2017年08月25日
アイデアよもやま話 No.3791 作詞家、阿久 悠さんに見る「歌は時代とともに」!

7月8日(土)放送の「NHK映像ファイル あの人に会いたい」(NHK総合テレビでアンコール放送)の会いたい人は人気作詞家、阿久 悠さん(1937年生れ 2007年70歳没)でした。

 

阿久 悠さんは、番組の中で次のようにおっしゃっています。

「(作詞で一番大事に思っていることはという問いに対して、)時代です。」

「歌というものは、その時流れていて「いいね」とか「かっこいいね」ということをまず第一なんです。」

「それから、何十年か経った後で一つの時代を思い出す最初の扉みたいなものが歌であればいいな。」

「あの時あの歌はやっていたね。」

「あの歌がはやっている時に僕はこうしていたねというようなこと。」

「そういった時代の時にあのニュースが流れていたねというところまでつながっていくと「歌というものは生き物だな」という感じがしますからね。」

 

阿久 悠さんが手掛けた歌は5000曲を超えます。

「UFO」から「舟唄」まで幅広いジャンルの歌を手掛けた阿久 悠さん、一人の作詞家が書いたとは思えないと人々を叫喚させました。

阿久 悠さんは、番組の中で次のようにおっしゃっています。

「僕の中には子どもの時にすごい衝撃を受けたハリウッドがあったり、ディズニーランドがあったりするわけですね。」

「そしてまた同時に、僕は日本人として生まれて育ってきた一つの風土みたいのがあるわけです。」

「そういう言い方をすると、僕の中のディズニーランドが目覚めれば「UFO」になるし、ハリウッドが目覚めれば「勝手にしやがれ」になるし、俺は日本人だなと思えば「津軽海峡冬景色」になるんですよ。」

 

阿久 悠さんは、1937年に瀬戸内海の淡路島で生まれました。

明治大学卒業後、広告代理店でラジオやテレビ制作を手がけました。

そして、あることがきっかけで久 悠さんは作詞家へと転身しました。

阿久 悠さんは、番組の中で次のようにおっしゃっています。

「全く時代の流れと関係ないような男と女の恋物語であってもね、何も起きていない平和な時代と、ぱっと窓を開けるとデモ隊が走り回っている状況の中ではね、やっぱりどんなノンポリでもセリフのトーンというのは違ってくるはずなんでね。」

「その違ったセリフのトーンみたいなものがラブストーリーの中にでも反映出来れば一番いい時代感覚なんだろうなと僕は思っているんです。」

 

1975年、世界的な不況が続く、中でも日本は高経済成長が急に崩れただけにそのショックは大きかったこの年、生活にゆとりが出来た反面、何だか満たされない時代を歌に込めたのが「時の過ぎゆくままに」でした。

阿久 悠さんは、番組の中で次のようにおっしゃっています。

「なんかだるそうに片手でピアノを弾いている女なんていうのは、今まで日本のドラマにはならなかったんですけど、それが成立する。」

「だるいなんてことが日常生活の中で栄養失調じゃなくてだるい。」

「それまでだるいって言ったら、「あんた、ビタミン不足じゃない」って言われていたのが、「そうじゃない、ちゃんと満たされているのにだるい」って言う人が出てくる、それが1970年代だなって、そういうのも書きたいなと。」

 

1980年代後半、日本はバブル景気に沸きました。

しかし、阿久 悠さんは、そうした時代への違和感を感じており、「時代おくれ」を書きました。

阿久 悠さんは、番組の中で次のようにおっしゃっています。

「これ(「時代おくれ」)は1986年ですからね。」

「日本のバブルの最盛期までまだ2〜3年あるわけですけど、けれども86年時点でなんか「金持ちぶっているのが似合わないなあ」と思ってたんですよ。」

「なんかもう金ぴかになっていって、金ぴかの人ばっかり目にするようになって。」

「そして、日本は貧しかったわけですから、金ぴかになってね、幸福そうな顔をしているんだったらいいんですよ。」

「金ぴかの割には不機嫌な顔をしている。」

「ということは、自分よりもっと金ぴかな奴がいるのが気に入らないと思っているんだと思うんですよね、その不機嫌さというのはね。」

「だからやっぱり、そのために失っていく人間の魅力みたいなものを、昔は「あの人は金儲けは下手だけど、とても立派な人です」という言葉があったんです。」

「今はないんです。」

「もう金儲け出来なかったら、下の句の「立派な人です」というのが付いてこない時代になっている。」

「上の句でしか評価されない時代になっていく。」

「これはやっぱり嫌だな。」

 

時代を語り続けた作詞家、阿久 悠さん、その歌は世代を超えて歌い継がれていきます。

 

以上、番組の内容をご紹介してきました。

 

番組を観ていて、思い出した言葉があります。

それは子どもの頃よく見ていたテレビの歌謡番組で司会者が言っていた「世は歌につれ、歌は世につれ」という言葉です。

 

阿久 悠さんは、大学卒業後に広告代理店に勤めていたこともあって、もともと時代に対する嗅覚が優れていたと思います。

ですから、作詞家になってもその時代その時代の根底に流れているものは何かを手探りし、それを作詞というかたちで表現していたのです。

阿久 悠さんの作詞家として優れていたところは、並外れた時代感覚と作詞家としての表現力にあると言えます。

また、時代感覚の幅がとても広かったがゆえに、結果として様々なジャンルの作詞を5000曲以上も手掛けることが出来たと言えます。

そして、時代の根底に流れる雰囲気を的確に捉えており、それを的確に詞として表現していたがゆえに、多くの人たちの共感を得て、受け入れられていたと思います。

 

さて、考えてみれば、歌に限らず様々な商品や映画、小説などは大なり小なり時代の影響を受けて作られています。

そして、こうしたあらゆるものが逆に時代の流れを加速させているとも言えます。

 

ということで、人の作るあらゆるものについて、「世は万物につれ、万物は世につれ」と言えると思います。


 
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