2021年07月04日
No.4998 ちょっと一休み その781 『人類とウイルスの関係は敵対と共生!?』
新型コロナウイルス、そして変異ウイルスによる感染拡大が収まらない状況の中、東京オリンピック・パラリンピックは開催されようとしています。
そして、どれだけ多くの人たちがウイルス自体に対して理解を深めているでしょうか。
そうした中、昨年6月14日(日)放送(5月30日(日)再放送)の「こころの時代〜宗教・人生〜」(NHKEテレ東京)でコロナ禍の今、未知なる生命体、新型コロナウイルスとどう向き合えばよいかについて取り上げていたのでその一部をご紹介します。

半世紀以上にわたりウイルス研究と感染症対策に取り組んできた、日本を代表するウイルス学者で東京大学名誉教授の山内一也さん(88歳 初回番組放送時)のこれまでの活動を通して、未知なる生命体とどう向き合えばよいか、番組で探っていきました。

山内さんは、天然痘、そして牛の急性伝染病である牛疫の根絶プロジェクトに参加したことで知られています。
ちなみに天然痘は1980年にWHO(世界保健機関)が根絶宣言をしました。
また牛疫は2011年にFAO(国連食糧農業機関)とOIE(国際獣疫事務局)が根絶宣言をしました。
人類が根絶に成功したウイルス感染症は天然痘と牛疫、この2つしかありません。
特に数千年の歴史を持つ天然痘は世界中で恐れられてきました。
致死率は20〜30%にも及び、感染力も極めて高く、一つの家に患者が出ると家族の80%以上が感染したといいます。

当時、山内さんが取り組んだのが種痘ワクチンの改良です。
ワクチン接種の決定によって有史以来人々を苦しみ続けてきた天然痘の歴史にピリオドが打たれました。
ウイルス学の偉大な成果と言われる天然痘の根絶から40年、山内さんはウイルス研究の第一線に身を置きながら本の執筆や講演活動などを通して独自の視点で捉えたウイルスの世界について発信を続けています。
山内さんはその著書「エマージングウイルスの世紀 人獣共通感染症の恐怖を超えて」で次のように述べています。

研究者である私にとってウイルスは人生のパートナーである。
ウイルスというと多くの人はエイズ、エボラといった危険なウイルスのイメージが先行しているようである。
それらは私にとってのウイルスのイメージとはかけ離れている。
本来、ウイルスは動物の細胞の中で増殖し、存続を図っている。
その結果として、病気を引き起こし、ウイルスによっては悲惨な結果をもたらすものがあることは事実である。
しかし、全てのウイルスがそうではない。

また、NHK人間講座「ウイルス 究極の寄生生命体」(2005年放送)で次のようにおっしゃっています。
「ウイルスは30億年前から地球上に存在してきた生命体です。」
「我々人類、ホモサピエンスが地球上に現れたのはわずか20万年前です。」
「人類は有史以来ウイルスと共に生きてきたのです。」
「ウイルスには我々が知らない多くの側面があるはずです。」

また、山内さんは次のようにおっしゃっています。
「ウイルスは私にとってはずっと研究人生を通してパートナーだったと思っています。」
「それは、結局は好奇心を満たしてくれるパートナーとして捉えて、別に恐怖の存在とかそういうかたちではありません。」
「非常に多様な性質を持った存在であると。」
「細菌も同じわけですが、ウイルスの場合は見えないということもあって非常に面白い。」
「それが年とともにどんどんウイルスの本体が分かってきて、いつまで経っても好奇心が絶えない。」
「そういう対象として捉えてきていますね。」

「我々はウイルスと一緒に生きているわけで、敵というか相手っていうか、これはとても勝つとか負けるとかという相手ではないんですね。」
「全然もう違う存在だと思います。」

「(新型コロナウイルスの感染拡大について、どう御覧になっているかという問いに対して、)このウイルスとしては別に広がっても不思議ではない。」
「要するに免疫のない状態のところに入ってきた新しいウイルスですから、広がること自体は不思議ではないと思います。」
「ただ、例えばインフルエンザウイルスと比較してみますと、インフルエンザウイルスは元々カモが持っている鳥類のウイルスなんですね。」
「こちら(新型コロナウイルス)は哺乳類のコウモリが持っているウイルスが入ってきたということで、しかもコロナウイルスは非常に大きなサイズのRNA(リボ核酸)ウイルス。」

