11月5日(日)放送の「安藤忠雄の対談〜この国の行く末〜」(BSフジ)のゲストは小泉 進次郎衆議院議員でした。
番組の中で読書の大切さに関する話題の中で、最近本を読まない人が増えているということを示す具体的な数字にビックリしました。
全国の16歳以上の男女3000人を対象とした、2013年度 文化庁 国語に関する世論調査によると、1ヵ月の読書量が1〜2冊という人が34.5%、1冊も読まないという人が47.5%という結果でした。
これに対して、安藤さんと小泉さんは次のようなやり取りをされていました。
(安藤さん)
「子ども時代に読書しなかったら、(大人になっても)中々読書は出来ないですよ。」
(小泉さん)
「新聞も同じですよ。」
「最近、若い、10代、20代の子に「新聞読んでる?」って聞くと、読んでないでしょ。」
「今の時代、情報はスマホで足りる。」
(安藤さん)
「新聞から得るって(面で)いっぺんに全部あるじゃないですか、いろいろなものが。」
「スマホというのはこの中(点)ですからね。」
(小泉さん)
「関心のあるものしか引かなくなりますからね。」
「生まれた時からテクノロジーとかデジタルなものに接している世代、デジタルネイティブとか言いますけど、触れさせていく環境って大変そうと思いますね。」
「僕は本とか読んだりしてて、時々たった一文の中に「俺が言いたかったことってこれだ」っていう表現が見つかる時とかある。」
「その言葉が見つかる瞬間って、自分の中ではモヤモヤとあった気持ちや感情、想いをまるで言語化してくれたような気持ちになって、それだけでも本当に読書の意味って僕はあると思っているんで。」
「よく何百ページある本で、全部覚えていることなんてないんです。」
「たった一語でもいい、たった一文でもいいから、この言葉と出会えてよかったっていうのが僕の本の読み方だし、これは実は人との会話とか人との出会いもそうで、今日も安藤さんの「子どもの時に子どもする」という、このことは僕はずっと忘れないですよ。」
(安藤さん)
「(小泉進次郎さんのスピーチでも私たちの心に響くフレーズがあるのではという問いに対して、)と思います。」
「それは自分の心の中から考えられているからパッと出るわけでしょ。」
「だけどお役人の書いたやつを読んでる人もいますよね。」
「あれでは中々こっち側に伝わってこない。」
「やはり自分の心を伝えるのが言葉ですから。」
「中々そうなっていないのがマズいな。」
(小泉さん)
「(本の思い出について、)子どもの頃、畳の部屋でうちの兄と並んで布団を敷いて寝てて、その間に本当に川の字ですよね、うちの親父が来て、それで本を読んでくれて、その間に僕らが寝て、気付いたらうちの親父はいないというのが僕が小学校ぐらいかな、あったんですけど、その時にずうっと読まれていて覚えているのは、一つは「ファーブル昆虫記」、あと強烈に覚えているのは「一杯のかけそば」。」
「「一杯のかけそば」を寝ながらうちの親父が僕ら兄弟に読んでくれるんですよ。」
「段々読んでいる親父が涙声になってくるんですよ。」
「子ども心に親が泣いているところを見てはいけない、気付いてはいけないという想いが働いて、寝たふりをしたことを今でも覚えていますよ。」
「そういう記憶って強烈に残ってますね。」
以上、番組の内容の一部をご紹介してきました。
まず、全国の16歳以上の男女3000人を対象とした世論調査(2013年度)によると、日本人のほぼ半数は1ヵ月に1冊も本を読まないという現実はちょっと問題だと思います。
その理由として、安藤さんは子ども時代に読書する習慣を身に付けていなかったとおっしゃっていますが、その通りだと思います。
では、子ども時代に読書する習慣を身に付けるきっかけは、というと両親など自分の周りの大人が自分の興味のありそうな本を読んでくれた、などがあると思います。
そうした中から、成長とともに自分の好きなジャンルが生まれて、自発的に読書するようになるというようなことではないかと思います。
こうした状況と並行して、家族や友人との会話や学校の授業、あるいはテレビドラマや映画鑑賞など、日々の暮らしから刺激を受けて、徐々にいろいろなことを知り、自分なりに理解して、その理解を深めるために読書だけでなく新聞などを読むようになったりするというのが一般的な成長プロセスではないかと思います。
ちなみに私の場合、5、6歳の頃、小学校の先生だった親戚のおばさんが私の家に泊まりにきた時、朝目が覚めた時におばさんの寝ていた布団に潜り込んで源義経など歴史上の人物の話をしてもらったことを今でもとてもよく覚えています。
このおばさんはとても話が上手でとても臨場感のある話しっぷりだったのです。
このことがその後の私の歴史好きに影響を与えたことは間違いありません。
では、中でもなぜ読書が特に重要かというと、私は以下のように思います。
・読書は自分のペースで読み進めることが出来る
・読書は成長に合わせて読むと、そのたびごとに理解が深まる
・読書により世界中の歴史上の優れた人物の考え方や生き方に容易に触れることが出来る
・読書は、歴史や経済、社会など、あらゆるジャンルの知識を系統的に、しかも深く理解するうえでとても役立つ
ということで、読書は大人になっても自分を成長させるうえでとても重要だと思いますが、現実に優れた人物との出会いや優れた芸術などに触れることも無視出来ません。
まさに、“百聞は一見に如かず”です。
また、読書や新聞などの世界だけに閉じこもっていては、理屈だけで現実の世界を知らず、“井の中の蛙大海を知らず”になってしまいます。
ですから、子どもの時には、友達と大いに遊び、あるいは部活動に参加し、親友を見つけたり、そうした中からいろいろな経験を積んで、現実の世界の中から好奇心や感動することの素晴らしさなどを徐々に身に付けていき、大人になる準備をしていくのだと思います。
こうしたことが、まさに安藤さんのおっしゃる“子どもの時に子どもする”だと思うのです。
では、こうして大人になった後の読書との触れあいですが、今や情報源はかつての新聞や雑誌など紙の媒体、あるいはテレビやラジオのみならず、ネット上には無限というほどの情報で溢れています。
ですから、ある情報に接したら、その情報を鵜呑みにするのではなく、必要に応じて様々な情報から何が真実なのかを見極めて、自分なりに考えることがとても大切だと思います。
こうした中で、やはり読書はとても有効な手段だと思います。
多くの人たちがピンポイントでネットから情報を得て、それを鵜呑みにするだけでは、健全な社会からは程遠い社会になってしまうと危惧されます。
最近、”フェイクニュース”という言葉をよく耳にしますが、私たち一人ひとりが一つひとつの情報にしっかりと向き合えば、”フェイクニュース”に惑わされることもなく、”フェイクニュース”自体が居場所を失ってしまうと思うのです。