2021年05月02日
No.4944 ちょっと一休み その772 『渋沢栄一はSDGsを先取りしていた!?』

今や、SDGs、すなわち“持続可能な開発目標”という言葉を聞かない日はないくらい、この言葉は国内外を問わず浸透しているようです。(参照:No.4578 ちょっと一休み その710 『日本も国家としてSDGsに真剣に取り組むべき!』

そうした中、4月3日(土)放送の「BS1スペシャル」(NHKBS1)で「渋沢栄一に学ぶSDGs “持続可能な経済”をめざして」をテーマに取り上げていました。

そこで、番組を通して渋沢栄一の考え方がSDGsにつながっていることを中心にご紹介します。

 

1873年、渋沢栄一は日本初の民間銀行、第一国立銀行(現在はみずほ銀行が承継)を創設しました。

その偉大な功績から“日本資本主義の父”と呼ばれています。

以下は当時の第一国立銀行設立の株主募集文に記された言葉です。

 

銀行は大きな河のようなものだ。

役に立つことは限りない。

しかし、まだ銀行に集まってこない金は溝に溜まっている水やポタポタ垂れている滴と変わりない。

 

この言葉には資本主義の本質と“持続可能な経済”を目指すヒントが隠されているといいます。

渋沢栄一の玄孫にあたる澁澤健さんは自らも投資会社、コモンズ投信株式会社を運営する金融マンです。

健さんは次のようにおっしゃっています。

「渋沢栄一は資本主義という言葉は使っていなくて、合本主義だったんですね。」

「つまり、価値を作るもとがあって、それを合わせて新たな価値を作ることが合本主義なので、そういうふうに考えると一滴一滴の滴というのがもとであり、ステークホルダー(企業活動を行う上で関わる全ての人)であり、一人では何も出来ない。」

「けれどもそれぞれがそれぞれの役割を果たすことによって、新たな価値を作るっていうことを考えると、実は今の時代の流れになっているステークホルダー資本主義と同じような考えが、日本に今から150年近く前に、日本で資本主義を導入した時から同じような思想を持っていたのが渋沢栄一だと私は思っています。」

 

「「論語と算盤」を今の言葉で表現すると、それはサステイナビリティ、持続可能性だと思います。」

「算盤勘定が出来なければ、当然ながらそこにはサステイナビリティがない。」

「けれども、算盤だけを見つめているとどこかでつまずいてしまうかもしれないということだと思うんですね。」

 

道徳経済合一説と言われる栄一の思想は今、世界から注目されています。

特にリーマンショック後、自分さえ儲かれば良いという強欲な金融資本主義に批判が高まり、栄一の言葉の重さが際立ったのです。

渋沢栄一の著書「論語と算盤」(1916年出版)には次の一節が書かれています。

 

富をなす根源は何かといえば神器道徳

正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができない

 

国連開発計画(UNDP)のSDGインパクトという委員会のメンバーを務める健さんはこの言葉こそ現在のSDGsに通じるものだといいます。

貧困撲滅、気候変動対策、不平等の是正などを掲げ、2015年に採択されたSDGs(持続可能な開発目標)、国際社会が2030年までの達成を約束した共通のゴール、誰一人取り残さない社会の実現がその理念です。

健さんは次のようにおっしゃっています。

「「論語と算盤」の中では、経営者一人がいかに大富豪になったとしても、そのために社会の多数が貧困に陥るようなことでは、その幸福は継続されないということを言っていますよね。」

「つまり、1%だけが大富豪になっても99%が取り残されてしまうのであれば、幸福は継続されないということなんです。」

「取り残されないということは、SDGsが言っている“誰一人取り残さない”と同じことじゃないのかなと。」

 

「青淵百話」には次の一節が書かれています。

 

私の個人的な見解としては、一人の個人に利益がある仕事よりも多く社会に利益のあるものでなければならないと思う

元来、人がこの世に生まれてきた以上は自分のためのみならず、必ず何か世のためになるべきことをなすの義務があるものと余は信ずる

 

さて、持続可能な経済を目指した渋沢栄一は企業の設立だけでなく、教育や社会福祉事業にも熱心に取り組みました。

生涯に600もの団体に関わったといいます。

中でも力を入れたのが女子教育でした。

「青淵百話」には次の一節が書かれています。

 

女子もやはり社会を構成するうえでその半分の責任を負っているのだから、男子と同様に重んじるべきではないだろうか

 

栄一は日本女子大学(1901年創立)などの設立にも貢献しました。

当時としては画期的な女子の高等教育、良妻賢母を育てる目的でしたが、女性が教養を持つことで子どもの教育レベルが上がり、日本全体の国力が向上すると考えたのです。

 

なお、母、慈恵の慈愛を心を受け継いだ栄一は社会福祉事業にも力を注ぎました。

生活困窮者が数多くいた当時の東京、1874年、栄一は貧しい人、病気の人、老人や障害のある人、孤児などの保護施設、東京養育院(現在の東京都健康長寿医療センター)の運営を始めました。

「論語と算盤」には次の一節が書かれています。

 

人道や経済の面から弱者を救うのは必然のことであるが、(中略)なるべく直接保護を避けて防貧の方法を講じたい

 

そんな栄一が逆境の時こそ力を尽くすという信念のもと、奔走したのが1923年の関東大震災でした。

当時83歳、兜町の事務所が全焼し、息子たちは埼玉の生家に帰ることを勧めたが、栄一は断固として断りました。

渋沢英雄著「渋沢栄一」には次の一節が書かれています。

 

