これまでロシアのプーチン大統領によるクリミア半島の侵攻、更にウクライナ侵攻について何度となくお伝えしてきました。
そこで、今回は、あらためて、こうした背景についてお伝えします。
ロシアのプーチン大統領がクリミア半島の侵攻、更にウクライナ侵攻を実行した背景については添付1を参照下さい。
要するに、プーチン大統領は「NATOへの対抗」「国内支持維持」「ロシアの安全保障」「歴史的ロシアの再興」という複合的な動機から、クリミア半島への侵攻、更にウクライナ侵攻に至ったと言えます。
中でもプーチン大統領は、ソ連崩壊を「20世紀最大の地政学的悲劇」と位置づけたロシア世界(ルスキー・ミール)」構想を持っていたところ、2014年に親ロシア派のヤヌコビッチ大統領が、親欧米派の市民運動(マイダン革命)によって失脚したことが、クリミア侵攻(2014年)の大きな引き金になったと考えられます。
なお、プーチン個人の思想(例えば「ユーラシア主義」との関係など)については添付2を参照下さい。
要するに、プーチン大統領の行動原理には、「ロシアの独自性を守り、かつ旧ソ連圏での影響力を回復する」という目標があり、その思想的バックボーンにはユーラシア主義的な発想が深く影響している、という構図です。
ちなみに、プーチン大統領の思想とロシアの地政学者アレクサンドル・ドゥーギン(ユーラシア主義を現代に復活させた人物)の理論との具体的な比較は添付3を参照下さい。
では、なぜ、更にウクライナ侵攻に踏み切ったかについてですが、添付4を参照下さい。
プーチンがウクライナ侵攻に踏み切った背景には、クリミア併合の成功が重要な要因であり、これがロシアに自信を与え、ウクライナ侵攻を成功するだろうという過信を生んだ可能性があります。
しかし、まとめると以下の要因が考えられます。
1. クリミア併合の成功による自信
2. ウクライナの親欧米傾向
3. ロシアの軍事力への過信
4. 西側の対応に対する過小評価
5. 内部の政治的要因
中でも、5. 内部の政治的要因は、以下の観点から注目に値します。
・プーチン大統領は国内の政治的な支持を維持するためにも、「強いロシア」のイメージを作り出す必要があった
・国内の問題や経済的な困難を外部の敵に対する戦争を通じて覆い隠し、国民の支持を得るための手段とした
こうした国内の政治的要因から一国の指導者が国外に敵を作ることによって、国内の大きな問題を覆い隠して切り抜けるという考え方は、どの国の指導者にとっても大なり小なりあり得るのです。
こうした要因から一国の指導者が国外に敵を作る場合、相手国との間に無用の外交戦で済めばいいですが、武器を用いた戦争に突入した場合には、ロシアによるウクライナ侵攻のように、両国に多大な犠牲者が出てしまうのです。
次回は、国内の政治的要因から一国の指導者が国外に敵を作り、戦争に至った過去の事例についてお伝えします。
添付1)
ロシアのプーチン大統領がクリミア半島の侵攻、更にウクライナ侵攻を実行した背景は?
ChatGPT:
🇷🇺 プーチン大統領がクリミア侵攻(2014年)、さらにウクライナ本格侵攻(2022年)を実行した背景
- NATOの東方拡大への強い警戒感
- 冷戦後、NATO(北大西洋条約機構)は旧ソ連圏・東欧諸国へ加盟国を広げてきました。
- プーチン大統領はこれをロシアへの「直接的な脅威」とみなし、ウクライナがNATOに接近することを阻止しようとしました。
- 「ロシア世界(ルスキー・ミール)」構想
- プーチンは、ソ連崩壊を「20世紀最大の地政学的悲劇」と位置づけ、ロシア文化・言語・民族的つながりを重視する政策(いわゆる「ロシア世界」)を進めてきました。
- クリミア半島やウクライナ東部は、ロシア語話者が多い地域であり、「保護」の名目で介入を正当化しました。
- 国内支持の確保
- クリミア併合後、プーチン政権の支持率は急上昇しました。
- 経済停滞や国民の不満を外に向けるため、ナショナリズムを喚起する手段として侵攻を選んだとも言われます。
- 地政学的・軍事的要因
- クリミアには黒海艦隊の根拠地(セヴァストポリ)があり、ロシアの軍事戦略上、極めて重要でした。
- ウクライナ全体に対しても、ロシアにとっては西側への「緩衝地帯」として機能していたため、失うことを避けたかったのです。
- ウクライナの政変と西側接近
- 2014年、親ロシア派のヤヌコビッチ大統領が、親欧米派の市民運動(マイダン革命)によって失脚しました。
- これにより、ウクライナがEU・NATOに急速に接近するリスクが高まり、プーチンは行動に踏み切ったとされます。
- 歴史認識・領土観
- プーチンは、ウクライナを「歴史的にロシアの一部」とみなしている発言を繰り返しており、ウクライナの独立性を軽視する姿勢を鮮明にしてきました。
要するに、プーチン政権は「NATOへの対抗」「国内支持維持」「ロシアの安全保障」「歴史的ロシアの再興」という複合的な動機から、クリミア侵攻、さらにウクライナ侵攻に至ったとまとめられます。
添付2)
プーチン個人の思想(例えば「ユーラシア主義」との関係など)は?
