2019年08月24日
プロジェクト管理と日常生活 No.603 『原子力の安全神話の背景』

4月23日(火)放送の「おはよう日本」(NHK総合テレビ)で原子力の安全神話の背景について取り上げていたのでご紹介します。

 

福島最一原発から約10km、今も一部で立ち入りが厳しく制限されている富岡町です。

一時帰宅した日本原子力発電の元理事、北村 俊郎さんは40年以上にわたって原発に携わってきました。

半生を振り返り、“痛恨”の想いを募らせており、次のようにおっしゃっています。

「いろいろな意味で原子力を推進してきたわけですけども、(原発事故は)あってはならないと痛切に感じましたですね。」

 

世界最悪レベルの事故を起こした福島第一原発、平成の時代、日本の原子力にはどこに問題があったのか、私たちは何を教訓として次の時代に生かすべきなのか、当事者の言葉から探ります。

 

平成が始まった頃、日本の原発は事故やトラブルで止まることが少なく、関係者は世界最高水準の安全性を誇っていました。

海外で起きたような重大事故は日本では起きない、電力会社の幹部として原発の安全管理などを担当していた北村さんは、国や事業者は自信に満ちていたといいます。

「日本の原子力は欧米に比べて決して負けていないんだというのは、ちょっと「うぬぼれ」と言いますか、そういうものがあったんじゃないかなと。」

 

ところがその後、事故やトラブルが相次ぐようになり、その対応を巡って歯車が狂い始めます。

象徴的だったのが、次代を担う原発として期待されたもんじゅで、平成7年(1995年)に起きた火災事故です。

この時、事故の大きさを隠すため、現場を映した映像を意図的に短く編集していたことが発覚、社会の不信を招きました。

旧動燃の理事長は次のようにおっしゃっています。

「このビデオは十数分のビデオだったと深く反省し、残念に思っております。」

 

平成11年(1999年)のJCO臨界事故、平成16年(2004年)には美浜原発の蒸気噴出事故、平成19年(2007年)には中越沖地震による柏崎刈羽原発の火災、それでも原発を巡る裁判のたびに国や事業者は「安全性は十分」だという主張を繰り返しました。

当時の電力会社の担当者は次のようにおっしゃっています。

「安全性の点でも耐震性の点でも十分耐え得ると。」

 

なぜ“原子力にはリスクが伴う”ことを社会に伝えなかったのか、事故の後対応に当たったもんじゅの元所長、向 和夫さんは、原発を停止させる事態は避けたいという空気が業界にあったと証言します。

「当面を取り繕って、早く次に行きたいんだという感じが非常に強く、民間(企業)だと経営が重要ですからね。」

「(リスクを社会と)本当に共有するのはどういうことかということを考えると、全く足りなかったという反省はありますね。」

 

富岡町の北村さんはトラブルが相次いだ頃、原発を推進する業界団体、今の日本原子力産業協会に出向していました。

そこで海外の原発を視察、進んだ安全対策を目の当たりにします。

日本でも対策を取り入れるよう訴えましたが、適いませんでした。

当時について、北村さんは次のようにおっしゃっています。

「「追加の安全対策をする」と言うようなことをしますとですね、「何だと、前に安全だと言ってたじゃないか、何で(対策を)追加する必要があるんだ、じゃあ前に言ったのはウソか」と。」

「こういうふうに(社会から)言われてしまって、安全性について疑問を投げかけることがなかなか出来なくなってきたと。」

 

安全と言い続け、深刻な事故のリスクから目を背けて来た日本の原子力、“安全神話”の中で見動きが取れなくなっていたのです。

その危うさを覆い隠したのが原子力ルネサンス、平成の半ばに起きた世界的な原子力再評価の動きです。

アメリカのブッシュ大統領(当時)は平成19年(2007年)に次のようにおっしゃっています。

「原発を政策の中心にするべきだ。」

 

原発は温室効果ガスを出さず、環境に優しいとされ、中国やフィンランドなど世界各国で建設が一気に増え始めました。

この動きの中で、日本は国策として原発の海外輸出を打ち出しました。

その方針をまとめた原子力委員会の元委員長、近藤 俊介さんは、世界に原発を売り込もうという時に水を差してはいけない雰囲気だったと証言します。

「推進側がブレーキになるからなのかは別にして、「(リスクを)そこまで言わなくていいや」というのは絶えずあることなんですね。」

「どこまで(リスクを)共有しなければならないのか、十分であったかという点で見ますと、結果として十分ではなかったのではないかと反省として言えると思いますけどね。」

 

「(国民は)情報を欲しいと思わないかぎり、なかなか取りにも来ないし、聞かないし、人々が関心を持っていないものに関心を持たせることが出来なかった。」

 

リスクに関する情報を独占していた電力会社が、あえてそれを社会に伝えようとはしなかったと言います。

そして、原子力に潜むリスクが現実のものになったのは平成23年(2011年)3月11日に起きた福島第一原発事故でした。

今、富岡町には除染で取り除いた土が大量に保管されたままになっています。

北村さんは次のようにおっしゃっています。

「何とも言えないね、これは本当にね。」

 