「コロナウイルスというのは、非常に大きなサイズのRNA(リボ核酸)ウイルス、インフルエンザウイルスも同じRNAウイルスなんですが、インフルエンザの2倍くらい大きい。」
「大きいというとちょっと分かりにくいかもしれない。」
「RNAは1本の数珠がずっとつながった、鎖のようなものを考えていただければいいんですが、1つの数珠を1つの文字とすると、インフルエンザですと1万5000字の文章になる。」
「コロナウイルスは3万字の文章になっちゃう。」
「ということは、コピーする時にそれだけミスが起き易くなるということですね。」
「そういう意味ではどんどん変異していくウイルスであるということですね。」

「コロナウイルスはコウモリと恐らく1万年ぐらいは共存してきていると思います。」
「そういうウイルスがたまたまこの人の世界に入り込んできたというのが現状だということですね。」
「我々が遭遇したことのないのが入ってきた場合にはやはり免疫がないわけですから、それが脅威と言えば脅威です。」

山内さんの著書「ウイルスの意味論」には以下の記述があります。

20世紀後半、ウイルスは30億年にわたるその生命史上初めて激動の環境に直面することになった。

現在、我々の周囲に存在するウイルスの多くは恐らく数百万年から数千万年にもわたって宿主生物と平和共存してきたものである。

人間社会との遭遇は、ウイルスにとってはその長い歴史の中のほんの一コマにすぎない。
しかし、わずか数十年の間にウイルスは人間社会の中でそれまでに経験したことのない様々なプレッシャーを受けるようになった。
我々にとっての激動の世界はウイルスにとっても同じなのである。

ウイルスは19世紀末に初めて発見された。
そしてラテン語で「毒」を意味する「ウイルス」と名付けられた。
それから半世紀あまりの間ウイルスは微小な細菌と考えられていた。

実際にはウイルスと細菌は別の存在である。

山内さんは次のようにおっしゃっています。
「SAASや鳥インフルエンザはウイルスによる感染症です。」
「しかし、SAAS菌だとか鳥インフルエンザの病原菌という言葉を何回も耳にしたことがあります。」
「菌というのは細菌のことで、ウイルスとは全く違います。」
「世間ではよく混同されているのです。」
「ここでまずウイルスと細菌の違いをはっきりさせておこうと思います。」
「両者の間には大きく2つの違いがあります。」
「一つは大きさです。」
「多くの細菌は1000分の1mm前後の大きさです。」
「ウイルスはその細菌の10分の1〜100分の1くらいと小型です。」
「細菌は普通の光学顕微鏡で見ることが出来ますが、ウイルスは電子顕微鏡でなければ見ることが出来ません。」

「もう一つの違い、これが最も重要な点ですが、細菌は原始的な細胞で、動物や植物の細胞と同じように2つに分裂することで増殖します。」
「細菌には子孫を作るための遺伝情報としての核酸であるDNAがあります。」
「そしてその情報に従って子孫のたんぱく質を作るための代謝やエネルギーを供給するメカニズムを備えています。」
「つまり、細菌は増殖するのに必要な情報と機能を兼ね備えているわけです。」

「ところでウイルスは核酸を持っていますが、代謝機構もエネルギー機構も持っていません。」
「全て他の生物の細胞の代謝機構を借りて子孫のウイルスを作っています。」
「究極の寄生生命体であって、外界に置かれたウイルスは全く増えることが出来ません。」
「数分から数時間の後には死滅してしまいます。

そして「ウイルスの意味論」には以下の記述があります。

細胞外での「ウイルス粒子」は生命体らしい活動を行うことは全くなく、物質同然に見える。

ウイルスは熱に特に弱く、紫外線や薬品などでも容易に死ぬ。
しかしウイルスはひとたび生物の細胞に侵入すると細胞のたんぱく質合成装置をハイジャックしてウイルス粒子の各部品を合成させ、それらを組み立てることにより大量に増殖する。

