2018年12月05日
アイデアよもやま話 No.4191 洋食器メーカー、ノリタケに見る企業の存続要件 その1 洋から和、和から洋へ !

8月12日(日)放送の「知られざるガリバー〜エクセレントカンパニーファイル〜」(テレビ東京)で洋食器メーカー、ノリタケについて取り上げていました。

そこで、番組を通して3回にわたってご紹介します。

1回目は「洋から和、和から洋へ」についてです。

 

日本には世界に誇るガリバー企業が数多くあります。

そんな企業を多くの方々に知っていただくことで日本に誇りと活力を与えたい、企業の力は日本の底力、この番組では知られざるガリバーを紹介しています。

 

さて、今回取り上げられたのは洋食器で世界的な人気を誇る株式会社ノリタケカンパニーリミテド(愛知県名古屋市)です。

明治時代に近代的手法で日本初の洋食器を生産して海外に輸出、高い品質、そして流行を塵入れたデザインで人気を博し、その名を広めていきました。

社長の加藤 博さんは次のようにおっしゃっています。

「今我々が作っている商品、工業機材とかセラミック、あるいはエンジニアリングにしても全部食器から来ている。」

 

現在では100年以上にわたって培ってきた食器作りの技術を高揚して事業を拡大、自動車の部品を加工、研磨する工業用砥石は国内シェアトップに、また高温で焼く焼成窯や電子部品なども手掛けて日本のものづくりを支える存在となったノリタケ、番組ではその成長の秘密に迫ります。

 

ノリタケには創業時から大事にして来た理念があります。

加藤社長は次のようにおっしゃっています。

「“良品 輸出 共栄”っていう3つの単語です。」

「“共栄”っていう言葉が入れてあるっていうことがその当時(明治時代)としては凄いなと私は思っていまして、敵に戦って勝てばいいなっていうことではないなと。」

 

100年以上語り継がれて来た3つの言葉“良品 輸出 共栄”、この理念はどのように息づいているのでしょうか。

ガリバー、その実像、洋から和へ、和から洋へ

従業員数5012人、食器事業の他に工業用砥石やエンジニアリング装置などの事業を展開、年商はほぼ右肩上がりで1179億円(2017年度)に上ります。

海外にも20拠点を構え、製品と技術を世界に展開しています。

洋食器ブランドのパイオニア、ノリタケですが、ノリタケの食器は海外の著名人や一流のホテルからも認められています。

ノリタケが世界に羽ばたく足掛かりとなったのがディナーセット「セダン」です。

この日本で最初に作られた洋食器セットがあるノリタケミュージアムの近くにあるノリタケの森の学芸員、中井 宏美さんは次のようにおっしゃっています。

「洋食器というのは揃いの美なので、同じ素材で同じ絵柄で統一をされていて、形も左右対象が美しいという、そういう文化なんですね。」

「(実はそこに思わぬ壁があり、「セダン」は)白い素材を作るのに10年、それから形を整えるのに10年の計20年がかりで完成したディナーセットです。」

 

20年もかかったという量産化、そこには日本人に根付いた美の意識が関係していました。

一つひとつ形が違うことに味わいを見出す和の文化、和食器、かたや洋食器は均一性が重視されます。

均一の実現、価値観が異なる日本で洋食器を作るのは一から新たな技術を取り入れる必要がありました。

加藤社長は次のようにおっしゃっています。

「海外へ行ってグルグル周って日本に(技術を)持って来て同じようにやるんですけど中々出来ない。」

「そうするとまた向こうに行くわけです。」

「中には、そういったところで協力者が出て来るんですね、向こうの方で。」

 

海外の窯元から助言を得つつ、原料の調合や形の改良など試行錯誤を重ねてようやく1914年にディナーセットが完成、ここまで20年の歳月が流れていました。

日本初のディナーセットは翌年に20セットをアメリカに輸出、すると次の年は1万セット、その次の年には3万セット、毎年うなぎ上りの量産化を成功させていきます。

 

では日本で初めて洋食器セットの量産化に成功したノリタケはどんな技術で量産化をなし得たのか、ノリタケの食器作りの技術に迫ります。

洋食器は磁器、石を砕いた粉に粘土を混ぜ合わせて作ります。

まずは形を作る成形作業ですが、お皿など全自動の轆轤(ろくろ)の機械が動いていて、大量生産をします。

複雑な形をしたものは出来ないので、型の中に材料を流し込んで作ります。

現在は趣向を凝らしたデザイン性の高い製品のみ一部手作業が加えられていますが、ほとんどの食器は機械化されたロクロで成形、同じ製品を大量生産するために必要な技術です。

生地は焼くと10%以上縮んでしまうため、それを見込んで形を作って焼きの作業に入ります。

自社製の窯で、成型後の一次焼成は1200℃いじょうの高温で14時間ほど焼きます。

どの製品にも火が均等になるように箱の中に製品を収めて焼きます。

窯の中の温度は必ずしも均一になるというわけではないので、この製品はこの辺りに置いた方が良いというのがあります。

重要なのは均一に焼くこと、食器によりサヤという火に強い箱の中に入れて均一に焼くために置く位置を工夫、焼く食器によってその配置は変わります。

また食器によって焼く温度や時間も変えています。

焼くことで生地が縮むため、温度にムラが出来ると大きさが均一になりません。

均一、これが量産化の大きなポイントです。

 

また、ノリタケは職人の手で描かれていた絵付け作業の効率化を実現し、大量生産に対応しました。

現在でも特別な食器は一つひとつ絵柄を手書きしていますが、ノリタケのスタンダードな食器は転写紙と呼ばれる、パターンやデザインを印刷して形成したシートを貼って絵柄を入れます。

貼り付けた後に窯で焼いて絵の具を生地に定着させるので、その後の色落ちもありません。

転写紙は絵の具を専用のシートに印刷して作ります。

欧米で使われていた技術を取り入れ自社生産、食器の生産量は増加しました。

ノリタケの強みは、洋食器のパイオニアとして100以上積み重ねて来たその技術力です。

 

以上、番組の内容の一部をご紹介してきました。

 

まず、ノリタケが創業時から大事にして来た理念、“良品 輸出 共栄”ですが、“良品”と共栄”については、品質の良い製品を提供し、お客様に喜んでもらい、自社も利益を得るということで素直に理解出来ます。

しかし、“輸出”については、なぜ理念の1つとして挙げているのか疑問が残りますが、このことについては次回お伝えします。

 

さて、食器の作り方に和洋の文化の違いが反映されているというのはとても興味深く感じます。

一つひとつ形が違うことに味わいを見出すのが和の文化、和食器、かたや洋食器は均一性が重視されるというのです。

西洋の均一性重視という文化からは容易に大量生産に結び付きます。

一方、ひとつ形が違うことに味わいを見出す和の文化からは、大量生産という発想は生まれにくいです。

この和洋の違いを“非合理”と“合理”というように解釈すると、なぜ18世紀に西洋で産業革命が起きたかが理解出来ます。

また、“均一”という価値観を持っていなかったノリタケが日本で洋食器を一から作り出すために新たな技術を取り入れるのは並大抵の努力ではなかったと容易に想像出来ます。

更に、ノリタケは職人の手で描かれていた絵付け作業の効率化を実現し、大量生産に対応したのです。

そしてノリタケの作り出す食器は海外でも高い評価を得て、年商はほぼ右肩上がりという結果に結びついているのです。

 

ということで、ノリタケの企業としての成長はまさに「洋から和、和から洋へ」なのです。


 
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