今回のサッカー・ワールドカップ ロシア大会の決勝トーナメント1回戦(日本時間7月3日)は残念ながら、2点リードしながらベルギーに2−3の逆転負けでベスト8を逃してしまいました。
今回、お伝えしたいのは決勝トーナメント進出を決めた対ポーランド戦(日本時間6月28日)での西野監督の采配について感じたことです。
グループリーグH組の最終節で、ポーランドに0−1で敗れましたが、勝点などで同成績のセネガルをフェアプレーポイントで上回り、2位で16強入りしましたが、世界的に関心を集めたのは、決勝トーナメント入りをより確実にするための西野監督による終盤に見せたパスを回しての時間稼ぎによる「攻めずに負ける」という大ばくちとも言える戦術です。
単純に考えれば、パスを回しての時間稼ぎは選手にとっても観客にとってもつまらない試合展開で、とてもフェアプレイとは言えません。
しかし、ルールの範囲内で勝利に結びつく可能性がある作戦としてこの時間稼ぎが最も有効と考えられると判断したら、西野監督の采配は大いに評価されるべきかどうか、ここがこの試合後の人たちの評価を二分したポイントです。
考えてみれば、今回のサッカー・ワールドカップの試合でも、テレビニュースの画面を通していろいろな場面で相手チーム選手の後ろからシャツを引っ張るといったような細かなルール違反が見られました。
こうした違反行為の中には、試合に没頭するあまり無意識のうちに出た行動もあれば、勝利に向けて意図的なものもあったと思います。
どんなスポーツやゲームにも必ずルールがあります。
また、そのルールを守ることによってこれらは存在し得るのです。
ですから、どんなスポーツやゲームにも反則行為をした場合の罰則規定があるのです。
また、罰則規定はこれらのプレイの実績が積まれた中から、不都合な行為が発見されると見直されるのが一般的です。
ですから、今回の日本代表チームによる時間稼ぎもルール違反ではありませんが、こうした行為が今後多くの試合で露骨に見られるようになれば、罰則の見直しの対象になると思われます。
ということで、今回の試合で感じたことは、フェアプレイとは単にルールをしっかり守るというだけでなく、ルールの枠を超えて道徳的に人としてあるべき行為に則るという意味を含んでいるということです。
このフェアプレイに相通じる言葉の一例として、西洋ではジェントルマン、あるいは騎士道があり、日本には武士道があります。
そして、この“ルールの枠を超えて道徳的に人としてあるべき行為”というのは、人類の精神的なレベルに応じて変化していくものだと思います。
例えば、“男尊女子”や“一夫多妻制”に対する評価は時代の経過とともに変わってきており、現在では“男女平等”や“一夫一婦制”が世界的に一般的になっています。
また、政治制度や宗教などによっても道徳的にあるべき行為は変わってきます。
いずれにしても、スポーツやゲームなど、勝負の世界では、ルール違反ぎりぎりの範囲内で勝利を獲得するという精神のあり方がいつの時代も一般的だと思われます。
フェアプレイ精神も大事ですが、やはり“何としても勝負に勝つ”という旺盛な闘争心とそれを支える多くのサポーターの存在が試合の結果を大きく左右するということだと思います。
同時に、フェアプレイに溢れた試合は、例え負けてもさわやかに感じますが、フェアプレイとはかけ離れた試合運びにより勝利を獲得した後には、単純に喜べない後味の悪さを感じてしまいます。
まさに、“フェアプレイ精神と勝利のジレンマ”です。