2024年04月03日
アイデアよもやま話 No.5859 台東デザイナーズビレッジによる地域経済活性化への取り組み!
昨年12月8日(金)放送の「ワールドビジネスサテライト」(テレビ東京)で台東デザイナーズビレッジによる地域経済活性化への取り組みについて取り上げていたので内容の一部をご紹介します。 
なお、日付は全て番組放送時のものです。

ジュエリーアーティストの吉岡優希さん(29歳)、その作品がこちら、一見すると金属の塊にしか見えませんが、触ってみるとゼリーのように柔らかく揺れます。
吉岡さんは次のようにおっしゃっています。
「アイテムとしてはブローチになるんですけども、胸元に付けた時に人の動きに合わせてゆらゆらと揺れるような質感になっております。」

この不思議な金属の正体は、横に引き伸ばせば分かります。
実はこれ、薄い金属が折り重なって出来た集合体なのです。
吉岡さんは、この素材を使い、独特の作品を多数、手掛けてきました。

先日、最新作が国際的なコンクール、伊丹国際クラフト展で大賞を受賞、その実力は折り紙付きです。

そんな吉岡さんが入居しているのが台東デザイナーズビレッジです。
吉岡さんは次のようにおっしゃっています。
「作ることは学校で学んだんですけども、実際にそれを発表して販売するというところだったり、アプローチをどの方面にするかというところが結構手探りというか、最初、分からない状態で、デザイナーズビレッジの村長といろいろ話をさせていただいて、いろいろ今学んでいってる状態です。」

台東デザイナーズビレッジの村長、鈴木淳さん、ものの作り方ではなく、ものの売り方を教えて、入居期間の3年の間に「ブランドの立ち上げ」まで導いていきます。(こちらを参照)
アパレルデザイナーの川崎加奈さん(32歳)もそこに魅力を感じた一人です。
この日は、新たなお客へのアプローチ法を相談しています。

若手クリエーターの伝道師が教える、今の時代のものの売り方とは?
鈴木さんは次のようにおっしゃっています。
「(金属の塊に見えて、ぐにゃりと曲がるアクセサリーという、どこでも見たことがないようなものといった発想を持ったクリエーターは他にも沢山いるのかという問いに対して、)他にもテキスタイルとか、お洋服とか、自分の好きなものを作り上げて、それをブランドにして、世の中に広く広めていこうっていうことで、活動している者たちがいっぱいいます。」
「(台東デザイナーズビレッジは、入居して3年の間に若手クリエーターたちにものの売り方を教え、ブランドの立ち上げ、成長を支援する施設なのですが、来年で開設から20年というが、この20年でものの売り方はどう変わったかという問いに対して、)開設当初は良い商品を作ってバイヤーさんに見つけてもらう。」
「バイヤーさんが見つけてくれれば、セレクトショップとか百貨店で売れるっていうようなことだったんですが、その後、例えばセレクトショップが自分で製造・小売りになって、あまり若手の商品を仕入れなくなるような状況もやってきました。」
「で、デザイナーの方もそれに合わせて対応を変えなきゃいけないって状況にもなってきています。」
「(そういった売り方が変化する中で、鈴木さんの教え方のポイントも変わってくる思うが、今、Z世代をはじめとする若い世代にものを売るためには何が大切だと伝えているのかという問いに対して、)今、Z世代でいうと、ちょうど社会に出る頃にコロナの影響で、お店で買わず、ネットやSNSを通じて買う動きが大分出てきました。」
「で、そうすると、ネットでは商品が沢山あり過ぎて選べない。」
「選べないからこそ、誰がどのように、どんな背景で作ったかっていう、作り手自身のことをメッセージとして届けること。」
「買う方では、“押し”が作っているものなら何でも欲しい、そういう状況にしていくことが大事だと思っています。」
「(そうした消費者の買い方の変化に応じて、クリエーターも売り方を変えていかなければいけないということですけど、)売り方でいうと、ちょっと前は商品写真を沢山並べていれば売れるっていう時期もあったんですが、インスタグラムできれいな写真が並んでいる。」
「でも、今はちょっと変わってきまして、作り手自身がどんな生活をしている、どんなところで作っている、どんなメッセージで作っている。」
「今までが商品カタログだとすると、クリエーターのことを教える雑誌みたいな作りの方がすごく買ってもらい易くなっていると思います。」
「(そしてファンを増やしていくという指摘に対して、)そのファンを増やすということが大事になってきています。」
「(鈴木さんは台東デザイナーズビレッジの開設当初から村長として教えているが、どういった経歴からクリエーター支援に至ったのかという問いに対して、)元々、繊維メーカーとかファッション系のNPOとかでマーケティングの仕事をしてまして、その時に中小零細企業の指導・支援をずっとしてたっていう経験がありまして、それが今の仕事にも生かされています。」
「(実際、鈴木さんに売り方を学んで卒業していったブランドはどれくらいあるのかという問いに対して、)この20年で118ブランドが成長して、自分でアトリエやお店を持てるぐらいの売上げになって、卒業していきました。」

