舛添都知事による政治資金支出を巡ってここ最近、連日報道が続いています。
そこで今回は、この事件を通して政治家のあり方について私の思うところをお伝えします。
まず、今回の事件について、一連の報道記事を通して最近明らかになっていることをざっと以下にまとめてみました。
6月6日に舛添都知事は都庁で会見し、政治資金流用疑惑の調査結果を公表しました。
一部の支出が不適切と指摘されたものの、違法性はないとして舛添都知事は続投する考えを示しました。
調査を行った弁護士は、政治資金からの支出について、会見の場で以下のように説明しました。
・千葉の温泉施設などホテルの宿泊代6件で約80万円
主な目的は家族旅行
・自宅近くの飲食代14件で約33万円
家族との飲食だった可能性が高い
・書籍の購入24冊
漫画やミステリー小説など
・美術品の購入106点で約315万円
版画や浮世絵など
そして、こうした総額約440万円の支出について、不適切だったと指摘しましたが、全ての支出について「違法性はない」としました。
この調査結果に対して、舛添都知事は不適切とされた支出は返金する意向を示し、公用車の利用が問題視されていた神奈川県湯河原町の別荘は売却すると述べました。
また、「自分に甘く、他人には厳しい」、「公私混同」など都民からの批判を受けていることに対して、舛添都知事は「真摯に反省する」としたうえで、「生まれ変わった気持ちで都政に尽くす」と述べ、続投する考えを示しました。
また、東京都議会での7日の代表質問、8日の一般質問においても舛添都知事の答弁はこれまでの説明内容の域を超えておらず、これまでの基本姿勢を貫いていました。
以上、今回の事件について6日から8日までの動きについてざっとご紹介してきました。
そもそも法律には前提があります。
それは、その時代時代、あるいはそれぞれの国民の風習や人々の常識です。
そして、法律はこうした言わば民度のレベルに応じて構築されているのです。
ですから、今回のように政治資金の支出についても、先にご紹介した家族旅行などの例は仮に違法ではなくても一般常識すれば明らかにあり得ないのです。
都民ならず、多くの国民が今回の件で舛添都知事の行為を非難しているのは、違法性云々についてではなく、世間の一般常識に照らして反した舛添都知事による一連の行為についてです。
また、こうした多くの行為から見えてくるのは、単純ミスではなく違法でなければ一般常識から見て不適切であってもやってしまうという舛添都知事の確信犯なものの考え方です。
舛添都知事の基本的な行動パターンは、これまでの自らの出版物の内容、あるいはマスコミに対する発言とは真逆の、“違法行為でなければなんでもあり”であると言わざるを得ません。
こうした舛添都知事の“自分に甘く他人には厳しく”というギャップも世間から強い反感も持たれる背景にあると思います。
こうしたことから、今後とも次々に不適切な事例が明るみになってくることは明らかです。
ここで特に強調しておきたいことがあります。
それは、舛添都知事がどんなに申し開きをしても、その裏に確信犯的な“不適切な行為”、そしてあくまでも言い逃れをして都知事の座を降りない、という意図を多くの国民が実感してしまったことです。
政治にとって最も大事な“国民との信頼関係”が完全に失われてしまった以上、舛添都知事の取るべき選択肢は明らかなのです。
地方自治体の中でも、日本の顔とも言える首都、東京の知事がこうした世間の一般常識に反する行為を度重ねて行ってきており、しかも本人はこうした行為について「不適切」ではあっても「違法性」はないとつっぱねて知事の座を守ろうとしているのです。
本来であれば、地方自治体の知事や政治家の方々はリーダーとして、法律を守るだけでなく一般常識に照らして行動し、一般国民の鑑とも言える存在でなければならないと思うのです。
それでこそ、国民はこうした方々を信頼し、安心して政治を任せられるのです。
一方、こうしたリーダーが一般国民でも分かり切った常識に反する行為をしたのでは、そのリーダーに対して信頼出来ず、そのリーダーに仕える方々のやる気にも大いに影響を与えてしまいます。
また、今回のような事件がそのまま放置されてしまえば、子どもたちへの影響も計り知れません。
政治家が今回のように違法すれすれの「不適切」な行為を度重ねても反省さえすれば見逃されるような状況では、大人に対して不信感を持ってしまいます。
また、特に政治資金の多くは国民からの税金によって賄われていますので、政治資金の使われ方に対しては国民の厳しい目が常に注がれます。
更には、今回ご紹介したような事件により、法律はどんどん細かい内容へと踏み込んだものになっていってしまいます。
ということで、政治家の方々には、リーダーとして一定の成果を残すことも大事ですが、国民の鑑としての資質を身に付けていただきたいと思います。
政治家の方々が“違法行為でなければ何でもあり”という考え方では、世の中はモラルのない殺伐としたものになってしまうのです。
最後にお伝えしたいことがあります。
それはマスコミの重要性です。
今回の事件もマスコミによる報道記事がきっかけで舛添都知事の“不適切な支出”が次々に明らかになってきました。
マスコミは私たち一般国民の耳目の代わりになって社会一般の動きを報じてくれます。
そして、一般国民はこうした報道によって世の中の動きを把握することが出来ます。
今回の一件もマスコミによって報じられたからこそ私たちは知ることが出来たのです。
ですから、マスコミによる報道の自由が確保されていること、およびマスコミによる正確な報道は極めて重要なのです。