日大アメフト選手による“悪質タックル”が発覚したきっかけについて、先日No.4044
ちょっと一休み その651 『SNSを通じて発覚した日大アメフト選手の“悪質タックル”!』でお伝えしました。
その後、話題になったのは日本大学の対応のまずさで、いまだに尾を引いており、日本大学のイメージダウンになり、在籍学生の就職活動をはじめ様々な悪影響を及ぼしています。
そして、この対応のまずさに関連して、日本大学には皮肉にも危機管理学部があることも世間に知れ渡ってしまいました。
そこで、この危機管理学部の目指す狙いについてネット検索したところ、以下のような記述がありました。(詳細はこちらを参照)
私たちに脅威を与える「危機」は社会の多様化・グローバル化とともに増大。時代に求められている危機管理のエキスパートをいち早く養成し、社会に送り出します。
では、なぜ危機管理学部が学内にあるにも係わらず、今回の事態に危機管理が生かせなかったのでしょうか。
一連の報道記事に接していると、危機管理という言葉が曖昧に使われているように思います。
これまで何度かお伝えしてきたように、そもそも危機管理、すなわちリスク管理には2つの局面があります。
1つ目はリスクが発生(顕在化)する前、2つ目はリスクが発生した後です。
こうした観点で今回の“悪質タックル”について振り返ってみると、日大アメフト選手の“悪質タックル”は内田前監督の指示であったということが明らかになっているので、そもそも“悪質タックル”というルール違反におけるリスク対応策は日大アメフト部には存在していなかったのです。
これ自体、あらゆるスポーツを通して、致命的な、あってはならないことです。
ルールの存在しないスポーツは単なる暴力行為、あるいはケンカに過ぎないのです。
次に、この“悪質タックル”が表面化した後の対応、すなわちコンティンジェンシープランについてですが、これも対応のまずさから全く機能していなかったと言わざるを得ません。
各種報道でも指摘されているように、SNSの動画で“悪質タックル”が表面化して大騒ぎになった時に、即座に内田監督(当時)が被害者に直接お詫びに行くとともに、会見を開いてきちんと経緯を説明してお詫びをしていれば、短期間のうちに問題は大きくならずに終息したのです。
ところが、そもそも“悪質タックル”は内田監督(当時)の指示によるものだったのですから、内田監督(当時)の頭の中にはこうした対応は無かったはずです。
こともあろうに、当然内田監督(当時)は事実を話せば自分が処罰の対象になるので、実際に“悪質タックル”を実行した選手に罪をなすり付けるような説明を会見の場でしておりました。
そこで、本来であれば、こうしたコンティンジェンシープランについて、日本大学の最高責任者である田中理事長が“悪質タックル”の重大さを認識し、その原因究明を即座に行って、どう対処すべきかを危機管理学部の関係者に相談して対処すれば良かったのです。
しかし、残念ながら田中理事長は自ら対処しようとしなかったのですから、危機管理意識がほとんど無かったと言わざるを得ません。
では、最後の砦ではありませんが、危機管理学部の関係者から危機管理学の観点から田中理事長に直言して適切な対応が出来ていれば、さすが危機管理学部のある日本大学の対応は早く、適切であると評価されたはずです。
しかし、いろいろな報道記事に接するかぎり、日本大学は田中理事長のワンマン経営で、下から直言出来るような風通しの良い組織風土ではなく、へたに直言すればどこか他の組織に飛ばされてしまうような雰囲気があるようです。
こうしたことから以下のことが言えます。
勿論、いろいろな状況を想定してリスク管理の考え方を取り入れた制度づくりやそれに伴う研修はとても重要です。
しかし、最も重要なことは、組織内で誰もが気軽に気を使うことなく何でも言えるような風通しの良い組織風土にすることです。
そして、誰もが“良いことは良い”、“悪いことは悪い”と言い合えるような雰囲気づくりです。
こうした組織風土を田中理事長自らが率先して体現してこそ、初めて組織全体が制度や危機管理学の知識を最大限に生かすことが出来るのです。
ちなみに、プロジェクト管理でもコミュニケーションを重要視しており、管理項目の一つとしてコミュニケーション管理があります。(参照:プロジェクト管理と日常生活 No.24 『関係者とのコミュニケーションが密でないと・・・』)
ということで、今回の“悪質タックル”事件を契機に日本大学は文字通り“日本一”の大学を目指して、これまでの組織風土から決別して、日本大学の“自主創造”の理念の下、一から出直していただきたいと思います、
報道されているような、今のような日本大学は“自主創造”の理念とはかけ離れた状況と言わざるを得ません。
せめてもの救いは、教職員組合などが危機感を募らせ、自主的に大学に対して改革案を提示したことです。
こうした動きに対して大学当局がどう対処するかは、今後の日本大学のあり方を占う試金石だと思います。