2017年10月01日
No.3822 ちょっと一休み その614 『日本初のラーメンは○○時代だった!』

7月14日(金)放送の「ワールドビジネスサテライト」(テレビ東京)で日本初のラーメンはいつの時代だったかについて取り上げていたのでご紹介します。

 

日本の食を代表する庶民の味“ラーメン”、その歴史を覆す文献が見つかりました。

歴史を覆す新発見を発表したのは、新横浜ラーメン博物館(横浜市港北区)です。

これまでラーメンは、江戸時代に水戸黄門で有名な徳川光圀公が食べたのが最も古い記録とされていました。

しかし、遡ること200年以上前の室町時代、ある僧侶の日記に“経帯麺”という料理を作ったと書かれていたというのです。

僧侶が参考にしたという“経帯麺”のレシピの載った文献には、小麦粉(白麺)、炭酸ソーダ(減)、そして塩で作るとあります。

 

中華麺の定義では、“かん水”と小麦粉を使用するとされていて、“かん水”は炭酸ソーダに当ります。

当時のレシピを再現したラーメンの味について、番組レポーターの井上 舞花さんは次のようにおっしゃっています。

「少し弾力があって、ただ麺自体はあまり味がしないですね。」

「ラーメンというよりは、うどんに近い食感です。」

 

この“経帯麺”がまさにラーメンの元祖ということで、水戸黄門が食べたとされる歴史を200年以上遡ることになったのです。

 

以上、番組の内容をご紹介してきました。

 

今回ご紹介した“経帯麺”がラーメンの元祖ではないかということですが、中国が発祥の中華麺との関係が知りたくなり、ウィキペディアで調べてみました。

そうしたところ、以下のような記述がありました。

 

興味ある中国史の陰に今より数百年前一寒村に住む一農民の生活史がある。 ある日農民は山より湧き出でる水を使用して麺作りを行った処、井戸水を使用した何時もの麺とは異なった麺が出来た。農民はこの山の土質にアルカリ性物質が大量に含まれていて、この物質がこの水に溶解している事を知る由もなかったのであるが、この麺こそ中華麺に他ならぬものであり、中華麺誕生の由来である。以来この地方の農民はその山水を煮詰め又、固形化(石かんすい)とし各地に移出し、中華麺は中国全土に広まって行ったのである。

 

このように、中国でもほぼ同じ時代に中華麺が誕生し、中華麺は中国全土に広まって行ったことから、“経帯麺”はこの中華麺の製法が何らかのかたちで日本に伝わったのではないかと推測されます。

 

さて、今や日本のラーメンには札幌ラーメンや豚骨ラーメン、あるいは喜多方ラーメンなど、様々なバリエーションがあります。

更に、ご存知のように日本発のインスタントラーメンは世界中に普及しています。

そして、インスタントラーメンもどんどん進化しています。

ですから、例えラーメン発祥の地は中国であっても、日本人はその製造技術を発展させて、独自のラーメン文化を築き、日本人のみならず世界中の多くの人たちの食文化に貢献しているのです。

このように、技術の発祥の地がどこであっても、その技術を応用して世界中の人たちの豊かな暮らしに貢献することこそが世界中の技術者に求められていることだと思います。

そういう意味で、今世界的に大問題を引き起こしている北朝鮮の核・ミサイル開発に係わっている技術者のみならず、世界中の大量破壊兵器を開発している技術者は反面教師と言わざるを得ません。


 
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