2020年05月03日
No.4632 ちょっと一休み その719 『今こそ新型コロナウイルス対策で問われる日本という国のあり方』

これまでお伝えしてきたように、今、日本は新型コロナウイルスでオーバーシュート(爆発的な患者数の増加)にならずに踏み止まり続けていますが、もし、このままオーバーシュートに至らずに収束を迎えられることが出来れば、まさに多くの日本国民による「3つの密」(密閉・密集・密接)の抑制が功を奏したことになります。

そのベースには、規律を重んじる国民性、あるいは他人に迷惑をかけない恥の文化があると思います。

東日本大震災の時にも、被災地において火事場泥棒のような盗難はあまり発生せず、海外メディアからも称賛されたと報じられていました。

 

勿論、全ての国民がこうした善人というわけではありませんが、大多数の国民が今こそ恥の文化、あるいは規律を重んじる国民性を発揮すれば、オーバーシュートにならずに収束を迎えることが出来るのです。

まさに、日本国民の国民性の良さが今あらためて問われていると言えるのです。

 

そして、他の多くの国々が新型コロナウイルス対策で、国民に対する罰金などの法規制やロックダウン(都市封鎖)をしている中で、政府や地方自治体からの要請だけで日本が新型コロナウイルスとの闘いに勝利することが出来れば、あらためて日本の国民性の良さは世界的に脚光を浴びると期待出来ます。

そして、新型コロナウイルスの世界的な収束後も日本の優れた国民性は、外交的にも、あるいは“観光立国”などを推進するうえでもとても有効に働くと大いに期待出来ます。

更には、こうした国民の姿勢、取り組みは次なる国難に対してもそれを乗り越えるうえでの大きな自信にもつながると思います。

 

No.4626 ちょっと一休み その718 『新型コロナウイルス対策におけるビッグデータの活用で民主主義が問われている!?』でビッグデータの観点から民主主義のあり方についてお伝えしましたが、こうしたテクノロジーに依存しないところにおいても、国民としての義務と責任を果たすべきところはいろいろあるのです。

端的には、今回の新型コロナウイルスにおける日本政府の後手後手に見える取り組み方にいろいろ不満を感じる国民は多いと思いますが、そうした政権政党、あるいは国会議員を選挙で選んでしまった責任は国民にあるのです。

それでもただ政府の対策にいろいろ不満をぶちまけているだけで、新型コロナウイルス問題を何とかしなければ、これまでの暮らしを取り戻すことは出来ないのです。

ここで救いなのは、今回の新型コロナウイルスの感染拡大の収束に向けては、「3つの密」を避け、接触を8割減らせば、短期間で収束出来ることが明らかなことです。

その結果、新型コロナウイルス感染者数の増大による、次のような国家的な大問題が解決に向けて動き出すのです。

・高齢者や医療関係者を始めとする国民の感染/死亡者数の増大

・医療崩壊

・経済の壊滅的打撃

 

ところが、残念ながら現状からすると、政府が定めた緊急事態宣言の期限、5月6日を迎える時点でも期限の延長は避けられない状況です。

ですから、国民一人ひとりの真剣な対応が求められるのです。

一方、国民による「3つの密」の不十分な抑制により新型コロナウイルスとの闘いに敗れるようなことがあれば、オーバーシュートをもたらし、健康的にも経済的にも長期的に大変な状況が続くことになってしまうのです。

更に、政府による緊急事態宣言に伴う企業の休業や労働者の収入減への支援が行き届かなければ、企業の倒産や自殺者の増加をもたらすことは明らかです。

そして、その時期は刻々と迫っているのです。

 

ということで、繰り返しになりますが、今は日本という国家が正念場を迎えており、日本の国民性の良さが問われているのです。

同時に、収束するまでは国民が安心して経済的に暮らせるように、政府によるタイムリー、かつ強力な資金的支援が求められるのです。

国民性に依存するだけでは限界があります。

ですから、日本の国民性の良さだけでなく、同時に政府の対策の良否、すなわち日本という国のあり方が問われているのです。


 
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