2018年08月08日
アイデアよもやま話 No.4088 ナイキを育てた日本企業!

4月18日(水)放送の「おはよう日本」(NHK総合テレビ)でナイキを育てた日本企業について取り上げていたのでご紹介します。

 

世界最大のスポーツブランド、NIKE(ナイキ)の創業者、フィル・ナイトさん(80歳)が書いた「SHOE DOG 靴にすべてを」という本が、昨年10月の発売から異例の20万部を売り上げています。

話題になっているこの本、人気の背景にはナイトさんのシューズに賭けた熱い想いとともに日本企業との意外な関係があります。

 

日本の取材に初めて応じたナイトさん、そこには日本企業の知られざる事実とメッセージが語られました。

アメリカ北西部のオレゴン州、ナイトさんの故郷でもあるこの地にナイキの本社があります。

広さは、なんと東京ドーム35個分です。

NHKのインタビューに応じたナイトさんは次のようにおっしゃっています。

「(創業の頃を振り返って、)“日本企業”が唯一の希望でした。」

「もっと大きな会社になれると、彼らは信じてくれたのです。」

 

陸上選手だったナイトさん、学生時代からスポーツシューズのビジネスを始めたいと考えていました。

その動機の一つが日本のモノづくりの大きな可能性でした。

1960年代のアメリカでは、日本製のカメラがドイツ製を追い抜こうとしていました。

スポーツシューズでも同じことが出来ると考えたのです。

ナイトさんは次のようにおっしゃっています。

「もし日本製のカメラがドイツ製のカメラより売れるなら、スポーツシューズも同じです。」

「アディダスやプーマなど、市場を独占していたドイツ製のシューズより売れるはずだと考えました。」

 

1962年、ナイトさんは日本を訪れ、あるメーカーが作ったシューズが目に留まりました。

軽くて耐久性に優れたものでした。

「この靴をアメリカで売りたい」と、ナイトさんは神戸本社に飛び込みました。

当時、大学院を卒業したばかりの24歳、有りもしない会社名を使い、ビジネスマンだとハッタリをかましたと言います。

結果は、なんとアメリカで販売する契約を結びました。

実績も経験もないナイトさんを受け入れる度量がこの日本のメーカーにはありました。

ナイトさんが訪ねたのは、現在のアシックス本社(神戸市)です。

創業者の鬼塚 喜八郎さんは、ナイトさんに販売を任せたことについて、後に次のようにおっしゃっています。

「創業時にリュックをかついで全国を歩いた私の姿がダブり、この若者に思い切って販売店をやらせてみることにした。」

 

アメリカに戻った後、会社を立ち上げたナイトさん、鬼塚からノウハウを学び、事業を広げていきました。

そして1971年、ナイトさんは念願の自前のブランド、「ナイキ」を立ち上げました。

しかし、経営は安定しませんでした。

当時、ナイトさんは売り上げのほぼ全てを次のシューズの発注につぎ込んでいました。

手元資金が不足し、従業員の給料も払えない、自転車操業とも言える経営でした。

地元の銀行が融資や支援の打ち切りをちらつかせる中、経営危機のナイトさんを救ったのは、やはり日本の企業でした。

総合商社の日商岩井、現在の双日です。

高度経済成長を追い風に、アメリカで新たなビジネスを次々と手掛けていました。

当時のポートランド支店の担当者、皇(すめらぎ) 孝之さん(75歳)は、アメリカに未だ大きなスポーツメーカーがない中、過去の実績ではなく、これからの将来性を見定め、資金・物資両面でナイキ支援に乗り出しました。

皇さんは次のようにおっしゃっています。

「“近い将来、アメリカで1番のスポーツブランドにする”と、高らかに宣言するわけです。」

「ですから、日商岩井としても、彼らの夢を買ったんだ、夢に投資をしたと。」

 

自らの信念を曲げず、挑戦し続けるナイトさん、そしてそれに応じた日商岩井、その後、次々と新しいシューズを開発し、急成長を遂げることになります。

ナイトさんは次のようにおっしゃっています。

「日商岩井にノーと言われていたら、廃業でした。」

「彼らとは親しく付き合ってきたし、当社のことをよく知っていました。」

「経営手法も信用してくれて、大きな会社になれると信じてくれました。」

 

「(リスクを恐れず、熱意で自らの道を切り開いてきたナイトさん、そうしたベンチャー精神が乏しいとも言われる今の日本をどう思うのか、という問いに対して、)かつてのアメリカもそうでした。」

「学生の時はとても優秀だったのに、ビジネスマンになるとリスクを取ることを恐れ、最初に失敗することを怖がっていました。」

「アメリカはそれを乗り越えてきたし、どの国も乗り越えられると思います。」

「どの国にもリスクを取れる人間が必要なのです。」

 

なお、ナイトさんは次の言葉を残してくれています。

The only time you must not fail, is the last time you try.”

直訳すると、“失敗していけないのは、最後に挑む時だけだ”です。

つまり、“何度でも失敗していい、最後まで挑戦し続けろ!”という意味なのです。

こういう、起業家ナイトさんの姿勢があったからこそ、日本企業はその意気に感じて、その夢に投資したのだろうと番組では伝えています。

 

以上、番組の内容をご紹介してきました。

 

ナイキが今日ある裏に日本企業の支援があったと言うことは、この番組で初めて知りました。

ナイキの成功に至るプロセスに、あらためてベンチャー企業の育成・成功の要件があることを実感しましたので以下にまとめてみました。

・好奇心が強く、リスクを恐れない、冒険心に溢れた人材の育成

・創業者の事業に賭ける熱い想い

・成功するまで決して諦めないという強い意志(Never give up精神)

・資金・物資両面での社外(金融機関や他社、あるいは国など)からの支援

 

現在は、AI、ロボット、IoTなど様々なテクノロジーが花開こうとしています。

ですから、ビジネスチャンスに溢れているのです。

しかし、どれほどビジネスチャンスがあっても、リスクを恐れていてはそのチャンスを逃してしまいます。

ですから、現在のような技術革新の目まぐるしい時代には、好奇心が強く、リスクを恐れない、冒険心に溢れた人材の育成が国の経済を支えるうえで特に重要だと思います。

ですから、教育も従来の暗記重視型から、好奇心に溢れ、自立心が高く、リスクを恐れない人材の育成を重視した教育へのシフトが求められるのです。


 
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