No.4542ちょっと一休み その704 『アフリカ以外で最古のヒトの化石発見』で人類の歴史が塗り替わり得るとお伝えしました。
また、これまで日本の弥生時代関連については、No.3360 ちょっと一休み その537 『日本は多民族国家!?』やNo.3366 ちょっと一休み その538 『縄文人の”核DNA”から見えてくる日本人のルーツ その1 縄文人の意外なルーツ!』でお伝えしてきました。
そうした中、昨年8月10日(土)放送の「ニュース7」(NHK総合テレビ)で日本の文字の歴史が変わる可能性について取り上げていたのでご紹介します。
日本で文字が使われ始めたのは5世紀頃の古墳時代とされています。
ところが、紀元前に遡る可能性が出てきました。
日本の文字の歴史が変わるかもしれません。
そのカギを握っているのが弥生時代の遺跡から発見された石の破片です。
福岡県朝倉市の下原(しもばる)遺跡、弥生時代の遺跡から出土した石の破片です。
これまでの調査では、刃物などを研ぐ砥石だと考えられてきました。
しかし、この石は“砥石ではない”と見ている研究者がいます。
國學院大学の柳田 康雄客員教授は、この石は砥石ではなく硯(すずり)だと考えています。
理由の1つ目は、そのかたちです。
朝鮮半島で見つかった漢の時代の硯の復元模型は、今の時代と違って、墨を入れる窪みがなく、板状になっています。
下原遺跡の石の破片も平らで細長く、かたちが似ています。
柳田さんは次のようにおっしゃっています。
「中国の前漢時代に板石を使った硯が突然出現するんですね。」
「それと同じものが日本の北九州にあるんじゃないかと。」
2つ目の理由は、石の側面の黒い側面の付着物です。
柳田さんは次のようにおっしゃっています。
「赤い顔料の上に更に黒いものがべったりくっついています。」
柳田さんは、表面から垂れた墨が消えずに残っていたと見ています。
そして3つ目の理由は、表面のわずかな窪みです。
砥石の場合、刃物を研いでいくと石全体が緩やかなカーブを描いて擦り減っていきます。
しかし、調査した石の窪みは真ん中辺りにあります。
柳田さんは、墨のつぶを別の石ですり潰すうちに出来たと考えており、次のようにおっしゃっています。
「真ん中だけをすり減らしていたと。」
「だから、これはもう「硯」だろうと。」
日本列島では5世紀頃には確実に文字が使われていました。
当時の鉄剣などに文字が刻まれた例があります。
柳田さんによりますと、下原遺跡の硯が使われたのは弥生時代の紀元前100年頃、同じ時代のものは他にも4点あるということで、柳田さんは九州北部ではこの時期既に文字が普及していた可能性があると指摘しています。
柳田さんは次のようにおっしゃっています。
「(弥生時代は)とても原始時代じゃなくてね、文字を持ったはるか高度な文化が、文明があったと言ってもいいぐらいなんですね。」
文字が弥生時代からあったとすれば、何のために使われていたのか、福岡市埋蔵文化財課の久住
猛雄さんは出土した場所に注目しています。
これまでの調査で弥生時代や古墳時代の硯と判断したのは約130点、出土した遺跡の多くが海や川に面しています。
久住さんはこうした場所には港の機能があり、交易のために文字が使われていたのではないかと考えているのです。
久住さんは次のようにおっしゃっています。
「交易の交換の記録とか交易品の目録とか記録しておくとか、そういったことで使ったと私は考えております。」
しかし決定的な証拠、つまり文字そのものが見つかったわけではありません。
柳田さんや久住さんは、“紀元前にも文字があるかもしれない“という前提で丁寧に発掘調査を進めれば、今後文字も見つかるのではと期待しています。
以上、番組の内容をご紹介してきました。
これまで日本で文字が使われ始めたのは5世紀頃の古墳時代とされてきたのが、弥生時代に既に文字が使われていた可能性が出て来たというのは、それだけで何かワクワクしてきます。
まさに歴史のロマンです。
残念ながら実際に使用されていた文字が発見されたわけではありませんが、当時の硯らしきものが発見されたということで、いずれどこかでその痕跡が見つかるかもしれないのです。
しかし、もし文字が使用された痕跡が発見されたとしても、その解読はとても困難のように思えます。
でもその解読作業そのものも古代文字の研究者にとってはとてもやりがいがあると思います。
いずれにしても、弥生時代の人たちの暮らしの一端が文字により判明するようなことがあればと想像するだけで期待感が高まって来ます。
なお、この関連記事として、2月1日(土)付け毎日新聞のネットニュース(こちらを参照)でも取り上げていたのでご覧下さい。