2019年01月09日
アイデアよもやま話 No.4221 リーマンショックから立ち上がったベンチャー企業!

リーマンショックについては、これまでプロジェクト管理と日常生活 No.552 『金融危機は10年周期!?』などでお伝えしてきました。

そうした中、昨年9月12日(水)放送の「おはよう日本」(NHK総合テレビ)でリーマンショックから立ち上がったベンチャー企業について取り上げていたのでご紹介します。

 

世界を震撼させたリーマンショックから間もなく10年になります。(放送時点)

アメリカの証券会社の破たんが日本にまで影響し、多くの企業が大規模なリストラに踏み切りました。

当時、会社を去った技術者たちの中には、もう一度挑戦したいと夢を描く人もいます。

そこで、番組では技術者たちの逆襲の舞台に密着しました。

 

新潟県にあるベンチャー企業、コネクテックジャパン株式会社(新潟県妙高市)の社長、平田 勝則さん(54歳)は、創業から9年、半導体関連の事業を展開しています。

32人の社員のうち、50代と60代が半数以上、その多くがリーマンショック後にリストラの対象となった技術者です。

かつて大手電機メーカーに勤めていた平田さん、会社を立ち上げたのはリーマンショックの辛い経験を跳ね返すためだといいます。

 

当時勤めていたパナソニックでは、平田さんがいた半導体部門もリストラの対象になりました。

管理職だった平田さんは、会社の方針に従い、同僚たちにリストラを言い渡しました。

平田さんは次のようにおっしゃっています。

「本当に地獄絵図のところでした。」

「自分の力のなさに本当にふがいなさと怒りを、本当にたまらない数ヵ月間でした。」

 

会社を去った技術者の能力や志の高さを知っていた平田さん、その力を集めれば世界で挑戦出来ると考え、新たに会社を立ち上げる決断をしました。

平田さんは次のようにおっしゃっています。

「自分で手塩にかけて共に学んできた仲間をリーマンというわけの分からない事象で切らざるを得なくなった時に、今こそ更に“人こそ大事なり”であるべきじゃないかな。」

 

創業メンバー3人で工場を構えたのが平田さんの地元、新潟でした。

当初5年間は苦しい経営が続きますが、10年後世界に通用する高い技術の開発を目指しました。

昨年実現したのが、これまでより低い温度で半導体のチップを取り付ける技術です。

従来は260℃まで温度を上げないと装着出来なかった半導体を80℃で取り付けられるようにしたのです。

衣服や医療器具など、柔らかい素材にもセンサーが装着出来るとして用途は更に広がるとしています。

平田さんは次のようにおっしゃっています。

「半導体が至るところに実装出来さえすれば、いろんなサービス、産業が生まれてくる。」

「(新しい産業を)引っ張っていくトリガーに我々はなりたいと願っています。」

 

一度は挫折を味わった技術者たち、世界で勝ち抜くには何が必要なのか、毎朝平田さんが理想とする経営者、松下幸之助の言葉を全員で読み上げます。

挑戦を続けなければ道は開けない、リストラで苦い経験をした技術者たちが心を一つにする時間です。

出身メーカーは異なりますが、もう一度自分の力を試したいという思いが詰まった技術者たち、少人数でも世界に挑戦出来ると自信を深めています。

社員の内藤 弘之さんは次のようにおっしゃっています。

「ワクワクしますね。」

「また私の力が役に立つんだ。」

「世界で戦えるんじゃないかと本気で思っています。」

 

技術者たちが挑戦の舞台に定めたのが台湾です。

世界的企業が集まる台湾の見本市で取引先を一気に拡大したいと考えていました。

半導体チップを低温で取り付けるあの技術をアピールする計画です。

平田さんは次のようにおっしゃっています。

「大きく道が開けるんじゃないかなと思っています。」

 

いよいよ平田さんたちの勝負の日、昨年9月5日、世界の680の企業が出展する見本市、最新の技術や製品が紹介され、3日間で5万人近くが訪れました。

平田さんたちの展示ブースでは、小さな会社が要求に応えられるのかという指摘もありました。

一方、前向きな評価も相次ぎました。

商談に向け、交換出来た名刺の数は目標を超える328枚に上りました。

 

10年前の辛い経験から這い上がった技術者たち、逆襲に向けた挑戦はこれからも続きます。

平田さんは次のようにおっしゃっています。

「自分自身として一番成長出来たのがこの10年じゃないかなと。」

「だから10年前よりよりタフな人間になれているし、よりアグレッシブでよりチャレンジングな人間になれたのは、ああいうショックが人が起こしたことだけれども、それに巻き込まれた中で見えたことではないかと思っています。」

 

コネクテックジャパンを取材した古市 啓一朗記者は次のようにおっしゃっています。

「(この会社の強みについて、)ズバリ“目利き力”だと思います。」

「有望な人材や技術がどこにあるのかを見極める力です。」

「実はこの会社の新しい技術が新潟県や長野県などの中小企業の技術者が開発した素材も使われているんです。」

「平田さんは退職後に全国を駆け回って人や技術を探したといいます。」

「そうした苦労があったからこそ、磨かれた力なのかもしれません。」

 

「(リーマンショック後に現場を離れてしまった技術者の多くの現状について、)平田社長に話を聞きますと、かつての同僚の多くが半導体とは異なる分野で仕事をしているそうです。」

「そして一部の人は海外のメーカーで働いているということです。」

「今回の取材で半導体製品へのニーズは非常に高いと感じました。」

「技術者たちの知見はAIをはじめとした最先端の事業で必要とされるからです。」

「平田さんたちの挑戦こそが日本の技術を磨き、発展させるカギになると思います。」

 

以上、番組の内容をご紹介してきました。

 

確かにリーマンショックでは、世界中で多くの従業員がリストラに遭うなど大変な状況に追い込まれました。

そうした中、今回ご紹介したコネクテックジャパンの事例は、こうした状況から這い上がったベンチャー企業の成功例として救われます。

しかし、リストラに遭った人たちの中には、やむを得ず中国企業に転職して長い年月の中で培った技術を提供することによりその後の中国企業の躍進に貢献した人たちも少なからずいるといいます。

こうした状況は日本からの貴重な技術の海外移転であり、国家的な損失と言えます。

 

そういう意味で、経済危機に陥った際などにリストラに遭った人たちの受け皿として、国内にコネクテックジャパンを立ち上げた平田さんのような存在はとても貴重だと思います。

ですから、どんな状況においても、事業を起こしたい人、技術を持っている人、そして資金を提供したい人という3者の出会いの場の必要性、重要性をとても感じます。


 
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