ChatGPT:
プーチン大統領の個人的な思想には、ロシア帝国やソ連時代の勢力圏を回復しようとする意図が色濃く反映されていますが、その中で特に重要とされるのが、「ユーラシア主義」との関係です。
ユーラシア主義とは
- 1920年代にロシアの亡命知識人の間で生まれた思想で、「ロシアは単なるヨーロッパでもアジアでもない、独自の文明圏である」とする考え方です。
- 欧米的な個人主義や自由主義とは異なる、集団主義・伝統主義・強い国家を重視します。
プーチンとユーラシア主義の関係
- プーチン個人は公式には「ユーラシア主義者」と自称していませんが、その政策・発言から多大な影響を受けていると見なされています。
- 特に、ロシアの地政学者アレクサンドル・ドゥーギン(ユーラシア主義を現代に復活させた人物)との思想的共鳴が指摘されています。
- プーチンは、ロシアを「独自の文明圏」と位置づけ、欧米(特にアメリカ・EU)による価値観の押し付けに強く反発し、「ロシアの伝統的価値を守る」という名目で権威主義的な政治体制を強化しています。
ユーラシア主義的思想が政策に与えた影響
- クリミア併合(2014年)、ウクライナ侵攻(2022年)も、「ロシア世界(Русский мир、ルースキー・ミール)」というコンセプトに基づいて正当化されました。これは、言語・文化・歴史的背景を共有する地域をロシアの影響下に置くべきだとする考えです。
- また、NATOやEU拡大への強い警戒も、欧米に対する独自性保持のための防衛的行動と位置づけられています。
まとめると、プーチン大統領の行動原理には、「ロシアの独自性を守り、かつ旧ソ連圏での影響力を回復する」という目標があり、その思想的バックボーンにはユーラシア主義的な発想が深く影響している、という構図です。
添付3)
プーチン大統領の思想とドゥーギンの理論との具体的な比較は?
ChatGPT:
プーチン大統領の思想とアレクサンドル・ドゥーギンの理論(特に『ユーラシア主義』)には共通点も多いですが、違いもあります。それを整理するとこうなります。
- 共通点
■ 欧米への対抗意識
- ドゥーギンもプーチンも、「アメリカ中心の単極的世界秩序」に反対し、「多極的世界」を目指すべきだと主張しています。
- 欧米のリベラリズム(個人主義、自由主義、人権重視)を「ロシア文明を破壊するもの」と見なし、強い国家・伝統・精神性を守るべきだと考えています。
■ ロシアの独自文明観
- ロシアは単なるヨーロッパの一部ではない。むしろ、独自の「ユーラシア文明」であり、ヨーロッパともアジアとも異なる独自の使命があると考えます。
■ 「ロシア世界(ルースキー・ミール)」の拡張
- ロシア語を話す人々やロシア文化圏を守るという名目で、旧ソ連圏への影響力を強めるべきだとする点は一致しています。
- 相違点
■ 手段と現実主義の違い
- ドゥーギンは、かなり急進的で攻撃的な手段(例えば軍事行動、政権転覆)を支持しますが、
プーチンは比較的現実主義的で、まず経済的・政治的影響力を通じた段階的支配を志向する傾向があります(とはいえ、クリミア併合やウクライナ侵攻では軍事行動に踏み切りましたが)。
■ 理論体系の有無
- ドゥーギンは学術的な「第四の政治理論」という理論体系を構築しています。
これは、リベラリズム(現代の支配的思想)、共産主義、ファシズムのいずれにも属さない新しい政治思想を作ろうというものです。
一方、プーチンはそこまで理論的な枠組みを公には採用していません。より実務的・国家利益重視のアプローチです。
■ 宗教観
- ドゥーギンはロシア正教会を非常に重視し、宗教的神秘主義的な要素も強く持っています。
プーチンもロシア正教を支持していますが、あくまで「国家統合の道具」として現実的に利用している面が大きいです。
まとめると
- ドゥーギンは「イデオロギスト」「理論家」、プーチンは「現実の権力者」として、思想の一部を選択的に取り入れながら、現実に合わせて柔軟に運用している。
- ただし、ドゥーギンの提唱する「ユーラシア的世界観」は、プーチンの対外政策(特にNATO拡大反対、ウクライナ侵攻)にかなり深く影響を与えていると考えられています。
添付4)
では、プーチン大統領がウクライナ侵攻に踏み切った背景には、クリミア半島の侵攻の成功により、ウクライナ侵攻も簡単に成功すると甘く考えたことが大きいか?
