2020年09月06日
No.4740 ちょっと一休み その737 『オンライン飲み会は定着しない!?』

5月20日(水)放送の「ワールドビジネスサテライト」(テレビ東京)でオンライン飲み会について取り上げていたのでご紹介します。

 

変わることがない人間の本性を踏まえて独自の仕事論を提唱している、一橋大学教授の楠木健さんは人間の本質を捉えることでコロナ時代の社会のあり方も見えてくるといいます。

番組の「コロナに思う」コーナーで、楠木教授は次のようにおっしゃっています。

「私がこういう大きなショックが起きた時に大切だと思っているのは、人間の本性を理解するということでありまして、オンライン飲み会をみんながするようになったのも、人間が本性としてそういうものを求めるからだと思うんですね。」

「ただし、ポストコロナがどうなるかを考えてみると、私は個人的にはオンライン飲み会は定着しないと思っています。」

「やっぱり人間の本性として絶対にサシで会って話さなければいけないことがいっぱいあるわけで、コロナの制約が取れたら全部が全部オンラインになるということもこれまたないと思うんですね。」

「飲食店であるとか、それから航空業界だとか、宿泊業界とか、本当に経営が苦しいと思うんですね。」

「ただ、こうしたものの多くは人間の本性に根差した需要なんです。」

「人間の本性に根差した需要が最強の実需でありまして、私は必ず戻ってくると思うんですね。」

「今回のコロナにしましても、これまでの大きな危機と同じように“喉元過ぎれば熱さを忘れる”というか、結局みんなすっかり忘れてしまうのではないか。」

「やっぱりネガティブなことは忘れてしまうのが人間の本性だと思います。」

「多くの場合、人間の不幸はコントロール出来ないことをコントロールしようとするところから生まれていると思うんです。」

「やはり、世の中進歩しまして、いろんな技術も使えるようになって、この21世紀、かなり無痛社会になって来たのかなと。」

「ペインレスということですね。」

「どうしようもないことに対して謙虚であるべきだと思うんですね。」

「そういうちょっと失われていたかもしれない謙虚さを取り戻す。」

「それもまた喉元過ぎれば全て熱さを忘れてしまうのかもしれませんけども、少しの間でもそれを考える機会ではないかと思っています。」

 

以上、番組の内容をご紹介してきました。

 

番組を通して、最も印象に残ったのは「人間の本性に根差した需要が最強の実需」という言葉です。

ここで思い起こされるのは有名なマズローの提唱した人間の基本的欲求の5段階説です。

この法則によれば、人間の欲望にはまず「生理的欲求」、次に「安全の欲求」、「社会的欲求 / 所属と愛の欲求」、「承認(尊重)の欲求」そして最後に「自己実現の欲求」と続きます。(参照:アイデアよもやま話 No.3935 AIは敵か味方か? その5 AI時代の生きがい

 

今回の新型コロナウイルスに照らしてみると、食品、あるいはオンラインゲームなどは「生理的欲求」、そしてマスクや消毒液、あるいは“巣ごもり消費”などは「安全の欲求」に対応すると思います。

また、オンライン飲み会は「社会的欲求 / 所属と愛の欲求」に対応すると思います。

しかし、こうした飲み会の本来の欲求は直接顔を合わせての飲み会であり、それが出来ないのでその代替手段と言えます。

ですから、新型コロナウイルス終息後にはまた従来の飲み会が主流になるはずです。

しかし、いろいろな都合でこうした飲み会が出来ない場合の代替手段としては残り続けると思います。

あくまでも代替手段としてです。

 

このように、新型コロナウイルス終息後においては今“新しい生活様式”として言われているものは以下のように分類出来ます。

・定着しないでなくなる

・従来の生活様式の代替手段として残る

・従来の生活様式に取って代わる

 

さて、もう一つ印象に残ったのは「人間の不幸はコントロール出来ないことをコントロールしようとするところから生まれている」という言葉です。

この言葉は微妙な響きがあります。

というのは、人間の努力では期限内に到底出来ないことや将来的にも100%出来ないことと今は出来ないけれども努力次第で出来るようになる可能性を秘めていることがあるからです。

ですから、前者については自分のコントロールが効かず所詮無理があるわけですから、諦めない限りストレスが溜まるだけです。

すなわちいつまで経っても幸福感を味わうことは出来ません。

一方、後者については自分自身のコントロールが効き、努力次第で達成出来ると見込まれるので、出来上がるまでにはそれなりの苦労を伴いますがコントロール下にあるので、いずれ出来るという自信が持てるので自分は不幸だという気持ちになることはないのです。

 

ということで、物事に取り組む際にはこの見極めがとても重要になります。

ただ、どちらにしても一生懸命に取り組んだ場合は全くの無駄ということはありません。

なぜならば、いつどんな時に自分のやってきたことが役立つか分からないからです。

ですから、何事においてもやる以上は一生懸命に取り組んだ方が良いと思うのです。


 
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