ご存知のように聖路加国際病院名誉院長で100歳を超えても現役の医師として現場に立ち続けられた日野原
重明さんが7月18日に105歳でお亡くなりになりました。
日野原さんの生前の活動については、これまでいろいろと報道されてきましたが、9月23日(土)放送の「あの人に会いたい」(NHK総合テレビ)でも日野原さんについて取り上げていました。
そこで番組を通して日野原さんの残された貴重な言葉について3回にわたってご紹介します。
1回目は、日野原さんは現実的な人でもあったことについてです。
日野原さんは1911年(明治44年)、牧師だった父親の次男として生まれました。
医師を志したのは10歳の時、倒れた母を救ってくれた医師の熱意に感動したことがきっかけでした。
医師になって間もなく太平洋戦争が始まり、おびただしい人々の死を目の当たりにした日野原さん、終戦後はアメリカで最新の医学を学び、世界に遅れていた日本の医療の改革に取り組みました。
40歳代の若さで病院の運営を担うようになると、医療現場に競争やコスト管理の概念を導入、民間の病院では初めての人間ドックも取り入れました。
日野原さんは当時について番組の中で次のようにおっしゃっています。
「健康を商品として考えたらどうかということを最近思うようになった。」
「そうすると予防医療をやる、これを商品とする、人間ドックを商品にすると、あそこは相当お金が高いんだけれどもその割に内容的にはいいといえば、高くても(患者は)入るでしょ。」
「商品を売るような気持ちになるとサービス精神が出てくるんじゃないかと思うんですね。」
「だからヒューマニズムだけではやはり弱いというところがあってね。」
以上、番組の内容の一部をご紹介してきました。
どんな物事を進めるにあたっても、持続可能性の条件を満たさなければ物事を進め続けることは出来ません。
ですから、どんなにヒューマニズムに溢れる事業といえども、事業を進めるうえで必要な
ヒト・モノ・カネが調達出来なければ継続させることは出来ないのです。
日野原さんは、この原理・原則を十分にご理解されていたのだと思います。
そして、日野原さんの素晴らしいところは、健康を商品として捉えたところです。
健康を商品として捉えることにより、健康を売るためには、健康を買う人たちが得られるメリットと支払う料金を天秤にかけて買うかどうかを判断します。
ですから、提供する病院側としては、少しでも魅力的な商品づくり、より多くのコスト削減に取り組むような意識改革、そして組織の活性化が図られるのです。
ということで、日野原さんはヒューマニズムに溢れた一面、とても現実的な考え方をお持ちの方だったのです。
こうした考え方が日野原さんが105歳まで現役の医師であるのみならず、子ども向けのミュージカルの演出までこなすバイタリティの源泉だったと思うのです。
これから日本は本格的な高齢化時代を迎えますが、日野原さんの生き方は健康で元気な人生を全うするうえでとても参考になるはずです。