山内さんは次のようにおっしゃっています。
「細胞と比較しますとね、まず普通の生物は細胞が2分裂して、増えていきます。」
「ところがウイルスの場合には、ウイルスはたんぱく質の殻に核酸が包まれている粒子で、それは単なる物質、たんぱく質や核酸からできている物質に過ぎない。」
「でもそれがひとたび細胞の中に入れば完全に生き物。生きていると考えるべきだと思います。」
「それが細胞の中に入っていくと、殻を脱ぎ捨ててバラバラになるというか、核酸が裸になって出てくる。」
「核酸に遺伝情報が含まれているわけですが、その遺伝情報に従って新しくたんぱく質が作られる。」
「勿論、核酸も複製される。」
「それで部品ができてウイルス自身バラバラになった状態で感染性はない、単にバラバラの物質なんですね。」
「その時点が「暗黒期」なんですね。」
「それで新しく核酸が複製されたたんぱく質ができて、組み立てられるとまた感染力を持ったウイルス粒子となってくる。」
「それが外に飛び出していくというかたちを取るわけです。」

「ウイルスの意味論」には以下の記述があります。

暗黒期は生物には見られないウイルス増殖に独特の過程である。
親ウイルスが一旦忍者のように姿を消した後に子ウイルスが生まれるのである。
ウイルスを生命体として見た時、そこには独特な“生”と“死”が存在する。

21世紀初めにシベリアの永久凍土に埋もれていた太古のウイルスが見つかり、しかも生きていた。
古代のウイルスがよみがえり、ヒトに病気を引き起こすこともないとは言えないのである。
ウイルスが生まれてから死ぬまでの一生を眺めてみると、ウイルスは生と死の境界を軽々と飛び越えているように見える。

山内さんは次のようにおっしゃっています。
「結局ウイルスは生きているかどうかという問題と生物か無生物かという問題とからんでくると思うんですが、生きているのか死んでいるのかという時、私は、ウイルスは生きているとずっと思ってきました。」
「生か死か、その境目は私は分かりません。」
「ところが今は、ウイルスは細胞に寄生しなければ増えない。」
「自力で増えないということから生物ではないといったような議論があったんですが、最初にまず生物学辞典を見ると、生命というのは生物の属性といったような表現を取っているんですね。」
「じゃあ、生物は何かというと、生物は生命活動を営むものという循環論法で、これ答えが出てこない。」
「で、生きているということ自身の定義は100以上出されて、言葉の遊びみたいなものになっている。」
「ですから生物と無生物の定義、そのものを見直すというか、また新しい定義を作っていけばいいんだと思うんです。」
「ですから生物か無生物かという議論をするよりは、生き物として作られていけば定義や分類があろうがなかろうが、それは私は関係ないというか、問題ないことだろうと思っています。」

「ウイルスの意味論」には以下の記述があります。

アリストテレスが予言したように生物界と無生物界の境界はますます薄くなってきている。
分子生物学者、ルイス・フュラルエルは「ウイルスは生命と不活性物質の境界をさまよう寄生者」と述べている。
国際ウイルス分類委員会の委員長を務めていたマルク・ファン・レジャンモーテルは「ウイルスは借り物の生命」と言い、分子生物学の創始者の一人、アンドレ・ヨボフは「ウイルスを生き物とみなすかどうかは好みの問題」と語っている。

