2020年01月27日
アイデアよもやま話 No.4549 さまよう博士 ― 日本の将来に必要な研究者とその実情!

技術立国を目指す日本の将来に先進的なテクノロジーに取り組む研究者は欠かせません。

またテクノロジー関連以外の分野の研究者の育成も国として必要です。

そうした中、昨年9月15日(日)放送の「テレメンタリー2019」(テレビ朝日)で“さまよう博士“をテーマに取り上げていたのでご紹介します。

 

脇 崇晴さん(40歳)は独身、3年前(放送時点)に九州大学大学院で博士号を取得し、今は九州大学の専門研究員で、専門は哲学です。

研究職にはつけずアルバイトで生活を続けています。

将来に不安を抱える研究者は少なくありません。

その背景には、ある国策が関係しています。

こうした状況に、「博士漂流時代」の著者、榎木 英介さんは次のようにおっしゃっています。

「日本の研究はかなり悲惨な状態になりつつあるのではないかと思っています。」

 

昨年9月早朝、移転を間近に控えた九州大学箱崎キャンパスの研究室から火が上がりました。

焼け跡からガソリンの携行缶やライターとともに男性の遺体が見つかりました。

焼身自殺を図ったと見られています。

46歳の男性は九州大学の博士課程に在籍していましたが、8年前(放送時点)に籍を失っていました。

しかし、他の大学などで非常勤講師を続けながら、研究室に居座り続けていました。

その仕事も無くなった後は引っ越しのアルバイトで食いつないでいたといいます。

研究を志した男性の死、脇さんはその境遇に自分を重ねずにいられませんでした。

脇さんは次のようにおっしゃっています。

「生活が不安定だと精神的にもいろいろと、このままで大丈夫なのかだとか、安定しないことがありまして・・・」

 

山口大学を卒業した脇さん、23年前(放送時点)に九州大学の大学院に入り、文学博士号を取得しましたが、これまで正規の研究職にはつけていません。

脇さんのように博士過程を終えた後、任期付きで大学などに在籍する研究者はポストドクター、ポスドクと呼ばれています。

言わば、研究の世界の非正規労働者です。

国や大学から奨励金をもらうポスドクもいますが、脇さんは研究者としての収入はゼロです。

 

脇さんが哲学の研究に没頭するきっかけになったのは、明治時代の思想家、清沢 満之で、今はこの思想を研究テーマとしています。

そして、その思想は脇さん自身の生き方にも影響しているといいます。

 

脇さんは西南学院大学(福岡市)で非常勤講師のアルバイトをしており、それが唯一の収入源です。

取材した日の1コマ目の講義は哲学、講義が終わると慌ただしく次の教室へ移動します。

講義では専門分野の哲学だけでなく、ドイツ語なども教えています。

文献の読み込みや資料作りなど、準備にもかなりの時間がかかります。

昼食を終えると、一息つく間もなく次の講義、1日の講義時間は合わせて4時間半、ほとんど立ちっぱなしで話し続けます。

脇さんは次のようにおっしゃっています。

「この後勉強しようと思っても気力がないぐらい。」

「授業の前後に時間があってもなかなか出来ないです。」

 

他の大学や専門学校でも非常勤講師の掛け持ちをしています。

脇さんは次のようにおっしゃっています。

「基本的に遊びに(時間を)使うということはなく、授業の準備に使うのがほとんどです。」

「論文をちゃんと書かないと業績にならなくて、業績が増えないと就職が難しいままという悪循環。」

 

脇さんの月収は10万円程度、大学が夏休みなどに入ると、ほとんどなくなってしまいます。

脇さんのように非常勤講師の仕事で生計を立てるポスドクは多いといいます。

 

さて、ユーモアを交えて紹介されるポスドクの生活、掲載されているのはその名も「月刊ポスドク」、同人誌です。

正規の研究者になれないポスドクの悩みや体験談に加え、様々な情報が綴られています。

「月刊ポスドク」の編集者で元ポスドクの平田 佐智子さんは次のようにおっしゃっています。

「最初はすごく面白がってもらえましたね、なんだこれみたいな感じで。」

「それでポスドクというものを、それぞれポスドクさんたちが「私も書きたい」みたいなかたちで書いて下さって。」

 

