2017年12月17日
No.3888 ちょっと一休み その625 『もしかしたらあの時死んでいたかも知れないと思えば・・・』

人は誰しも長い人生の中で一度や二度死にかけたような体験をしていると思います。

私も子どもの頃、夏休みに泳ぎに行って、潮の流れで沖合に流され、必死の思いで泳いでようやく陸に泳ぎ着いたことを今でも鮮明に記憶しております。

この時、初めてこのまま流されたら死んでしまうかもと子どもながらに思いました。

 

二度目は、社会に出てから50代の頃、仕事が一段落して一人で京都、奈良方面に自動車で旅行に出かけた時のことです。

その頃、山歩きを趣味にしていた私は、紀伊半島でのドライブ中、景色のよさそうなハイキングコースの看板につられて30分ほどかけてどんどん歩き続けました。

そして、確かに眺めのいい景色に行き着いたのですが、その場所に至る途中の道は今にして思えば道なき道のような“けものみち”だったのです。

ですから、しばらく眺めを楽しんだ後で、帰りの道すがら途中で道を失ってしまいました。

そこで、とりあえず山を下りようと、道なき道をどんどん下って行くと、ようやく狭い道に出会いました。

この時、一瞬ほっとしたのですが、左右どっちの道に行くべきか迷いました。

それで直感的に右の道を選び、ひたすら歩き続けました。

そうしてしばらく歩いて行くとやがて自動車の走る音がかすかに聞こえてきました。

そして、更に歩いて行くとなんと先ほど自分が自動車で通った麓の道路に着いたのです。

そこからは、山の頂上付近の自分が駐車していた場所までひたすら1時間ほど歩き続けました。

実は、この時期は2月末頃でこの付近は夜になるとかなり寒くなる季節だったのです。

ですから、この時判断を誤って道に迷い、そのまま夜を迎えるようなことがあれば、もしかしたら死んでいたかもしれないと今でも思っています。

 

このように誰にでもひょっとしたらあの時自分は死んでいたかもしれないと思うような体験を一度や二度しているのではないでしょうか。

また、自分はこうした体験はしていないと思っている方でも、自分の知らないところで実は死にかけたことがあったかもしれないのです。

 

このように考えていくと、今自分が生きているということは、何らかの力により生かされているという解釈も出来ます。

あるいは、自分は一度、あるいは二度死んでいたかもしれない命なので、今の自分は得した人生を歩んでいるという解釈も出来ます。

また、こうした自分が今生きているのは、自分にはそれなりに何か使命が与えられているのだとも考えられます。

 

いずれにしても、自分はもしかしたらあの時死んでいたかもしれないと思えば、あるいは自分はまだ生かされており、何かを成し遂げる使命を帯びていると思えば、どんな困難にぶち当たっても乗り越えられるパワーになると思うのです。


 
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