半世紀以上、ウイルスと付き合ってきた私にとっては、ウイルスは興味が尽きることのない不思議な生命体である。

目には見えない不思議な生命体、ウイルス、その形態が初めて明らかになったのは1939年、それはタバコモザイクウイルスを電子顕微鏡で捉えた写真が発表された時でした。

なお、山内さんは1949年に東京大学に入学しましたが、結核で1年休学し、復学後は農学部獣医・畜産学科に進みました。
これが細菌学・ウイルス学との出会いでした。
山内さんが研究者としての第一歩を踏み出しだのは、日本のウイルス学が細菌学から独立し、学問として大きく進展し始めていた頃です。
大学を卒業後、山内さんは“日本の細菌学の父”と呼ばれた北里柴三郎が設立した北里研究所に就職、ここでその後の研究者人生を決定づけるあるテーマに取り組むことになります。
天然痘ワクチンの改良です。
山内さんは次のようにおっしゃっています。
「それで、日本でも明治の初めからそういう天然痘ワクチン、北里柴三郎のいた伝染病研究所などでも始めていたわけですけが、ちょうど終戦後、大陸からの帰還者が天然痘を持ち込んで大量のワクチンが必要になって、それで400kgくらいある大人の牛を使ってワクチンをつくるということになった。」
「大人の牛を仰向けに寝かすわけですから、4つの足に紐をかけて、ひっぱって仰向けに寝かして、それでお腹一面に毛を剃って種痘するわけです。」
「ちょうど病変は子どもの水痘、水ぼうそう、あれと同じようなものができてくるわけです。」
「それをかき取ったものが天然痘ワクチンです。」
「その種痘のうみを取って人に接種すると、天然痘の根絶もそのワクチンで達成されたんです。」
「たまたま私が大学から北里研究所に入って、最初に天然痘ワクチンの製造と改良とそういう仕事をやらされたということです。」

天然痘の根絶を達成した後も、麻疹ワクチンの国家検定、遺伝子工学を利用した遺伝子組み換えワクチンの開発など。山内さんはワクチン研究の最前線で活躍を続けます。

山内さんのウイルス研究はその大半が人類が感染症を克服するためのワクチン開発を目的としたものでした。
山内さんはその著書「エマージングウイルスの世紀 人獣共通感染症の恐怖を超えて」で次のように述べています。

ウイルス感染に対する最も強力な武器はワクチンによる予防である。
ほとんどのウイルスでは抗生物質のような薬は無効である。
ワクチンのみがウイルスへの対応手段であると言ってよい。

山内さんは次のようにおっしゃっています。
「(山内さんにとって、ワクチンをつくるということはウイルス、病原を退治するという、根絶するんだとか排除するんだという対象としてワクチンをつくっていたのかという問いに対して、)それはテーマとして抱えていた。」
「例えば天然痘ワクチンの時は「天然痘根絶」ということは当然頭にありました。」
「そういう時は根絶の対象として。」
「でも「敵対」というような感覚はなかったですね。」
「ウイルスは脅威であるということは非常によく分かっています。」
「ウイルスが、例えば私が研究していた牛疫ウイルスなんていうのは紀元4世紀頃にローマ帝国が当時分裂するそのきっかけは、牛を全滅させて、農耕の担い手である牛がいなくなってしまって、それで飢饉が起きて、それで東西ローマ帝国が分裂するきっかけになったというような、そういうふうにものすごい脅威のあるのが昔から分かっていたわけ。」
「ですから、そういう人間社会のために対策を施しておくということはずっと言ってきたつもりなんです。」
「ですから、それが人間にはやはり来たら困ると。」
「ですから、対策としてちゃんとそういうウイルスの脅威に対しては、まず来るか発生するか予測をして、その恐れがあったらそれを防いで防止して、それで実際に発生があった時にどのウイルスかという言葉で確認して、それから対応していくという。」
「今回の新型コロナウイルスなんかの場合ですと、コウモリから発生の危険性は2010年代からいくつもそういう学術論文は出ているんですね、危険だという。」
「ですから、ウイルスは脅威でないということは考えない。」
「ただ自分の研究対象として捉えていった時に、そういう意識が頭の中にあったか、そうですね、ここは説明が難しいですね。」
「ウイルスは脅威であるということは常に認識していなければいけない。」
「それと自分が研究の時に取り扱っているウイルスは全然別の話なんですね。」

「脅威ではあるが、敵対するものではない」、ワクチンの研究開発を通して山内さんはウイルスという不思議な生命体を独特の眼差しで捉えるようになっていきます。

「ウイルスの意味論」には以下の記述があります。

ウイルスゲノムの解析が容易となり、ウイルスの生態について新たな情報が急速に蓄積し始めた。
従来の病原体としてのウイルス像はウイルスの真の姿ではなく、きわめて限られた側面を見たものに過ぎないことが明らかになってきている。