その台東デザイナーズビレッジの出身者たちが街に今、変化を起こしています。
東京・台東区で10年以上続く革小物の店、カーマイン。
平日の午後2時でも店はこの盛況ぶり。
代表の中村美香さんは台東デザイナーズビレッジの卒業生で次のようにおっしゃっています。
「職人さんと関係が出来ていて、仕事をする中で遠くに行くというのは考えられなかったですね。」

台東区の職人たちに仕事を依頼することで、自分が知らなかった技術などを知ることが出来、商品の幅が広がりました。
一方で、地元の職人たちにもある変化が。

昔からモノづくり産業で栄えてきた台東区、そこに若手クリエーターたちの店が次々とオープン。
この変化に地元の職人は・・・
田中箔押所の田中一夫社長は次のようにおっしゃっています。
「大量生産のモノが売れない時代になって来て、「どうしよう」となっている時に、若いクリエーターさんがいっぱい、この辺にやって来て、それで「こういう商売の仕方もあるんだな」。」
「少量で楽しいモノ、他の人が作らないモノを作って自分で売る。」
「ぶっちゃけの話、今うちの売上げで、デザビレ出身者が30%。」

街に若手クリエーターたちの新たな店が生まれ、地元の産業にも潤いを与える。
この結果には施設を運営している行政も驚いています。
台東区役所 産業振興担当部長の上野守代さんは次のようにおっしゃっています。
「モノづくりの店舗が広がったことで、新しいカフェが出来たり、おしゃれなお店が出てきたり、決して狙っていたわけではないんですけども、街が動いていく一つのきっかけになったんではないかと思います。」

この台東デザイナーズビレッジを卒業した118のブランドのうち、55のブランドが卒業後に台東区内に店舗を構えたということで、ここがポイントなんですね。
台東デザイナーズビレッジの村長、鈴木さんは次のようにおっしゃっています。
「この街って、元々下請けのメーカーさんや職人さんが多かったので、あまり、自分が何をしているか、発信してなかったんですよ。」
「で、そこに台東デザイナーズビレッジの卒業生たちが、「私はこの街の職人さんたちの力を借りて、こんなモノを作ってますよ」って大いに発信するようになって、その発信を聞きつけて若い人が集まり、それで若い人向けにカフェが出来、雑貨屋さんが出来、また新たな人たちがここでお店を構えるという動きが出てきました。」
「(発信するという文化がないところに新しく生まれたという指摘に対して、)そうなんですよ。」
「(こういった動きは台東区以外の自治体でもあれば、広く街の活性化につながりそうという指摘に対して、)そうですね。」
「創業支援施設っていうのは場所を貸すだけじゃなくて、そこに入っているクリエーターだとか創業者たちが力を発揮してもらって役に立つものだと思います。」
「ですから、売り方についても、きちんとアドバイスしたり、伸ばしたりということで、伴走出来ればいいんじゃないかなと思います。」
「(有効的な創業支援施設が広く増えていけばいいという指摘に対して、)そうですね。」
「指導者も増えて欲しいですしね。」

