2020年01月05日
No.4530 ちょっと一休み その702 『新発見の新聞が語る戦争への道』

以前から、なぜ日本は先の米中などを相手の戦争へと突き進んでしまったのか、とても興味がありました。

そして、これまでいろんな角度から何度となく戦争関連の内容を発信してきました。

そうした中、昨年8月9日(金)放送の「おはよう日本」(NHK総合テレビ)で新発見の新聞が語る戦争への道について取り上げていたのでご紹介します。 

 

間もなく終戦から74年です。(番組の放送時)

当時の日本がどのようにしてあの悲惨な戦争への道を選択していったのか、その一端を紐解く貴重な資料が新たに見つかりました。

「日本新聞」という新聞です。

戦前に国家主義的な論調の記事を数多く掲載し、右派の主張を広めたとされてきましたが、その多くが失われていました。

今回、新たに見つかった新聞からは当時の日本の世論が戦争へと傾いていく過程が見えてきました。

 

戦前最大の右派メディアとされる「日本新聞」、戦後、その多くが失われ、内容は断片的にしか知られていませんでした。

今回、ほぼ全てにわたる約3000日分が見つかったのです。

保管されていたのは元総理大臣、平沼 騏一郎が設立した団体の倉庫です。

膨大な資料の中に紛れていたのが見つかりました。

 

「日本新聞」が創刊されたのは1925年、大正の終わりから昭和の始めにかけて約10年間にわたって発行されました。

創刊したのは、戦前、司法大臣などを務め、治安維持法の制定にも深く関わった政治家、小川 平吉です。

当時の右派メディアとしては異例の日刊紙でした。

編集方針として掲げたのは天皇が収める国家体制を絶対的なものとすることでした。

発行部数は1万6000部と、多くはなかったものの政界や財界、それに軍部など、国の中枢から地方の有力者まで幅広い支援者、読者を獲得していました。

専門家は記事を詳しく分析することで、戦争直前の日本がどのようにかたちづくられていったのか、解明につながるといいます。

京都大学 人文科学研究所の福家 崇洋准教授は次のようにおっしゃっています。

「正直、驚いたというか、結果的に破滅への道を歩んでしまうということの危険性をこの新聞は教えてくれると思うんです。」

 

新聞の創刊当時、日本には大正デモクラシーと呼ばれる自由な風潮が浸透していました。

欧米文化が普及し、言論の自由や政治活動の自由も広がりつつありました。

しかし、それからわずか10年あまりでこうした自由な風潮は影を潜め、国民は軍部の台頭を熱狂的に支持することになります。

いったい何があったのか、今回見つかった紙面からその一端が見えてきました。

 

「日本新聞」が創刊当初から徹底的に攻撃したのが“赤化”、つまり共産主義化でした。

1927年(昭和2年)に掲載された風刺画では、自由主義と書かれた鍋から立ち上る“赤化”の文字、「日本新聞」は自由主義が“赤化”をもたらすとして、厳しく批判したのです。

自由への攻撃がこの時既に始まっていたことが分かります。

その激しい論調は外交問題にも及んでいました。

関東軍が満州に侵攻した満州事変(1931年(昭和6年)9月)、「日本新聞」はその3年前から日本は満州で権益を強化すべきという記事を繰り返し掲載していました。

こうした論調は議会で取り上げられたり、軍部によって同じ主張が行われたりするようになり、次第に国民の間に広がっていったと考えられています。

福家准教授は次のようにおっしゃっています。

「社会が常識というか、この辺りまでは許せるっていうような、そういう限界をまさに下げていくという、戦争の体制とか軍国主義とかそういう思想に変わっていったのかっていうのがこの新聞を見ることによってすごくクリアに把握出来るっていうふうに思います。」

 

なお、当番組で使った「日本新聞」を通して、かつて戦争へと向かった日本の姿を振り返るNHKスペシャル「かくて“自由”は死せり ある新聞と戦争への道」は昨年8月12日の放送予定です。

 

以上、番組の内容をご紹介してきました。

 

あらためて思うのは、「日本新聞」の創刊当時、日本には大正デモクラシーと呼ばれる自由な風潮が浸透しており、欧米文化が普及し、言論の自由や政治活動の自由も広がりつつあったこと、しかし、それからわずか10年あまりでこうした自由な風潮は影を潜め、国民は軍部の台頭を熱狂的に支持することになったという事実です。

こうした国民の意識の急激な変化をもたらしたのは「日本新聞」による影響が全てではないでしょうが、その時代の世界情勢などを反映して、ある思想、あるいは目的を持って繰り返し社会に発信し続けると、国民への影響力が次第に高まっていくということが分かります。

ですから、今でもこうした国民意識の急激な変化が起こり得ると考えるべきで、この事実を私たちは決して忘れるべきではないと思います。

この辺りを福家准教授は「社会が常識というか、この辺りまでは許せるっていうような、そういう限界をまさに下げていく」というようにうまく表現されていると思います。

 

もし、大正デモクラシーにより言論の自由や政治活動の自由が広がって、しかも多くの国民が平和を愛する気持ちを持ち続けて、そのまま現在につながっていれば日本は今とは全く異なった社会になっていたのではと思うと、とても残念な気持ちになります。

 

では、平和憲法を掲げる今の日本が二度と戦争に突き進まないためには国民の立場からどうすればいいのでしょうか。

そもそも戦争勃発のきっかけには大きく2つあると思います。

1つ目は日本が自ら他国に宣戦布告することです。

2つ目は他国からの戦闘行為により、やむなく防衛のために戦争に突入することです。

では、この2つのきっかけを阻止するためにはどうすればいいのでしょうか。

1つ目については、以下のことが考えられます。

・毎年やってくる終戦記念日である8月15日を“戦争放棄”、“世界平和”を訴える日として国内で様々なイベントを開催すること

・報道機関やジャーナリストはファクトフルネス(参照:プロジェクト管理と日常生活 No.620 『ファクトフルネスからほど遠い日本政府の危うさ!』)の重要性を常に認識して、一部の事実ではなく、全体像が分かるように多面的な視点から記事を発信すること

・国民はこうした記事に接する際、何が事実なのかを常に意識し、安易にファクトニュースや偏った思想などに惑わされることのないように注意すること

・平和から遠ざかるような政権政党の政策、あるいは政党や政治家の考え方については敏感に反応し、選挙の際にも考慮すること

 

2つ目については、国民の立場からは政府や自衛隊の方々に前面に出て対応していただくしかありません。

ですから、こうした事態を招かないように、常日頃から外交努力により、少しでもより多くの国々との有効な関係を維持することがとても重要なのです。


 
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