2015年02月14日
プロジェクト管理と日常生活 No.371 『世界的な平和憲法の普及こそが究極の戦争勃発のリスク対応策』

企業経営においては、方向性を誤った経営トップの判断により業績が悪化すれば、経営者は責任を取って辞任するのが一般的です。

そして、こうした場合、経営トップの決定に従った従業員の責任は追及されません。

では、かつての太平洋戦争のように多くの日本国民に大変大きな被害をもたらした戦争においての責任はどうなのでしょうか。

戦争に突入する際にも、時の政府、あるいは軍部のトップの決定とそれに従う軍隊、あるいは国民と、決定する側とそれに従う側の大きく2つに大別されます。

 

こうした観点で戦争責任をみていくと、新聞やテレビなどで報道されている内容は“お国のために”という一括りで語られているケースが多いように思います。

要するに、トップの決断に従って戦った兵隊や国民の苦悩や犠牲に重きを置いて、戦争に突入する決断をした決定権者の責任にはさほど注目されず曖昧なまま戦後70年が経過しているのです。

確かに、戦後の極東裁判で日本の戦争責任者と見なされた方々は責任を追及されました。

でも肝心の当事国である日本国内では中国への進出や太平洋戦争を始める必要が本当にあったのか、なかったのであれば、その責任は誰にあったのかなどがきちんと総括されていません。

こうした問題が靖国参拝問題につながっているのです。

 

プロジェクト管理においては、最もそのプロジェクトに適した開発体制があり、それぞれの組織はどのような役割と責任があるのかを明確にしておくことが極めて重要です。

こうした観点からすると、未だに先の戦争責任論が決着していないのはいかに当時の国家運営における責任体制が曖昧であったかを物語っていると言わざるを得ません。

その象徴的な例は統帥権の独立です。

統帥権とは大日本帝国憲法第11条が定めていた天皇大権のひとつで、陸軍や海軍への統帥の権能を指します。

この明治憲法が抱えていた欠陥が先の終戦に至るまでの日本の軍国主義化を助長した点は否めないといいます。

 

遅ればせながらでも、国が国民のみならず諸外国が理解出来るレベルで先の戦争におけるきちんとした総括をする必要があるのです。

同時に、いかに戦後の日本が平和憲法を掲げ、ODAなどを通して国際貢献をしてきたかを海外に発信し続けることも必要です。

 

一方で、明治維新以来、日本は富国強兵、殖産興業を国家の大方針として掲げ、欧米列国による他国への侵略を後からなぞってきたという側面もあります。

ですから、日本のかつてのこうした行為は日本だけでなく当時の欧米列国も責められるべきなのです。

 

現在、世界で唯一平和憲法を掲げる日本は、こうした過去の総括をきちんとしたうえでお隣の大国、中国に対して最近の軍事予算の膨張、および日本も含めた周辺諸国への不穏な動きに対して周辺諸国と共同し断固として平和を守り抜く姿勢を示すべきなのです。

同時に世界各国に対して、平和憲法の普及を推進していく使命があるのです。

いかなる戦争も必ず敗戦国のみならず戦勝国の国民にも少なからず大変な悲しみをもたらすからです。

更には、現在のように核兵器など殺傷性能が格段に向上した兵器の多く存在する時代に第三次世界大戦が勃発したならば、地球規模で取り返しのつかないほどの影響を与えてしまう大変大きなリスクがあります。


確かに、圧倒的な武力による自国への侵略の抑止力も戦争勃発のリスク対応策の一つとして考えられますが、それでは軍拡競争をもたらし、世界中に武器が溢れてしまうことにつながります。
そうなると、そのような状況そのものが戦争勃発のリスクを増大させてしまいます。

 

今、世界レベルでみれば、多くの人たちが非現実的で夢のように考えていますが、全ての国が専守防衛の平和憲法を掲げれば、少なくとも大規模な戦争の起こる可能性はとても少なくなると思うのです。

そういう意味では、全ての国が平和憲法を掲げることこそが戦争勃発の究極のリスク対応策と言えるのではないでしょうか。


 
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