2018年03月08日
アイデアよもやま話 No.3958 人間の脳とAIがつながったら・・・ その4 人類はやがて生物ではなくなる!?

昨年12月29日(金)放送の「人間てナンだ? 超AI入門 特別編」(NHK総合テレビ)で人間の脳とAI(人工知能)がつながったらという衝撃的な内容について取り上げていたので5回にわたってご紹介します。

4回目は人類はやがて生物ではなくなるのではという衝撃的な内容についてです。 

 

なお、番組の出演者は、東京大学大学院 特任准教授で進行役の松尾 豊さん、サイエンスライターでインタビューアーの吉成 真由美さん、そしてインタビューを受けるのはシンギュラリティという言葉の生みの親で発明家であり世界のAI研究の最前線を走る未来学者、レイ・カーツワイルさん、世界的な言語哲学者、ノーム・チョムスキーさん、そして理論物理学者、リーマン・ダイソンでした。

 

言葉、数、記号、意味、情報、サイエンス、機械、人、世界はどう変わるのでしょうか。

世界的な言語哲学者、ノーム・チョムスキーさんは吉成 真由美さんによるインタビューの中で次のようにおっしゃっています。

「(私たち人類は万能な存在となり、自らを進化させていき、進化しなかったおよそ半分の人類は職を失うことにさえなるだろうと予測されているが、この予測についてどう考えるかという問いに対して、)完全なるファンタジーだ。」

「信じられる根拠は何もない。」

「確かにロボットは発展している、それはいいことだろう。」

「なぜ人間が退屈で危険な仕事をしなければならないのか。」

「人間はもっとクリエイティブで満足出来る仕事に就くべきだ。」

「ロボット化は労働にそれほど影響をもたらしてはいない。」

「低いスキルの仕事はまだ山ほどあるからね。」

「テクノロジーの発達による影響は確かにあるだろう。」

「生産性の向上、低スキルの仕事の減少、高スキルの仕事の増加とかね。」

「まあAIが人間の知能を超えるという考えは今のところ夢にすぎないね。」

「どのようにしてそれを実現するかというコンセプトはまだないし、その夢を支えるような証拠もない。」

「実現しているのは膨大なデータと高速な計算に頼ったもので、それらは人間がデザインしたプログラムで動いている。」

 

「(発明家であり未来学者であるレイ・カーツワイルさんは、テクノロジーの指数関数的成長は止めようがないというが、人間とAIが融合するという「シンギュラリティ」をどう考えるかという問いに対して、)素敵なレストランでコーヒーを飲みながら話して楽しむ分にはいいだろう。」

「しかし、その主張には何の根拠もない。」

「私が研究してきた自然言語についていえば。既に50年前から自動翻訳をするなら巨大なデータを集めて力任せにやるしかない。」

「コンピューターが高速になったら膨大なデータを蓄積して、自動翻訳を実現するのだと言っていた。」

「実際30年後にこのやり方が実践されたわけだ。」

「例えば「グーグル翻訳」なども実用可能になっているでしょう。」

「でも科学的、あるいは知的な意味では全く興味深いことではない。」

「人間についての話になると、なぜか途端に人々は惑わされてしまう。」

「昆虫について話をする場合はそうじゃないのにね。」

「ハチやアリなどは大変優れた方向感覚とコミュニケーション能力を備えている。」

「この実験はあまりにもばかげているので誰もまだやったことはないが、何百万という数のハチの行動をビデオに撮って分析すれば、ハチの行動をかなり高い確率で予測出来るようになるだろう。」

「でもこれは科学的に面白い?」

「現象の「なぜ」を突き止めるのが科学だ。」

「単にハチの行動を真似することには全く意味がない。」

「もしハチの飛行を真似るための研究費を申請しても、グーグルならお金を出すかもしれないけれども、科学機関では全く相手にされないだろう。」

「人間のことになるとシンギュラリティなどとなぜか非理性的になってしまう。」

「他の生物を考える場合は非常に理性的なのにね。」

「(ユダヤ・キリスト教的な人間中心主義なのでしょうかという問いに対して、)巨大資本をバックにしたPRだね。」

「テクノロジーが急速に発展しているということは確かだ。」

「より多くの情報をより速く処理出来るようになる。」

「しかし、「量」の拡大が「知能」や「創造性」の本質を解明することにはならない。」

「それではハチの飛行さえ解明出来ないだろう。」

 