海は地球上で最大のウイルス貯蔵庫であることが認識され、我々の体にも腸内細菌や皮膚常在菌などに寄生する膨大な数のウイルスが存在する。
つまり、我々はウイルスに囲まれ、ウイルスとともに生きているのである。

63歳の時、山内さんはウイルスの奥深い世界を広く一般の人たちにも知ってもらおうとインターネット講座「人獣共通感染症 連続講座」を開設(1995〜2009年)、エボラ出血熱、BSE、口蹄疫、SARSなど、当時世界的な関心を集めていた感染症について情報発信を始めました。
山内さんのウイルス解説は思わぬ反響を呼び、専門家だけでなく、一般の読者との間にも様々な意見や感想が交わされるようになっていきます。
その中に山内さんの価値観を激しく揺さぶる問いかけがありました。
山内さんは次のようにおっしゃっています。
「人獣共通感染症(インターネット)講座では、恐ろしいウイルスの話が中心だったんですね。」
「そしたらば、細菌に悪玉菌と善玉菌がある。」
「で、「ウイルスの場合には、善玉ウイルスはないですか」という質問があったんですね。」
「これはかなり驚いたというか、“目から鱗”みたいな感じで受け止めたんです。」
「これ2000年頃だと思うんですが、もうその頃は人間にとっても非常に役に立つウイルスの存在は分かりつつあって、私も知っていたんですが、善玉ウイルスというキーワードで見直すということはなかったんですね。」
「ですからウイルスに対する見方が変わったんじゃない。」
「ウイルス世界への見方が変わってきた。」
「それでむしろ病気を離れたウイルスをもっと詳しく見ていくようになって、また違った世界が見えてきた。」
「それまでも見てはいたんです。」
「ただ頭の中で整理が出来ていなかった。」
「そういうことでこれはかなり大きな転換点になったんだと思います。」

「ウイルスの意味論」には以下の記述があります。

私がそれまで眺めてきたウイルスの世界は実は病気の原因としてのウイルスという限られた側面だけだったということに気がつきました。
それまで病気の原因としてのウイルスの研究に取り組んでいた私には善玉ウイルスの存在は考えてもみなかったことです。

ウイルスの自然宿主ではウイルスは共存を図っています。
西ナイル熱、SARS,鳥インフルエンザのようなキラーウイルスと呼ばれる悪玉ウイルスの側面は人間が作り出した現在社会のみで起きているものです。

やがて山内さんは、善玉、悪玉という区別をも超えてウイルスが存在するそもそもの意味を問い直すようになっていきました。
山内さんは次のようにおっしゃっています。
「善玉ウイルスというキーワードがまず出てきた。」
「で、善玉ウイルスというキーワードから善玉に限らず中立的な立場でウイルスの世界を眺めてみて、これまで私はウイルスの世界そのものを紹介していたけど、実はどんな意味があるかという意味まで考えるようになって、それはウイルスにとって人間の世界って別に人間は特別な動物とは受け止められませんから、たまたまここが居心地がいいか悪いかというのは全然分かりませんね。」
「そういったことをウイルスは感じているわけでもない。」
「ウイルスそのものの立場に立てば、ウイルスは自分の非常に中立的な立場で自分の子孫を残していくための適した場所というか、住み易い場所を見つけていくという存在なんですね。」

山内さんは、その著書「ウイルスの意味論 生命の定義を超えた存在」で次のように述べています。

チャールズ・ダーウィンは1860年、友人のエイザ・グレイ宛の手紙で自然の最も残酷な例としてヒメバチの生態をあげ、「私は慈悲深く万能の神が、生きたイモムシの身体の中身を餌にさせることをはっきり意図してヒメバチを創造されたことに納得出来ません。」と書きました。

山内さんはあるウイルスに注目しました。
ヒメバチの卵巣に寄生するポリドナウイルスです。
山内さんは次のようにおっしゃっています。
「そこでポリドナウイルスなどももう一度考え直すと。」
「それでポリドナウイルスを調べていくと、あのエピソードは非常に面白いエピソードだったんですが、ヒメバチがイモムシに自分の卵を注入すると、その時一緒にポリドナウイルスも入っていって、そのポリドナウイルスが非常に巧妙な戦術というか手段を使って子どもを孵(かえ)していくというようなことも分かってきたというか。」