心理学が専門の平田さん、博士号取得後、研究職を目指し、ポスドクとして3つの大学を渡り歩きました。

当時は1年更新の研究奨励金をもらうことが出来ましたが、4年後には審査に落ち、その生活は終わりました。

平田さんは次のようにおっしゃっています。

「その当時は挫折でしかなかったですね。」

「すごく落ち込みましたし、もう研究出来ないのかなっていうので。」

 

平田さんは研究の道を断念し、2年前(放送時点)から介護関係の会社のデータ分析部門で働いています。

研究で身に付けたスキルを買われたかたちですが、仕事に生かせるのはごく一部です。

平田さんは次のようにおっしゃっています。

「大多数の方がアカデミア(研究の場)以外のところを知らないので、結局そこから外れるということ自体がドロップアウトというか、生き残れなかったんだねっていうような考え方をする人が多いと思いますし、私自身もかつてはその一人でした。」

 

追い詰められる研究者たち、背景には国が進めたある計画がありました。

博士課程を修了しながら正規の研究職に就けない研究者、その数は決して少なくありません。

「博士漂流時代」の著者、榎木 英介さんは、問題の背景には国策が関係していると指摘しています。

「博士号取得者が増えてしまったということですね。」

「その増えるというきっかけになったのは、1990年代前半、バブル期の前に立てられた博士課程の倍増計画。」

 

1991年、国は大学院重点化政策と名打ち、約10年間で大学院の規模を2倍にする方針を打ち出しました。

その方針通りに大学院在籍者数は10年間で2倍以上に増え、その後も数を伸ばしました。(出典:学校基本統計)

当時について、榎本さんは次のようにおっしゃっています。

「少子化なんかもあって大学教員のポストはそんなに増えなかった。」

「バブルの崩壊で民間企業などの需要が無くなっても、行先が無いのに博士号取得者がどんどん作られる事態がありまして・・・」

 

行き場を失った研究者たちは非正規の研究者であるポスドクとなりました。

2015年の時点でその数は全国で約1万6000人に上っています。

国策が生み出した研究者の“余剰”、その仕掛け人である文部科学省が番組の取材に応じました。

文部科学省大学改革推進室の平野 博紀室長は次のようにおっしゃっています。

「当時の欧米諸国に比べて我が国の大学院生の数が非常に少ないということで、研究者のみならず、社会の様々なところで活躍出来る人材を大学院から輩出出来るように大学院の量的整備と質的整備を進めることを目的に始めたものでございます。」

 

しかし、現実には当初の見込みに比べ博士の社会進出は伸び悩みました。

この見込みの甘さについて、平野室長は次のようにおっしゃっています。

「平成3年(1991年)に中央教育審議会が答申をした時、当時企業へのアンケートも行ったうえで、実際にその程度の数を増やしても受け入れる社会的な余力があると判断をして、その方針に従って大学院を各大学が量的に増やしてきたというところがあります。」

「その産業界の側の受け入れが思ったよりも進まなかった。」

「(見込み違いだったのかとう問いに対して、)平成3年(1991年)から平成12年(2000年)に(大学院在籍者を)増やす時に、多くの修了者が社会の各層で活躍していく姿を描いたことは恐らく事実であろうと。」

「そこと今の状況にギャップがあることも全くその通りだと思います。」

 

ここ数年、文部科学省は民間企業でも研究者が活躍出来るよう様々な政策を講じています。

しかし、大学教員以外の職に就けるポスドクは1割に満たないのです。(2016年度)

榎本さんは次のようにおっしゃっています。

「博士号取得者一人を育成するのに数千万円から一説では1億円ぐらいの国費が投入されていると言われています。」

「そういった人たちをある種の自己責任ということで「勝手にしろ」っていうふうに切り捨ててしまったことで、その1億円が全然回収されないまま今に至って40代になっても中々安定した職が得られないという人たちが沢山いるという状況を生み出しています。」

「これは社会にとっても非常に悲劇だと思っています。」

 

ある日、九州大学のキャンパスに出向いた脇さん、後輩に頼まれてドイツ語の勉強会を開いていました。

指導しているのは、来年(2020年)博士課程に進む後輩です。

脇さんは次のようにおっしゃっています。

「いろいろ難しいことが起こるとは思いますけど、是非頑張って学問の道に進んで行ってくれたらいいかなと・・・」

 