「周りの流れとか雰囲気とか、そういうものに飲み込まれていたんだなということは、今になって思えば、反省しなければいけなかったところだと思います。」

 

北村さんは原子力の歩みを振り返って、“後悔”の気持ちを抱いています。

 

原発事故が起きるまで原子力の持つリスクに真摯に向き合ってこなかったという当事者たちの証言を皆さんはどう聞いたでしょうか。

取材した科学文化部の藤岡 伸介記者は次のようにおっしゃっています。

「(平成は原子力にとってどんな時代だったかという問いに対して、)一言で言いますと、国や事業者が社会との対話に失敗を繰り返してきた時代だったと思います。」

「一見情報公開を進めて来たようで、肝心な情報を伝えるには後ろ向きだったんです。」

「福島第一原発がいわゆるメルトダウンしていたことについて、東京電力は2ヵ月間認めず、それが当時の社長の指示だったことも事故から5年にわたり公表されませんでした。」

「事故の後も不都合な情報は出来るだけ出さないという電力会社の姿勢は厳しく指摘せざるを得ません。」

 

「(次の時代に私たちは原子力にどう向き合っていけばいいのか、取材を通して何が見えて来たのかという問いに対して、)私たちの暮らしに欠かせないエネルギーをどう確保するのか考える時に、将来原発をどうするのかという議論は避けられません。」

「原発を続けるにせよ、止めるにせよ、どちらを選択するにしても大きな課題があるんです。」

「原発を続ける場合、国の審査に合格したとしても、潜在的なリスクはゼロにはなりません。」

「処分場が見つからない、核のゴミを出し続けることにもなるんです。」

「原発を止める場合にも、再生可能エネルギーを中心に安定供給を図る道筋を作る必要があります。」

「もっと導入するには送電網の整備が必要になるなど、課題はいろいろとあるんです。」

「エネルギーを巡る国民的な議論というのは、事故の直後には盛り上がったんですけども、その後はすっかり下火になりました。」

「新たな時代に向けて、国は議論の場を設け、私たちもまたそこに積極的に参加していく必要があると思います。」

 

以上、番組の内容をご紹介してきました。

 

番組を通して、リスク管理の観点から福島第一原発事故の発生、および事故後の東京電力の対応に至る過程を以下にまとめてみました。

・平成が始まった頃、日本の原発は事故やトラブルで止まることが少なく、関係者は世界最高水準の安全性を誇っており、国や事業者は自信に満ちており、知らず知らずのうちに「うぬぼれ」が生じていたこと

・ところがその後、事故やトラブルが相次ぐようになり、その対応を巡って歯車が狂い始めたこと

・すなわち、平成7年(1995年)に起きたもんじゅの火災事故で、この時、事故の大きさを隠すため、現場を映した映像を意図的に短く編集していたことが発覚、社会の不信を招いたこと

・なぜ“原子力にはリスクが伴う”ことを社会に伝えなかったのか、そこには原発を停止させる事態は避けたいという空気が業界にあったこと

・安全と言い続け、深刻な事故のリスクから目を背けて来た日本の原子力は、“安全神話”の中で次第に見動きが取れなくなっていったこと

・その危うさを覆い隠したのが原子力ルネサンス、平成の半ばに起きた世界的な原子力再評価の動きで、原発は温室効果ガスを出さず、環境に優しいとされ、この動きの中で、日本は国策として原発の海外輸出を打ち出したこと

・世界に原発を売り込もうという時に水を差してはいけない雰囲気があったこと

・原発事故のリスクに関する情報を独占していた電力会社は、あえてそれを社会に伝えようとはしなかったこと

・2011年3月11日に起きた福島第一原発事故により、原子力に潜むリスクが現実のものになったこと

・福島第一原発がメルトダウンしていたことについて、東京電力は2ヵ月間認めず、それが当時の社長の指示だったことも事故から5年にわたり公表されなかったこと

・現在、富岡町には除染で取り除いた土が大量に保管されたままになっていること

・原発を止める場合にも、再生可能エネルギーを中心に安定供給を図る道筋を作る必要があること

・しかし、エネルギーを巡る国民的な議論は事故の直後には盛り上がったが、その後はすっかり下火になっていること

 

こうしてまとめてみると、企業におけるリスク管理の重要な要件について、以下のキーワードが見えてきます。

・自社の存在意義を十分に認識すること

・事業における将来に対する適切な展望

・風通しのいい組織風土

・現実の直視と、そこから得られる問題や課題、リスクなどに真摯に向き合うこと

・第三者的な監査機能

 

以上のことから言えるのは、福島第一原発事故の当事者である東京電力のみならず、どの企業においても、上記のリスク管理における重要な要件に真摯に向き合わなければ、同様の事故や事件を繰り返し引き起こすリスクを常にはらんでいるということです。


 
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