本来なら、異物であるハチの卵がイモムシの体内に入ってくるとイモムシの自己防衛機能により血液中の血球がハチの卵を取り囲んで殺すはずである。
しかしポリドナウイルスのDNAには免疫抑制遺伝子が含まれていてイモムシの免疫細胞を麻痺させてしまい、ハチの卵を殺すのを阻止する。
またポリドナウイルスはイモムシにハチの幼虫の餌となる糖を生産させ、更にイモムシの内分泌系を満たして、イモムシが蝶や峨に変態するのを阻止する。
ふ化したハチの幼虫はイモムシの体内にまず脂肪体、次いでイモムシが生きるのに重要ではない器官を餌とし、十分に発達すると、重要な器官を食べ、皮を食い破って外界に這い出る。
ポリドナウイルスはハチにとっては幼虫の生存を支える頼もしい共犯者である。
ハチが生存すればウイルスも存続出来、ハチとウイルスの双方にとって利益がある。
一方で、イモムシにとっては恐ろしい病原体となる。

もしダーウィンが生きていたら、ハチ、ポリドナウイルス、イモムシのこの不思議な関係を何というだろうか。
山内さんは次のようにおっしゃっています。
「私にとっては人間がヒメバチであって、イモムシが自然生態系であると。」
「そうすると、ウイルスは人間が手助けをして、結果的に自然生態系を破壊していくっていう結果になっているように思えてならないんですね。」
「私は、20世紀は“根絶の時代”というか、ウイルスの根絶を目指した時代であったと。」
「21世紀は“共生の時代”であると、」
「共に生きる。」
「それで自然界に、というか元々ウイルスそのものが30億年前には地球上に現れて、人間は現生人類でホモサピエンスだったら20万年前なんですね。」
「生命の1年歴というのがあるんです。」
「これは地球が46億年前にできて、そこから現代までを1年に例えると、ウイルスが出現したのが5月の始めなんです。」
「人間が出現したのは12月31日の最後の数秒だったと。」
「ほんのひと時なんです。」
「ですから、ウイルス対人類とか言ったって、ウイルスにとっては人間なんて取るに足らない存在だと思う。」
「ですから、やはりそういう中に我々は生きているわけですから、いかに共生をしていく、共に生きていくか。」
「勿論、ウイルスは長い間、コロナウイルスに例えていえば、コウモリという宿主でずっと1万年からやってきている。」
「そこから人間に来なければいいだけです。」
「来るように仕向けているのが人間社会なんですね。」
「その時には“ウイルス対人類”と考えてもいいんですが、ただ敵というか、相手というか、これはもう勝つとか負けるとかいう相手じゃないんですね。」
「全然もう違う存在だと思います。」

「我々の遺伝子のヒトゲノムですね。」
「この4割ぐらいはウイルスなんですね。」
「我々自身の中に、ウイルスと私たち人間と一体化しているというか、完全に身の内なんです。」
「そして腸内細菌は100兆ぐらいあるわけですが、1つの細菌に10以上のウイルスがいると言われているんですね。」
「すると1千兆ですね。」
「それだけのウイルスが我々の体の中にはいるということなんですね。」
「ですから、ウイルスと人との区別はそうなってくると中々つけがたい。」
「ウイルスといっても病気を起こすというウイルスだけじゃないわけですから、まさに我々はウイルスと一緒に生きているわけです。」
「コロナみたいな野生のウイルスと共生するということだけではなくて、我々の体の中のウイルスも一緒に生きているということは認識しておくべきだろうと思います。」