また、世界的な理論物理学者のフリーマン・ダイソンさんは次のようにおっしゃっています。

「サイエンスとは本質的に予測出来ないものです。」

「サイエンスにとって重要なのは発見です。」

「発見はサプライズですからね。」

「発見を予測しようとすることはサイエンスのやり方ではないですね。」

「インターネットは理解を超えた膨大な情報の蓄積です。」

「インターネットの構造と目的は私たちに見通すことが出来ません。」

「最終的に全体が一つの生物のように振る舞うスーパー・オーガニズム(超生命体)になることも考えられます。」

「まだそこまで行ってはいませんが、インターネットが自らの目的を見つける可能性は大いにあります。」

「(インターネット自体が)一つのシステムとして世界を支配するということもあり得ます。」

「ある時、突然機械に隷属するかもしれません。」

「その可能性は否定出来ません。」

「それがいつ起こるかは明白ではないのです。」

「実際、既に人間だけでなくソフトウェアがコントロールしている分野は沢山あります。」

「誇張ではありません。」

「知っておくべきことです。」

 

こうした状況について、未来学者、レイ・カーツワイルさんは次のようにおっしゃっています。

「我々と1000年前の人間は生物学的には何ら変わらない。」

「非常に微細な変化はあったかもしれないけれど。」

「ここ1000年の文化やテクノロジーの進化に比べれば全く取るに足らない。」

「我々は既に部分的にテクノロジー的な存在になっている。」

「スマホはまだ体内に入っていないが、昨日これを失くした時はまるで自分の一部を失くしたようだった。」

「これ自体はいくらでも取り換え可能だが、インターネットでのつながりや個人情報、Eメール、写真など、これら全てが私自身というものをつくり上げている。」

「我々は既に一部生物と無生物が合わさった存在だ。」

「無生物的な部分は毎年倍々になる「指数関数的」な成長を続けるのに、生物的な部分はちっとも変化しない。」

「私のシナリオではこういうものが血球ぐらいの大きさになり、何十億という数で体内に入り、体を健康に保ち、仮想現実や拡張現実を見せてくれて、知能は飛躍的に伸びていくというものだ。」

「2030年代は人間は部分的にはまだ生物的だが、しかしその後の10年もしないうちに無生物的な部分が何千倍も成長するだろう。」

「2045年には体のほとんどが無生物的なものになるだろう。」

「最終的には生物的な部分は無意味なくらいに小さくなってしまう。」

「無生物的な部分がはるかに重要になるからだ。」

「無生物的な機能が身体を制御出来るようになる。」

「これは更なる寿命の延長にもつながる。」

「無生物的な部分はバックアップを作っておけるからね。」

「最終的には不死の存在になるだろう。」

「もはや一つの肉体に封じ込められなくなる。」

「100年後には「昔はバックアップがなかったんだ、なんて恐ろしい生き方をしてたんだ」と言うだろうね。」

「あらゆるものはいつも消滅の恐怖にさらされている。」

「病気で記憶や性格が消えてしまうこともある。」

「我々は生物ではなくなるだろう。」

 

以上、番組の内容の一部をご紹介してきました。

 

ノーム・チョムスキーさんのようにレイ・カーツワイルさんの唱えるシンギュラリティについて根拠がないと否定的な考えをされる科学者もおられます。

しかし、私は日々報道されるAI研究の進歩状況からしてシンギュラリティの実現可能性を信じたいと思っています。

そして、フリーマン・ダイソンさんのおっしゃるように、人類とAIは最終的に全体が一つの生物のように振る舞うスーパー・オーガニズム(超生命体)になると思います。

ただし、そうした結果、インターネット自体が一つのシステムとして世界を支配するということになるかどうかは人間の対応次第だと思います。

また、レイ・カーツワイルさんは、沢山の無生物的な部分が人間の体内に埋め込まれて、人類はやがて限りなく生物ではなくなり、不死の存在になると唱えております。

こうした考え方は、今のAIやロボット、IoT、あるいはiPS細胞などの再生医療など、これらの技術の進歩からすると当然の帰結のように思えます。

 

こうした帰結からすると、あらためて問われるのは人間とは何ぞやです。

こうした未来の人間の人間たる所以は「知能」による一人一人の個性やものの考え方だと思います。

また、人間は不死の存在になるのですから、自ら死を望まない限り、死に至ることは出来なくなるのです。

こうしたことへの対処は、私たち人類にとって究極の課題になると思われます。


 
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