ちなみに年商は2億円前後といいます。
転機は、2006年の道路交通法改正で駐車禁止取締りが厳しくなったことです。
困った運送業界のクロネコヤマトのヤマト運輸の一人の社員がリヤカーを使ったらどうか、というアイデアを出したのです。
そこで、リヤカーを作る会社、ムラマツ車輌を見つけ出したのです。
そして、現在、リヤカーを本格的に作っている会社は極端に少ないため、全国の支社からムラマツ車輌に注文が殺到しているのです。
その結果、すでにヤマト運輸だけで1500台のムラマツ製リヤカーが全国で活躍中なのです。
このような状況に対して、ムラマツ車輌の村松孝一社長は、番組のなかで次のようにおっしゃっていました。
「残存者利益、というかたちで捕らえたけど、結局どこもやってないからうちに発注が来るのです。」
「給料なしで働いていた時もあるよ。」
では、どうしてムラマツ車輌は残存者になりえたのか、です。
ムラマツ車輌のリヤカーには、ボルトが1本も使われていないのです。
数百キロの重さに耐えるためには分子レベルで結合出来る溶接が施されるのです。
なかでもリヤカーの溶接には熟練の技術が要求されるのです。
村松孝一社長は、うちが生き残るにはこの溶接技術を武器にするしかない、と考えました。
そして、目を付けたのはゴルフ場のゴルフ用カートです。
重いゴルフバッグを載せたカートがすぐに壊れてしまうことを知っていたからです。
それに対して、ムラマツ車輌のリヤカーの部品には故障の心配が全くないのです。
あるゴルフ場ではその丈夫さに驚き、全てのカートをムラマツ車輌製に取り替えることにしたのです。
ちなみに、ムラマツ車輌にはその道何十年の熟練した溶接技術者がいます。
村松孝一社長は、職人の腕は年を追うごとに熟練していくから、という理由で職人の定年をなくしたからです。
村松孝一社長は、ムラマツ車輌の溶接技術は日本一だと自負しています。
その溶接強度がどれほどのものか、実際に番組のなかで実験していました。
その結果は、村松孝一社長も驚く結果でした。
溶接強度を測定するのは初めて、ということでしたが、なんと2750kgでした。
しかも、強度を測定する実験器具が壊れてしまったのです。
そして、溶接したパイプはビクともしていなかったのです。
ホテル・ニューオータニにもムラマツ車輌のリヤカーの技術を生かした演説台があります。
ゴルバチョフ元大統領が来日した時の演説に使用されたそうです。
演説台の底にある車輪です。
それまでの演説台は重くて持ち運びが大変だったのです。
でも、ムラマツ車輌のリヤカーの技術を生かした演説台はホテルで働く女性でも簡単に移動できるようになったのです。
村松孝一社長は、この件について次のようにおっしゃっていました。
「ホテルから七不思議の一つと言われたよ。」
「大手が毎日365日通って2年かかったのに、あんたの所は1ヶ月で入ったんですね、と言われた。」
演説台の技術が評価され、その後、ムラマツ車輌は1台200万円以上の高級ワゴンを受注したのです。
ムラマツ車輌のリヤカーのように、質の高い、しかも価格も適正であれば、必ずお客様から評価され、満足していただけるのです。
中小企業のこのような技術力の高い職人の方々が日本の経済を底辺でしっかりと支えてくれているのです。
今、資金力のない、多くの中小企業が世界的な経済危機のために大変な状況になっています。
中小企業の経営者には、何とかこの危機を乗り切っていただきたいと思います。
そして、技術力の高い職人の技が途絶えるここなく、若い人たちに継承されていくことを願っています。
職人技が途絶えてしまうことは、知的財産立国、日本の大きな損失なのです。