以上、番組の内容の一部をご紹介してきました。

この要旨を以下にまとめてみました。
・ウイルス研究者の山内さんにとってウイルスは人生のパートナーである。
・ウイルスは非常に多様な性質を持った存在である。
・ウイルスは30億年前から地球上に存在してきた生命体である。
・それに対して我々人類、ホモサピエンスが地球上に現れたのはわずか20万年前で、
人類は有史以来ウイルスと共に生きてきた。
・人類はウイルスと一緒に生きているわけで、勝つとか負けるとかという相手ではない。
・新型コロナウイルスはインフルエンザに比べてRNA(リボ核酸)のサイズは大きいので、その分コピーする時にそれだけミスが起き易く、従って変異していく可能性が高い。
・コロナウイルスはコウモリと1万年ぐらいは共存してきているが、たまたま人の世界に入り込んできた。
・従って、人類が遭遇したことのないウイルスが入ってきた場合には免疫がないので感染拡大は不思議ではない。

・20世紀後半、ウイルスは30億年にわたるその生命史上初めて激動の環境に直面することになった。
・現在、我々の周囲に存在するウイルスの多くは恐らく数百万年から数千万年にもわたって宿主生物と平和共存してきたものである。
・人間社会との遭遇は、ウイルスにとってはその長い歴史の中のほんの一コマにすぎない。
・しかし、わずか数十年の間にウイルスは人間社会の中でそれまでに経験したことのない様々なプレッシャーを受けるようになった。
・我々にとっての激動の世界はウイルスにとっても同じなのである。

・細菌は増殖するのに必要な情報と機能を兼ね備えている。
・一方、ウイルスは核酸を持っているが、代謝機構もエネルギー機構も持っていないので、全て他の生物の細胞の代謝機構を借りて子孫のウイルスを作っている。
・ウイルスは究極の寄生生命体であって、外界に置かれたウイルスは全く増えることが出来ない。
・細胞外での「ウイルス粒子」は生命体らしい活動を行うことは全くなく、物質同然に見える。
・ウイルスは熱に特に弱く、紫外線や薬品などでも容易に死ぬ。
・しかしウイルスはひとたび生物の細胞に侵入すると細胞のたんぱく質合成装置をハイジャックしてウイルス粒子の各部品を合成させ、それらを組み立てることにより大量に増殖する。
・暗黒期は生物には見られないウイルス増殖に独特の過程である。親ウイルスが一旦忍者のように姿を消した後に子ウイルスが生まれるのである。ウイルスを生命体として見た時、そこには独特な“生”と“死”が存在する。
・21世紀初めにシベリアの永久凍土に埋もれていた太古のウイルスが見つかり、しかも生きていた。古代のウイルスがよみがえり、ヒトに病気を引き起こすこともないとは言えないのである。
・ウイルスが生まれてから死ぬまでの一生を眺めてみると、ウイルスは生と死の境界を軽々と飛び越えているように見える。
・生物と無生物の定義、そのものを見直すというか、また新しい定義を作っていけばいいんだと思う。
・ウイルス感染に対する最も強力な武器はワクチンによる予防である。ほとんどのウイルスでは抗生物質のような薬は無効である。ワクチンのみがウイルスへの対応手段であると言ってよい。
・牛疫ウイルスは、紀元4世紀頃にローマ帝国が当時分裂するそのきっかけは、牛を全滅させて、農耕の担い手である牛がいなくなってしまって、それで飢饉が起きて東西ローマ帝国が分裂するきっかけになった。
・対策としてちゃんとそういうウイルスの脅威に対しては、まず来るか発生するか予測をして、その恐れがあったらそれを防いで防止して、それで実際に発生があった時にどのウイルスかという言葉で確認して、それから対応していくことが必要である。
・今回の新型コロナウイルスは、コウモリから発生の危険性は2010年代からいくつもそういう学術論文は出ている。
・海は地球上で最大のウイルス貯蔵庫であることが認識され、我々の体にも腸内細菌や皮膚常在菌などに寄生する膨大な数のウイルスが存在する。つまり、我々はウイルスに囲まれ、ウイルスとともに生きているのである。
・ウイルスの自然宿主ではウイルスは共存を図っている。
・西ナイル熱、SARS,鳥インフルエンザのようなキラーウイルスと呼ばれる悪玉ウイルスの側面は人間が作り出した現在社会のみで起きているものです。
・ウイルスの立場に立てば、ウイルスは自分の非常に中立的な立場で自分の子孫を残していくための適した場所というか、住み易い場所を見つけていくという存在である。
・20世紀はウイルスの“根絶の時代”であったが、21世紀は“共生の時代”である。
・生命の1年歴で見れば、地球が46億年前にできて、そこから現代までを1年に例えると、ウイルスが出現したのが5月の始めであり、人間が出現したのは12月31日の最後の数秒であった。
・従って、ウイルスにとっては人間は取るに足らない存在である。
・ウイルスは長い間、コロナウイルスに例えていえば、コウモリという宿主でずっと1万年からやってきているが、人に来るように仕向けているのが人間社会である。
・我々の遺伝子のヒトゲノムの4割ぐらいはウイルスで、我々自身の中でウイルスと私たち人間とは一体化しており、「ウイルスといっても病気を起こすというウイルスだけじゃないので、我々はウイルスと一緒に生きているわけである。

