2018年06月24日
No.4050 ちょっと一休み その652 『中村八大、永六輔コンビの驚異的なスピードの曲作り!』

5月19日(土)放送の「あの人に会いたい」(NHK総合テレビ)で作曲家、中村 八大さんについて取り上げていました。

そこで、今回は中村 八大さん、永 六輔さんコンビによる驚異的なスピードの曲作りに焦点を当ててご紹介します。

 

作曲家でピアニストの中村 八大さん(1992年 61歳没)は、日本人の心に残る数多くのヒット曲を世に送り出し、戦後の歌謡界に一時代を築きました。

 

早稲田大学に在学中にジャズピアニストとしてデビュー、大学では放送作家志望の後輩、永 六輔さんと出会いました。

1953年(昭和28年)、ジャズバンド、ビッグフォーを結成、若者に熱狂的に支持され、一世を風靡しました。

しかし、昭和30年(1955年)台に入り、ロカビリーブームが到来、ジャズ人気は急激に衰えてしまいました。

そんな時、映画の挿入歌の制作を依頼されました。

条件は、一晩で10曲作ることでした。

しかし、曲は作れても詩が書けませんでした。

途方に暮れていた時、偶然日劇(東京・有楽町)前で永 六輔さんと再会したのです。

当時のことについて、永 六輔さんはあるラジオ番組の中で次のようにおっしゃっています。

「尊敬している大スターの大先輩に声をかけられただけで、今でいうと体がかたまっちゃうというか、日劇の前で硬直状態で、その硬直状態の僕に「君は詞が書けるか」って言われて、書けないのに「書けます」って言ったんですね。」

「そこでもう嘘をついている。」

「「今から俺が10曲作るから10の歌詞を作れ」って言われて、本当に脂汗を絞るように作ったんですね。」

 

徹夜で書き上げた10曲、その中に「黒い花びら」がありました。

無名の新人歌手、水原 弘さんが歌い、大ヒット、第一回レコード大賞を受賞しました。

中村 八大さんにとって、作曲家としての華々しいデビューでした。

 

テレビ草創期の音楽バラエティ番組「夢であいましょう」では、永 六輔さんが放送作家、中村 八大さんが音楽監督を担当しました。

名物コーナー、「今月の歌」からは「上を向いて歩こう」や「こんにちは赤ちゃん」、「遠くに行きたい」など数々のヒット曲が生まれました。

クラシックとジャズの素養を生かし、感情の赴くまま次々に新しいメロディを生み出しました。

中でも「上を向いて歩こう」は「SUKIYAKI」とタイトルを変え、世界中で大ヒット、全米ヒットチャートで3週連続1位を獲得しました。(1963年6月15日・22日・29日付け)

 

作曲家、中村 八大さん、その名曲の数々は今も世代を超えて歌い継がれています。

中村 八大さんは晩年次のようにおっしゃっています。

「どこかに喜ぶ人がいれば、喜ぶ人のための音楽を一生懸命やっていくというのが自分の喜びに返って来る。」

「そういうふうに考えながらやって来たと思います。」

 

以上、番組の内容の一部をご紹介してきました。

 

映画の挿入歌の制作で一晩で10曲作ることを依頼する方もする方ですが、それに応えて一晩で10曲を仕上げるという、中村 八大さん、永 六輔さんコンビによる驚異的なスピードの曲作りには圧倒されます。

こうした行動は、無鉄砲ではあるものの、生き生きとした高度成長時代という時代の勢いを感じさせてくれます。

しかも、その中の1曲「黒い花びら」は大ヒット、第一回レコード大賞を受賞したというのですから驚きです。

この一件がきっかけで、お二人にはそれぞれ望んでいた作曲家、放送作家への道が開け、テレビ草創期の音楽バラエティ番組「夢であいましょう」につながったというわけです。

 

このように人間は常識的には考えられないようなことが出来てしまうような可能性を秘めているのです。

その背景には、時代の持つ空気感があると思います。

暮らしは決して豊かではなくても明日への希望が持てるというような雰囲気です。

同時に、若者特有の何事も恐れないような無鉄砲さもあると思います。

 

その時代その時代に生まれてくる人たちは、時代の雰囲気を選択することは出来ません。

しかし、自分の生まれた時代の雰囲気や環境の中においても、常識に囚われず、時には無鉄砲さを持って突き進めば自ずと道は開けることを中村 八大さん、永 六輔さんのお二人のコンビは証明していると思います。

是非、特に若い人たちには常識に囚われず、自分の好きな道にチャレンジして欲しいと思います。

何事においても必ず成功するという保証はありませんが、必ずその過程で得るものは沢山あると思います。

そうした積み重ねこそお金には代えがたい貴重な財産となり、次のステップで役立つと思うのです。

 

一方、政治家の最大のミッションは、国家がどのような状況になっても、国民に夢と希望を与えることだと思います。

国民はどのような状況に置かれようとも、夢と希望さえ持てれば生き生きとした暮らしが出来るのです。

逆に、いくら物質的な豊かさを手に入れても、夢と希望がなければ、生き生きとした暮らしを手に入れることは出来ないのです。


 
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