ChatGPT:
プーチン大統領がウクライナ侵攻に踏み切った背景には、確かにクリミア半島の侵攻の成功が影響を与えた可能性が高いです。クリミア併合を通じて、プーチンは国内外で一定の支持を得て、ロシアの強さを誇示しました。その成功が、ウクライナ侵攻に対する過信や楽観的な見通しを助長した可能性がありますが、他にもいくつかの重要な要因が絡んでいます。以下に詳しく分析します。
- クリミア併合の成功による自信
2014年のクリミア半島の併合は、ロシアにとって大きな戦略的成果でした。西側諸国の制裁や非難にもかかわらず、ロシア国内ではプーチンの人気が高まり、国民的な支持を集めました。プーチンは「ロシアの偉大さ」や「民族の団結」を強調し、クリミアの併合はロシアにとって正当な行為であると主張しました。この成功が、ウクライナに対する侵攻を「同じように簡単に成功させられる」と考える要因となった可能性があります。
- ウクライナの親欧米傾向
ウクライナが欧米との関係を強化し、特にEUやNATOとの接近を進める中で、プーチンはこれを「西側勢力の拡大」と捉え、自国の安全保障に対する脅威と見なしました。ロシアの「バックヤード」であるウクライナが西側の影響下に入ることは、プーチンにとって受け入れがたいものであり、ウクライナをロシアの勢力圏に戻す必要があるという考えが強まりました。この点で、クリミア半島の併合が比較的容易に成功したため、「ウクライナ全体を支配することも同じように成功するだろう」という楽観的な見通しを持った可能性があります。
- ロシアの軍事力への過信
プーチンはロシアの軍事力を過信していた可能性があります。2014年のクリミア併合時には、ウクライナ軍はその後の紛争に備える前には十分に準備されておらず、また国際社会の反応も限定的でした。そのため、プーチンはウクライナ侵攻も短期間で制圧できると考えたのかもしれません。ロシア軍の力を誇示することによって、ウクライナが早期に降伏し、他国も介入しないだろうという予測を立てたと考えられます。
- 西側の対応に対する過小評価
プーチンは西側諸国、特にアメリカと欧州連合(EU)の反応を過小評価していた可能性があります。クリミア併合の際、制裁が課されたものの、ロシア経済はそれに耐えることができ、特にエネルギー資源を背景に一部経済的な影響を緩和することができました。このため、プーチンは「西側が強硬に反応しても、自国は耐えられる」と考えていたのかもしれません。ウクライナ侵攻を通じて、再びロシアの領土的な要求が進んでも、国際社会は十分に対応できないだろうと高を括った可能性があります。
- 内部の政治的要因
プーチンは国内の政治的な支持を維持するためにも、「強いロシア」のイメージを作り出す必要がありました。ウクライナ侵攻は、国内外で「ロシアの誇り」を取り戻し、西側に対して立ち向かう姿勢を強調する一つの手段として捉えられたかもしれません。国内の問題や経済的な困難を外部の敵に対する戦争を通じて覆い隠し、国民の支持を得るための手段としても侵攻が利用された面があります。
結論
プーチンがウクライナ侵攻に踏み切った背景には、クリミア併合の成功が重要な要因であり、これがロシアに自信を与え、ウクライナ侵攻を成功するだろうという過信を生んだ可能性があります。しかし、単なる「甘い考え」だけではなく、ロシアの安全保障や影響力を確保するための戦略的な選択、また国内外での強硬路線を強調するための政治的な計算もあったと考えられます。