2011年11月30日
アイデアよもやま話 No.1995 ヴィーナスから大仏が生まれた!?
10月23日(日)放送のTHE世界遺産(TBSテレビ)のテーマは「ヴィーナスから大仏が生まれた」でした。
アイデアの観点から奈良の大仏誕生に至る経緯をご紹介します。

シルクロードにあるタキシラ(パキスタン)はかつてガンダーラと呼ばれていました。
釈迦が死んで500年が経った頃、ガンダーラで初めて仏像が作られました。
それまで仏教では釈迦の遺骨を納めた仏塔などを拝んでいました。
仏の姿を描くことを禁じていたのです。
でも人々は心の底では仏陀に会いたいと願っていたのです。
その熱い想いを後押ししたのがシルコロードを通して西から伝わったヴィーナスや神々の像です。
ギリシヤ彫刻は、神々を人間の姿で表していました。
人々はそれを手本にして仏像を作ったのです。
ですから、当初作られた仏陀は西洋人のような表情を残しています。

中国に仏教が伝わったのは一世紀頃、シルクロードの商人が仏像を持ち込んだことがきっかけでした。
5世紀に大きな変化が起きました。
皇帝は仏教で国を一つにまとめるため、手厚い保護をしました。
そうして築かれたのが雲崗石窟でした。
断崖を掘り抜き刻まれた仏像は5万体を超えました。
この時代、仏教には国を守る力があると信じられていました。
また、仏像は皇帝の姿を映し、巨大化していきました。
そして、この頃の大仏には西洋の陰がすっかり消えました。

仏教の力を借りて国を守る、この思想は海を渡り、シルクロードの東の終着駅、日本の古都奈良(平城京)にも伝わりました。
そして、奈良の東大寺でも国を守ることを目的に大仏が作られました。
開眼供養の日、中国やインド、中央アジアなど遠い国々の楽士や踊り手が祝いの場を彩りました。
西の彼方でキリシア彫刻が理想とした、ヴィーナスに込められた永遠の美がシルクロードを経て東の彼方、日本に伝わり大仏へと変わったのです。

このように、ヴィーナスから大仏が生まれた経緯をみると、これまで何度となくお伝えしてきた”アイデアは既存の要素の組み合わせ”であることが思い起こされます。
西洋で生まれたヴィーナスがかつてのガンダーラでの仏像の誕生をもたらし、更に中国を経て日本の大仏誕生へとつながっていったのです。
ですから、これからも世界各国のテクノロジー・芸術・文化・風習が結びつくことによって、そこから新らしい何かが誕生していくのです。
そこには、必ずしも人類や地球環境にとって望ましいものばかりではありませんが、これまでの歴史が証明しているように紆余曲折を経ながら確実にいい方向に向かっているように私には思えるのです。
グローバリゼーションという言葉は、今や世界的によく知られるようになりましたが、一部の国の利益になるのではなく、各国のいいところを相互に取り入れることによってより良い世界へと向かっていって欲しいと思います。

 
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