No.3726 ちょっと一休み その598 『民主政治を危うくする最近の安倍政権の対応!』でもお伝えしたように、加計(かけ)学園の獣医学部新設を巡る問題で、「官邸の最高レベルが言っている」などと記された文書について、文部科学省の現役職員の証言など新たなデータが次々に明らかになっているにも係わらず、政府はその出所が分からないとその存在をなかなか認めていませんでした。
私はなぜこうしたギャップが起きるのか不思議でなりませんでした。
そうした中、6月7日(水)放送の「時論公論」(NHK総合テレビ)で「公文書や記録は誰のものか」をテーマに取り上げていました。
そこで、この番組を通して、文書管理の重要性についてお伝えします。
なお、今回の論者は清永 聡解説委員でした。
行政文書が短い期間で捨てられる、あるはずだという記録が見つからないと言われる、国の公文書や記録を巡って今、次々と問題が指摘されています。
南スーダンに派遣された自衛隊の活動報告書を去年、請求したものや森友学園を巡る交渉記録を、財務省と近畿財務局に求めたのですが、いずれも文書不存在とされ、
文書の保有が確認出来なかったなどとなっています。
陸上自衛隊の日報は、後に見つかりましたが、財務省は文書を廃棄したと説明しています。
加計学園を巡り、内閣府と文部科学省のやり取りを記したとされる文書は、19人の職員にメールで送信され、今も個人のパソコンなどで保管されていることが、NHKの取材で明らかになっています。
しかし、文部科学省は今も確認出来ないとしています。(6月7日現在)
なぜ、こうしたことが起きるのでしょう。
日本で情報公開制度を求める声が強まったのは、ロッキード事件がきっかけといわれています。
政府の情報を知るすべがないことに国民の不満が高まりました。
しかし、法律はなかなか出来ず、国よりも先に一部の自治体が情報公開の条例を作ります。
またオンブズマンなどが、各地で情報公開を求める裁判や運動を起こします。
さらに、薬害エイズ事件で文書ファイルが問題となり、2001年、情報公開法が施行されました。
さらに公文書管理法も2011年に施行されます。
このように、公開と管理という2つの法律は、長い時間をかけ、市民の活動や数々の事件を教訓に整備されました。
今の制度では、 行政文書は、各行政機関が内容に応じて保存期間を30年などの期間に分けていきます。
そしてファイルを作り、管理簿にまとめます。
この管理簿はネットでも公開されています。
その後、歴史的な文書と判断されれば、国立公文書館に移されます。
また廃棄する時は、総理大臣の同意など、厳しい条件が付いています。
ところが、これにはいわば例外があります。
各省庁は、規則や細則で、保存期間1年未満という、もう一つのルールを作っています。
短期で目的を終えるものなどが対象とされています。
ここに大きな問題があります。
公開の対象になる行政文書なのに、管理簿にも載せられず、公文書館にも移されず、審査を受けずに廃棄出来ます。
つまり、いつ、どういう文書が作られ、捨てられたのか、仕組み上、記録は残らないことになります。
南スーダンに派遣された陸上自衛隊の日報の文書も、森友学園との国有地の交渉記録も、この1年未満という扱いでした。
そもそも、これらの文書が1年未満でよいのでしょうか。
さらに問題は、判断の妥当性も検証出来ないことです。
1年未満の文書がどのくらいあるかも分からず、情報公開請求をしても、廃棄したと言われてしまいます。
国有地を巡っては、会計検査院も経緯を調べています。
しかし、検査院も、財務省に文書がないと言われれば、強制的に調べることは出来ません。
市民団体情報公開クリアリングハウスの三木由希子理事長は、この状態をブラックボックスと呼んでいます。
そしてこのままでは、国有財産の売却経緯はすべての省庁が1年未満になりかねないと、裁判を起こしました。
さらに、日弁連も公文書管理の徹底を求める会長声明を出しています。
一方、政府は、その後の決済文書が保存されているから問題はないなどと説明しています。
しかし、細かな経緯が後から重要になることもあるはずです。
また例外が広がれば、制度は骨抜きにされてしまいます。
1年未満という保存期間を、原則として廃止することや、少なくとも基準をもっと厳格にすることが必要ではないでしょうか。
もう一つ、今、問題になっているのが、加計学園を巡る文書です。
文書は今も職員の業務で使われる個人のパソコンの中などで保管されていることがNHKの取材で明らかになっています。
しかし、文部科学省は、担当課の共有フォルダーなどを調査した結果、確認できなかったと説明しています。
一方で文部科学省は、個人のパソコンは調べていません。
その背景には、行政文書は共有フォルダーに入っている、個人のパソコンに公開対象になる文書はないという考えがあるのではないでしょうか。
確かに、個人のメモをすべて公表の対象にしてしまえば、文書が膨大になります。
また公務員がメモを作りにくくなり、活動への支障も指摘されます。
ただ今回のケースはどうでしょう。
行政文書は、職員が職務上、作成し、組織的に用いるもので、行政機関が保有などと定義されています。
一方で、今回の文書は、説明資料として作成された、メールで19人に送信されたなどとされています。