研究の道を志す若者、しかし脇さんの境遇を目の当たりにして気持ちが揺れています。

ポスドクの苦境は若手研究者たちにも暗い影を落とし始めています。

ポスドクなど、研究者の窮状を肌身に感じている学生たち、現実的な選択をする学生も少なくないといいます。

脇さんの担当教員、吉原 雅子准教授は次のようにおっしゃっています。

「それはすごく残念ですけど、でもこちらも就職先を保証出来ないので強く言えないんですよね。」

「だから、「しょうがないね」って言って、「就職先で頑張ってね」って言いますけど、「就職先さえあるんだったら進学したかったのに」と言う子は沢山いると思います。」

 

国が描いた青写真と厳しい現実とのギャップ、その狭間で博士たちはさ迷い続けています。

 

以上、番組の内容の一部をご紹介してきました。

 

まず番組の内容を以下のように整理してみました。

・1991年当時、欧米諸国に比べて我が国の大学院生の数が非常に少なかった

・そこで、研究者のみならず、社会の様々なところで活躍出来る人材を大学院から輩出出来るように大学院の量的整備と質的整備を進めることを目的に、国は大学院重点化政策と名打ち、約10年間で大学院の規模を2倍にする方針を打ち出した

・その方針通りに大学院在籍者数は10年間で2倍以上に増え、その後も数を伸ばした

・しかし、現実には当初の見込みに比べ博士の社会進出は伸び悩み、行き場を失った研究者たちは非正規の研究者であるポスドクとなり、2015年の時点でその数は全国で約1万6000人に上っている

・脇さんのケースでは、他の大学や専門学校の非常勤講師の掛け持ちで月収10万円程度で、これは国が定める最低生活費13万円よりも3万円ほど少ない

・こうした状況では業績につながる論文を書く時間があまり取れず、業績が増えないと就職が難しいままという悪循環に陥っている

・こうしたポスドクの暮らしを目の当たりにして、周囲の学生たちも研究者への道を志すうえで不安を抱えている

・こうした見込みの甘さは、1991年当時、企業へのアンケートも行ったうえで、見込んだ程度の数を増やしても受け入れる社会的な余力があると判断し、その方針に従って大学院を各大学が量的に増やしてきたところにあると見られている

・博士号取得者一人を育成するのに数千万円から一説では1億円ぐらいの国費が投入されていると言われている

 

そもそもポスドクのような研究者の国の視点から見た位置付けですが、特にテクノロジー関連においては、世界的に優位な先進的テクノロジーの研究者の育成はとても重要です。

しかし、一方で博士号取得者の育成には一人当たり数千万円から一説では1億円ぐらいの国費が必要だといいます。

また、こうして育成されたポスドクの方々が安心して研究を続けるためには安定的な収入が必要です。

一方、少子化に伴い、大学で受け入れられるポスドクの方々の数は減少傾向にあります。

また、就職先も今後ビジネスとして期待出来るAIやロボット関連など一部の研究分野のポスドクを除いて、受け入れられる余地も減少傾向にあります。

 

こうしてみると、欧米諸国に比べて我が国の大学院生の数が非常に少ない状況であるという認識に立って、大学院生を増やそうという国策は間違っていなかったと思います。

しかし、だからと言って質的なハードルを下げてまで量的に増やそうという考え方は間違いだと思います。

 

では、量的、質的にポスドクなどの研究者数を一定数以上維持していくためにはどのような対応策が必要なのでしょうか。

以下に私の思うところをまとめて観ました。

・ポスドクなどの研究者が常に安定した収入を得て、研究を続けられるための受け皿を用意しておくこと

  どのようなビジネス環境にも左右されない収入の場を用意しておくこと

   例えば、国関係の研究機関の非常勤勤務や学校の非常勤講師など

・研究者の一定以上の質の維持を目指して、積極的に海外の優秀な若い人材にも門戸を開くこと

・ポスドクに限らず、大学院生なども対象に、研究テーマを一般公開し、そのテーマに興味を示して資金提供する企業とのマッチングの場を設けること

・国策に合致する重要な研究テーマに取り組む研究者に対しては、国費で安心して研究に取り組める環境を整備すること

 

ということで、ポスドクを巡っては、博士を量産するだけでなく、その後も安心して研究を続けられる環境づくりがとても大切であることを番組を通して理解しました。


 
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