなりネット検索したところ、ウィキペディアに以下のような記述がありました。
・漢字は中国古代の黄河文明(紀元前5000年頃〜紀元前1700年頃)で発祥した表語文字である
・紀元前5世紀中頃に大陸から北部九州へと水稲耕作技術を中心とした生活体系が伝わり、九州、四国、本州に広がった
こうしたことから考えると、田和山遺跡から出土した“炭書き”のようなものが2つの文字であったとしても不思議ではありません。
そして、弥生時代の日本人がどのような内容を文字で表現していたのか、とても興味が湧いてきます。
また当時、漢字の読み書きが出来る人は非常に限られていたのか、それとも寺小屋のようなところで教えていたのかなどいろいろ疑問が湧いてきます。
今後、どこかの遺跡からある程度まとまった文章として奇跡的に発掘されることを期待したいと思います。
さて、あらためて思うのは文字の大切さです。
私たちは文字があることによって、それを声や文章で表現することでお互いに伝えたいことを伝え合うことが出来ます。
更に、法律や社則など様々なルールや文化・芸術などは全て文字により成り立っているのです。
しかも、現在は技術の進歩により文字のみならず動画もデジタル化すれば永久保存出来ます。
ですから、今や、時代そのものを丸ごと永久に歴史に残せるようになっているのです。
ということで、文字はコミュニケーションツールとしてとても優れており、従って文字の発明は人類史上最大のアイデアだと思うのです。