8月26日(土)放送の「アスリートの魂」(NHKBS1)では日本空手界のエース、宮原 美穂選手を取り上げていました。
今回は、番組を通して宮原選手の原点についてご紹介します。
宮原選手は、“空手は武道”だと言いきります。
宮原選手は、1996年9月福岡市に生まれました。
4歳上の姉と2歳上の兄がいました。
大好きな兄が空手道場に通うのを見て、「お兄ちゃんと一緒に空手がしたい」と言いました。
すぐに空手の虜になり、空手はメキメキ上達しました。
上達したのは空手ばかりではありませんでした。
礼儀作法や謙虚な気持ち、あるいは感謝の気持ちを学んだのです。
空手が宮原選手を育ててくれたのです。
宮原選手が空手の道を歩み始めたのは、お寺でした。
秋吉 俊雄師範はこのお寺の住職を務める傍らで、近所の小中学生に空手を教えています。
稽古場は、境内に敷き詰められた砂利の上でした。
宮原選手は小学校1年からおよそ8年間ここで稽古に励みました。
そして、武道とは何かを少しずつ感じ取っていきました。
武道の心得について、秋吉師範は番組の中で次のようにおっしゃっています。
「彼女自身が繰り出す突き技、蹴り技、それは常に“一撃一殺”を考えながら繰り出していっていると思います。」
「武士道ですから、真剣勝負ですから倒れる者と立っている者の差がはっきりするのが真剣勝負だと思いますので。」
「ですから、お互いにそういった気持ちで勝負に挑むわけですから、終わった後に人前で喜ぶ姿を見せるものではないし、終わったらきちっとお互いに敬いの気持ちを持って、一礼をもって始まり、一礼をもって終わると。」
「それが武道ではないかなと思います。」
「そこのところは彼女なりに理解をして、そういった言葉(“空手は武道”)を今言ってるんじゃないでしょうか。」
以上、番組の内容の一部をご紹介してきました。
柔道にも“礼に始まり礼に終わる”という言葉があります。
また、ボクシングでも戦いの最初にお互いのグローブを触れて、戦い終わった後には抱き合ってお互いの健闘を讃え合う光景をよく目にします。
ですから、どんなスポーツにおいても武道の精神に重なる部分があると思います。
ただ、秋吉師範がおっしゃる武道の精神、すなわち“(勝負が)終わった後に人前で喜ぶ姿を見せるものではない”という言葉はほとんど忘れ去られているように思います。
どんなスポーツにおいても、試合ではお互いにその日のために一生懸命練習を重ねてきています。
ですが、試合では引き分けもありますが、ほとんどの場合、どちらかが勝者となり、一方は敗者になります。
ですから、勝者の立場からすれば、自分の方が練習量が多く、あるいは技量が優れていたから、あるいは実力はほぼ同等でたまたま勝つことが出来たということなのです。
特に、死ぬほどの苦しみの練習の末に勝利を勝ち取った場合には、思わず飛び跳ねてしまうくらい、あるいは大声で叫んでしまうくらい喜びの頂点に達してしまいます。
一方、敗者の立場からは、一生懸命練習したのに報われなかったという悔しい想いがあるのです。
こうした試合後の両者の立場を客観的に捉えると、秋吉師範の言葉が重く響いてきます。
どんなスポーツにおいても、お互いに敬いの気持ちを持つということはとても大切だと思います。
そして、こうした気持ちが世界中の多くの人たちに深く共有されれば、異なる民族、宗教の間で、あるいは国家間の争いもなくなると思うのです。