以上、番組の内容の一部をご紹介してきました。

番組を通して、台東デザイナーズビレッジの取り組みについて以下にまとめてみました。
・ジュエリーアーティストの吉岡優希さんは、薄い金属が折り重なって出来た集合体を素材として使い、独特の作品を多数、手掛けてきた
・その最新作が国際的なコンクール、伊丹国際クラフト展で大賞を受賞した
・そんな吉岡さんが入居しているのが台東デザイナーズビレッジである
・台東デザイナーズビレッジの村長、鈴木淳さんは、ものの作り方ではなく、ものの売り方を教えて、入居期間の3年の間に「ブランドの立ち上げ」まで導いている
・台東デザイナーズビレッジには吉岡さん以外にもテキスタイルや服など、自分の好きなものを作り上げて、それをブランドにして、世の中に広く広めていこうと活動している者たちがいっぱいいる

(台東デザイナーズビレッジを取り巻く状況の変化)
・2024年で開設から20年だが、開設当初は良い商品を作ってバイヤーさんに見つけてもらうことで、セレクトショップや百貨店で売ることが出来たが、その後、セレクトショップが自分で製造・小売りになって、あまり若手の商品を仕入れなくなるような状況になった
・そこで、デザイナーもそれに合わせて対応を変える必要がある状況になってきている
・また、今、Z世代は社会に出る頃にコロナの影響で、お店で買わず、ネットやSNSを通じて買う動きが大分出てきた

(鈴木村長の考える、状況の変化への対応策)
・ネットでは商品が沢山あり過ぎて選べないので、誰がどのように、どんな背景で作ったかという、作り手自身のことをメッセージとして届けることが必要になってきた
・買う方では、“押し”が作っているものなら何でも欲しい、そういう状況にしていくことが大事である
・今までが商品カタログだとすると、クリエーターのことを教える雑誌みたいな作りの方がすごく買ってもらい易くなっている
・ファンを増やすということが大事になってきている

(台東デザイナーズビレッジのこれまでの実績)
・設立以来の20年で118ブランドが成長して、自分でアトリエやお店を持てるぐらいの売上げになって、卒業していった
・118のブランドのうち、55のブランドが卒業後に台東区内に店舗を構えた

(台東デザイナーズビレッジの出身者たちがもたらす街の変化)
・東京・台東区で10年以上続く革小物の店、カーマインの事例
 -代表の中村美香さんは台東デザイナーズビレッジの卒業生である
 -台東区の職人たちに仕事を依頼することで、自分が知らなかった技術などを知ることが出来、商品の幅が広がった
 -平日の午後2時でも店内は盛況である
・昔からモノづくり産業で栄えてきた台東区、そこに若手クリエーターたちの店が次々とオープンした
・これまで、発信するという文化がなかったが、台東デザイナーズビレッジの卒業生たちが、「私はこの街の職人さんたちの力を借りて、こんなモノを作ってますよ」と大いに発信するようになった

(地元の職人たちにも出てきた変化)
・田中箔押所の事例
 -田中社長は、大量生産のモノが売れない時代になって来て、若いクリエーターがいっぱい、この辺にやって来て、今の売上げの30%はデザビレ出身者によるものである
・街に若手クリエーターたちの新たな店が生まれ、地元の産業にも潤いを与える
・この結果には施設を運営している行政も驚いている
 -モノづくりの店舗が広がったことで、新しいカフェが出来たり、おしゃれなお店が出てきたり、街が動いていく一つのきっかけになっている

(台東区以外の自治体へのデザイナーズビレッジの展開)
・台東デザイナーズビレッジの取り組みを台東区以外の自治体でも展開すれば、創業支援施設は場所を貸すだけでなく、そこに入っているクリエーターや創業者たちが力を発揮し、広く街の活性化につながる可能性を秘めている
・売り方についても、きちんとアドバイスしたり、伸ばしたりということで、伴走出来ることや指導者も増えることが求められる

ということで、台東デザイナーズビレッジのような取り組みは、所長などの優れたリーダーシップ、そして若い、モノづくりの意欲に溢れた若い世代によるビジネス展開を中心に、街の活性化の起爆剤として大いに期待出来ます。

 
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