8月12日(日)放送の「知られざるガリバー〜エクセレントカンパニーファイル〜」(テレビ東京)で洋食器メーカー、ノリタケについて取り上げていました。
そこで、番組を通して3回にわたってご紹介します。
2回目は「成長の変遷 、日本の富を取り戻すために」についてです。
洋食器で世界的な人気を誇る株式会社ノリタケカンパニーリミテド(愛知県名古屋市)には創業時から大事にして来た理念、“良品
輸出 共栄”があります。
その一つ、“輸出”については、なぜ理念の1つとして挙げているのか疑問に残ると前回お伝えしましたが、今回はその疑問に迫ります。
ノリタケはなぜ日本で慣れ親しまれた和食器ではなく、洋食器で世界の市場に挑んだのでしょうか。
ノリタケの歴史は幕末に遡ります。
当時の日本は欧米との貨幣交換率が悪かったため、富が海外へ流出していました。
創業者、森村 市左衛門は海外通の知識人に相談していました。
社長の加藤 博さんは次のようにおっしゃっています。
「日本から金銀がどんどん流出しちゃうと。」
「それを取り返すには商業を興して貿易を興してアメリカから金銀を取り返しなさいと。」
1876年、弟の豊(とよ)とともに外貨を獲得するためニューヨークへ行き、日本で販売していた雑貨の中で売れ行きのよかった陶磁器に目を付けました。
そしてアメリカで需要が高いディナーセットを作る洋食器製造工場を1904年に日本で建設しました。
加藤社長は次のようにおっしゃっています。
「洋食器を作らないとアメリカでは商売にならないねと。」
「しっかりとしたものを作ってアメリカに輸出したら、爆発的にヒットして当初の目的、アメリカから金を取り返すことに貢献したと。」
その後もトレンドの変化などを敏感に取り入れて人気を拡大、洋食器輸出量は増大、順調に業績を伸ばし、世界中に広く知られるブランドへと成長したのです。
以上、番組の内容の一部をご紹介してきました。
まず、ノリタケが創業時から大事にして来た理念の一つに“輸出”を入れている背景は、当時の日本が欧米との貨幣交換率が悪かったため、富が海外へ流出してしまい、それを取り返すことにあったというわけです。
ここには国家存亡の危機に一企業の立場から「何とかしなければ」という創業者の切実な想いが伝わってきます。
そして、ノリタケはアメリカで商売するためにアメリカ人に受け入れられるように洋食器づくりを始め、爆発的にヒットして当初の目的であるアメリカから金を取り返すことに貢献したのです。
その後も継続してトレンドの変化などを敏感に取り入れて人気を拡大、今や世界的なブランドへと成長したというのです。
今や多くの企業経営は何らかのかたちでグローバル化しています。
ですから、企業理念としてことさら“輸出”を含めずに“良品 共栄”でもいいのではないかと思います。
このように考えると、一見企業理念は不変のように思えますが、時代の流れとともに根本は変わらずともその見直しをしてみることの必要性を感じます。