以上、番組の要旨をまとめてみました。

それでも沢山の内容を含んでいるので私の頭の中は混乱した状況が続いています。
それでも特に興味を引いた内容は以下の通りです。
・ウイルスは生命体としては、その生存期間でみると、我々人類と比べるととてつもなく大先輩であること
・新型コロナウイルスはインフルエンザに比べて変異していく可能性が高いこと
 ということは新型コロナウイルスは感染拡大が続く限り、まだまだ変異を繰り返し、インフルエンザに比べて私たち人類にとって根絶しにくいウイルスということになります。
・21世紀初めにシベリアの永久凍土に埋もれていた太古のウイルスが見つかり、しかも生きていたこと
 太古のウイルスが現在も生存している可能性があり、ヒトに感染する可能性があるということは想像を絶することで、ウイルスの生命体としての計り知れない生命力を感じさせます。
・ウイルスは、生物と無生物の定義を見直す存在であること
 このことだけでも山内さんにとってウイルスは人生のパートナーであるということがうなづけます。
・ウイルス感染に対する最も強力な武器はワクチンによる予防であること
 あらためて新型コロナウイルス、および変異ウイルスの感染収束に向けて、ワクチン接種が有効であることが分かります。
・牛疫ウイルスの感染拡大が東西ローマ帝国分裂のきっかけになったこと
 今回の新型コロナウイルスの感染拡大のきっかけは、中国・武漢のウイルス研究所で作られたウイルスという説がにわかに有力視されていますが、ウイルスが生物兵器としての威力があるだけでなく、研究開発中のウイルスが外部に漏れた場合の世界的な脅威を考えると、ウイルス研究の是非についての議論の必要性をあらためて感じます。
・ウイルスの自然宿主ではウイルスは共存を図っているが、人に来るように仕向けているのは人間社会であること
 このことはとても重い言葉だと思います。
 本来、ウイルスは自然宿主との共存を図っているのですが、それを人類の活動がウイルスを自らへ感染させるように仕向けているということなのです。
 ですから、人類は今も世界的に見て収束からほど遠い新型コロナウイルスの感染拡大という状況の根本原因に真摯に向き合うことがとても重要なのです。
・ウイルスと私たち人間とは一体化しており、ウイルスと一緒に生きていること
 この事実も驚きです。
 ウイルスというとヒトに感染するという悪いイメージがありますが、私たち人類の体の一部はウイルスで構成されているのです。

こうしてウイルスについてみてくると、ウイルスは人類にとって脅威であると同時に人類にとってウイルスはなくてはならない存在なのです。
また、歴史的には長い期間、ウイルスは自然宿主との共存を図ってきました。
ところが今ではウイルスは感染というかたちで人類にとって脅威になっています。
そして、その背景には人類の社会活動があるというのです。
ということは、見方によっては、人類こそ地球上のあらゆる生物の生存体系を脅かし続けている存在なのではないかという疑念が湧いてきます。

人類は18世紀の産業革命以来、その活動がこれまで地球環境の破壊、そして地球温暖化の進行をもたらしてきましたが、ようやく20世紀後半頃からこうした問題に徐々に向き合うようになってきました、
そして、現在、“持続可能な社会”、あるいは“SDGs”をキーワードにしてこうした問題に真正面から向き合うようになりました。
私たち人類は今こそ地球上の“悪玉菌”から“善玉菌”へと変身を遂げる時を迎えているのです。

 
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