2023年01月23日
アイデアよもやま話 No.5485 日中国交化実現の陰の功労者!
昨年9月28日(水)放送の「ワールドビジネスサテライト」(テレビ東京)で日中国交化実現の陰の功労者について取り上げていたのでその一部をご紹介します。 
なお、日付は全て番組放送時のものです。

1972年9月29日、同時の田中角栄総理大臣と中国の周恩来首相が北京で日中共同声明に署名しました。
中国と正式に国交を結んでから明日で50年です。
現在も多くの課題が山積している両国ですが、この関係を支え続けたのは民間の力でした。
今後、両国はどのような関係を築いていくべきなのでしょうか。

中国の“ゼロコロナ政策“による都市のロックダウンなど、企業活動の継続に支障をきたすケースが後を絶ちません。
帝国データバンクの調査によると、中国に進出する企業は1万2706社で(6月時点)、過去10年で最も少ないといいます。
現在、逆風が吹く中国ビジネスですが、これまで両国の間では様々な歴史があります。
都内に住む、元運輸大臣の森田一さん(88歳)は今から50年前、外務大臣だった大平正芳さんの秘書官を務めていました。
1972年、森田さんは当時の田中総理と大平大臣とともに中国を訪問しました。
森田さんは、国交正常化の実務交渉を任された大平大臣が国交のない時期に活発化した民間の経済交流を高く評価していたと振り返ります。
「大平大臣の頭の中にあるのは、日中国交正常化について、表面に出るのは自分だけども、実際上の力は自分以外の民間の人たちの努力が大きいんだという認識だったですね。」
「自分(大平大臣)が関わっていない、いろいろな交渉で日中間で良いことをしていると大平大臣は評価してたんです。」

最も大きかったのは1962年に合意した長期総合貿易に関する覚書、いわゆる「LT貿易」です、
合意によって日中双方に貿易事務所が設けられ、両国の貿易が本格化するきっかけとなりました。
ANAホールディングス(東京・港区)の芝田浩二社長は大学時代、北京の日本大使館に勤め、入社後も中国事業に携わってきました。


その芝田社長が尊敬する人物がANAの2代目社長、岡崎嘉平太さん(1897年〜1989年)です。
「LT貿易」の仕組みづくりを主導した張本人です。
岡崎さんは、国交正常化前に日中の関係改善に尽力し、当時の周恩来首相と信頼関係を築き上げました。
周首相は岡崎さんにある言葉を贈ったといいます。
「水を飲む時には井戸を掘った人のことを忘れない。」
「間もなく田中総理が中国に来られ、国交が正常化するが、その井戸を掘ったのは岡崎さんです。」

100回を重ねた中国への訪問、なぜ岡崎さんは中国と熱心に係わったのか、学生時代から中国人留学生との交流を深めていた岡崎さんは戦後、中国のある軍人に次のような言葉をかけられたといいます。
「恨みを捨てて、仲良くしようではないか。」
「一緒にアジアを良くしようではないか。」

同時のことについて、後に岡崎さんは次のようにおっしゃっています。
「日本が今、連合軍に属して、列強の一つになった」と言って威張っているけれども、長い将来を考えると、アジア全体の国、特に中国とむしろ仲良くしてアジア全体の開放をやらなければ、日本の将来も安泰ではないという考えを私はずっと持ち続けたわけなんですよ。」

ANAの芝田社長は岡崎さんについて、次のようにおっしゃっています。
「人と人との間の絆を大切にする熱い想い、情熱はその後もずっと我々後輩にしっかり受け継がれてきている。」

1987年、ANAは中国路線に初就航、就航日に90歳の誕生日を迎えた岡崎さんも搭乗したといいます。
80年代は経団連で両国の交流が加速した時期で、中国では改革開放路線が取られ、日本側は中国へのODA(政府開発援助)を強化しました。
その後、領土や現役総理の靖国参拝などを巡る問題で政治面での関係は悪化したものの、経済分野は拡大、両国の関係は“政冷経熱”と呼ばれました。
中国本土でのビジネスや進出企業の増加に合わせ、ANAグループは中国路線を拡大、新型コロナ前には11都市、週378便に達し、中国便は国際線で最多となりました。

両国の貿易総額をみると、2021年時点で50年前の1972年の11億ドルに比べて300倍以上の3495億ドルになっています。
岡崎さんのDNAを受け継ぎ、日中の人的往来を支え続けたANA、習近平国家主席も2015年5月23日に日中友好交流会の場(北京)で岡崎さんの功績を次のように讃えています。
「岡崎嘉平太氏ら、有識者は積極的に奔走し、多くの活動をしました。」
「日中友好の基盤は民間にあり、日中関係の前途は両国人民の手に握られています。」

以上、番組の内容の一部をご紹介してきました。

番組を通して思ったのは経済も政治も全ては相互の人とのつながり、あるいは信頼関係がベースになっているということです。
具体的には以下の通りです。

・国交正常化前に日中の関係改善に尽力された岡崎嘉平太さんが中国と熱心に係わったきっかけは、戦後、中国のある軍人に「恨みを捨てて仲良くしよう、一緒にアジアを良くしよう」と声をかけられたことにあるという
・その岡崎さんは、当時の周恩来首相と信頼関係を築き上げ、周首相は井戸を掘った人を例に岡崎さんに感謝の意を示した
・習近平国家主席も2015年5月23日に日中友好交流会の場(北京)で岡崎さんの功績を讃えていた

そして現在、残念ながら日中関係は“政冷経熱”状態から“政冷経冷”状態へと大きく様変わりしつつあるようです。
その元凶は習近平国家主席の唱える、アメリカを凌ぐ経済力、および軍事力による世界支配戦略にあるように思います。

一方で、今や日本の貿易総額、そして訪日客数に占める割合もトップは中国であり、民間における中国との係わりは無視出来ない状況です。
日本、および中国、双方の国民は国交正常化をきっかけに、これまで経済的に計り知れないほどの恩恵を受けてきたのです。
そして、この国交正常化に尽力されたのが岡崎さんであり、岡崎さんの生き方を変えたきっかけを与えたのが中国のある軍人の言葉だったのです。
なお、習近平国家主席も少なくとも2015年には日中友好の基盤は民間にあると認識されていたのです。

考えてみれば、アイデアよもやま話 No.2277 日中の経済関係にみる両国の友好維持の必要性!でもお伝えしたように、日中関係はこれまで紆余曲折があり、関係悪化の都度、心ある民間人、あるいは政治家の尽力によりハードルを越えてきたのです。
実は、戦前にも中国革命を企図した孫文に多額の資金援助をし、辛亥革命(こちらを参照)の成就に寄与した人物がいたのです。
それは、実業家で、日活の創業者のひとりでもあった梅屋庄吉さんです。(こちらを参照)

ということで、特に習近平国家主席には、先人の知恵に見習い、覇権主義ではなく良識に基づいた戦略に大きく方向転換をしていただきたいと思います。
同時に日本の政治家や日中の民間人もかつての良識のある中国のある軍人、そして日中の関係改善に尽力された岡崎さんや梅屋さんのことを思い返し、粘り強く、再び日中の友好関係を築くことに取り組んでいただきたいと思います。

 
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