こういう時にいささかなりとも働いてこそ生きている申し訳が立つようなものだ

 

そして世界中から資金を集め、被災者の支援の先頭に立ちました。

「みんなで豊かになる、誰一人取り残さない」、そんな生き方を貫いた栄一を象徴する出来事でした。

 

さて、東急も渋沢栄一が1918年に設立した田園都市株式会社がその前身となります。

当時の栄一は喜寿を超え、経済界の主な役職から引退していました。

だが、海外から刺激を受けた理想のまちづくりに情熱を傾けました。

「青淵回顧録」には次の一節が書かれています。

 

都会が膨張すればするほど自然の要素が人間生活の間から欠けていく

わが国に田園都市のようなものを造って都市生活の欠陥を幾分でも補うようにしたいものだ

 

渋沢栄一の構想で造られた田園調布(東京都大田区)、緑豊かな田園都市です。

住民たちは厳しい自主規制によって街並みを守り続けてきました。

 

なお、健さんは次のようにおっしゃっています。

「SDGsが出来るか出来ないか、あるいはカーボンゼロが出来るか出来ないかっていう判断は、勿論出来ることが大事なんですけども、そもそもその2030年の誰一人も取り残さないという未来を見たいんですかというベクトルが立っているか、あるいは2050年までにカーボンゼロの世の中を見たいんですかというそこのベクトルを立てていること、これが大事ということを渋沢氏は言っているんじゃないかなと思いますね。」

 

さて、番組の最後に渋沢栄一の貴重な肉声を番組は伝えています。

それは1923年6月13日の東京・赤坂での講演の一節です。

 

国家は国民が富むことさえ出来れば道徳が欠けても神器が行われなくともよいという人は誰もいないと思う

こう考えてみると、今日論語を基本にした私の主義である「道徳経済合一説」がいつの日か広く世の中に普及し、社会に受け入れられるようになるであろうと大いに期待するのであります

 

以上、番組の内容の一部をご紹介してきました。

 

そもそも資本主義のみならず共産主義などどんな国においても何か事業に取り組むうえで、”ヒト(人材)、モノ(施設など)、カネ(資金)”の3要素は必須です。

そして渋沢栄一は、”カネ”における銀行、および株式制度の役割の重要性を説いているのです。

そして、銀行による企業への貸付金の源は私たち一人一人、あるいは企業による預金なのです。

なお、現在では株式上場による資金調達なども同様の役割を担っています。

ですから、資本主義のこうした本質を理解したうえで、渋沢栄一は日本初の民間銀行、第一国立銀行を創設したというわけです。

 

また、渋沢栄一は合本主義を唱えておりますが、この考え方は、これまで何度となく繰り返しお伝えしてきた「アイデアは既存の要素の組み合わせである」という考え方につながります。

すなわち、様々な”ヒト、モノ、カネ”の組み合わせにより事業に取り組むことが出来るので、この組み合わせをタイムリーに遂行するうえで、タンス預金のような眠っている”カネ”を集めて貸付、あるいは投資に回す銀行の役割を重視しているのです。

 

さて、渋沢栄一には「論語と算盤」という著書がありますが、この「論語」は「道徳」を、そして「算盤」は「科学的思考に基づいた合理的な経営」に対応しています。

そして、合理的な経営の中には、”カネ”だけでなく、”ヒト、モノ”の合理的な活用も含まれるのです。

ちなみに、ウィキペディアには、道徳について以下の記述があります。

 

道徳は、中国の古典を由来とする観念であり、「道」と「徳」という2つの考えからなる。道とは、人が従うべきルールのことであり、徳とは、そのルールを守ることができる状態をいう。道徳的規範や道徳性ともいう。倫理はいくつかの意味をもち、道徳を表すことが多い。モラルとも称される。

 

なお、「論語と算盤」という著書の命名ですが、なぜ「論語」を先にしたのか、ここにも渋沢栄一のこだわりを感じます。

始めに企業ありき、あるいは利益ありきではなく、道徳に則った”みんなで豊かになる、誰一人取り残さない社会の実現”のための手段として合理的な企業活動は存在意義があるという渋沢栄一の熱い想いです。

 

一方で、渋沢栄一は企業の設立だけでなく、教育や社会福祉事業にも熱心に取り組みました。

更に、女子教育や社会福祉事業にも力を注ぎました。

また、理想のまちづくりに情熱を傾け、緑豊かな田園都市、田園調布を造りました。

なお、田園調布は今も住民たちが厳しい自主規制によって街並みを守り続けているといいます。

そして、関東大震災の時には世界中から資金を集め、被災者の支援の先頭に立ちました。

ですから、渋沢栄一はどんな時も「みんなで豊かになる、誰一人取り残さない」という生き方を貫いていたのです。

ちなみに、この「誰一人取り残さない」については、ベーシックインカム(参照:アイデアよもやま話 No.3401 ”仕事がない世界”がやってくる その3 新たな生活保障制度の必要性!)がこの考え方に通じる一つの具体策だと言えます。

 

ようやく世界各国はSDGsを旗印に、1923年6月13日の東京・赤坂での渋沢栄一の講演の一節にある渋沢栄一の思い描いた社会を目指して本格的に動き出したといえます。

 

こうして見てくると、渋沢栄一は文字通り”日本資本主義の父”であるばかりでなく、既に150年ほど前にSDGsと同等のゴールを目指して真摯に取り組んでいた先駆者と言える、日本が世界に誇れる優れた人物の一人と言えます。


 
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