このため、複数の専門家は、行政文書に当たる可能性が高いと指摘しています。
仮に、行政文書だが、開示できない理由があったとする場合は、今度は適切な管理だったのかが問われることになります。
文部科学省は出所不明の文書だとして、再調査を行わない方針です。(6月7日現在)
しかし、本当に出所が不明なのかどうか、そして、公開対象の行政文書かどうかをはっきりさせるためにも、改めて調査を行うべきではないでしょうか。
公文書管理法は、公文書を、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源と位置づけています。
その民主主義が損なわれていないか、国民の疑問を取り除くことが、まず求められるはずです。
最後に、公文書にはもう一つ、大きな役割があることを指摘したいと思います。
私は一昨年まで3年間、国立公文書館で、戦後に開かれた戦争裁判の記録、特にBC級戦犯の裁判記録を閲覧してきました。
こうした文書も、かつて法務省が収集し、移管したものです。
残っているのは公的な文書だけではありません。
被告が法廷で記した個人のメモや、弁護士の走り書きなども含まれています。
こうした詳しい記録があるからこそ、現在の私たちは、当時の戦争裁判の問題点や、被告とされた人たちの苦悩、そして戦争の悲惨な歴史を知ることができるのだと思います。
公文書は、歴史の過程を次の世代に伝える役割も担っています。
つまり、公文書は今の私たちのものだけではなく、未来の国民への財産でもあるはずです。
歴史を正しく伝え、法の理念を生かすためにも、制度を改善していくことがこれからも求められます。
そして担当者もどうか自分の利害だけにとらわれず、いつか歴史の検証を受けるという謙虚な気持ちで、文書の保存と公開に取り組んでもらいたいと思います。
時論公論、今夜は、公文書管理で指摘されている問題点と、知る権利や歴史の検証という、今後のあるべき姿を考えました。
以上、番組の内容をご紹介してきました。
そもそも公文書管理法は、番組で解説されていたように、公文書を健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源と位置づけています。
その狙いに照らしてみると、どの文書を公文書管理の対象とし、保管期間を何年にするかなど、公文書管理規定が不十分と思わざるを得ません。
少なくとも以下の要件を満たすものは全て公文書として扱うべきだと思います。
・複数の関係者による会議の議事録
・何らかの決定に関連するメールなどのやり取り
更に、こうした文書については出席者を送付先に指定するだけでなく、それ以外の関係者全員に写しを入れておけば、その後の内閣府と文部科学省との調査結果の食い違いなど生じなくて済んだのです。
ここにも縦割り行政の弊害が見て取れます。
特に重要な決定事項については、誰がいつどのような過程を経て、あるいはどのような根拠で決定したかが分かるよう情報は全て公的文書として残すべきなのです。
ところが、文部科学省は、加計学園の獣医学部新設を巡る問題で、「官邸の最高レベルが言っている」などと記された文書について、公的文書の対象外としていたのです。
ですから、政府はこうした根拠を盾に、当初からその出所が分からないとその存在をなかなか認めていませんでした。
文部科学省は、公的文書における自身の曖昧な管理ルールを棚に上げて、公的文書としては存在しないとつい先日まで言い続けてきたのです。
更に、官邸も文部科学省の言い分をそのまま受けて、同様の主張をしてきたのです。
送付元も送付先も明らかなメール文書の存在が明らかであるにも係わらず、公的文書でないからといって、その存在は認められないという言い分は、世間の常識からあまりにかけ離れていると言わざるを得ません。
要するに、少なくとも文部科学省は公文書管理法に則った適切な管理ルールを作らず、国民への説明責任よりも自分たちにとって都合のいい管理ルールにしていたと指摘されても仕方ないのです。
なお、その後の報道によれば、内閣府においても同様の状態のようです。
また、内閣府と文部科学省とで同じ文書において、言い分が異なるという状況も明らかになっています。
このような状況は、一般企業ではあり得ないと思います。
今回の問題を契機に、是非政府全体として公文書管理の見直しをしていただきたいと思います。
こうした再発防止策を講じなければ、今後とも同様の問題が起きてしまうことは間違いありません。
また、再発防止策として、きちんとルール通りに各省庁が文書管理をしているかどうかを定期的にチェックする第三者機関を政府内に設けることが必要になります。
そうでなければ、文書管理全般の徹底は図れないのです。
そもそも、問題の文書が公的文書として管理されていれば、ここまで政治の混乱を巻き起こすことはなく、早期に収拾出来たはずなのです。
ドキュメント(文書)管理は、プロジェクト管理においてもとても重要です。
そもそもプロジェクト終了後も、開発されたシステムはシステムが稼働している限りは担当者により様々な面で保守されていきます。
そして、システム担当者は何年かで交替されるのが常です。
そうした時に、ドキュメントがきちんと整備されていなければ、まともなシステムの保守など出来ないのです。
例えば、ユーザー要件や設計書などがきちんと管理・保管されていなければ、システム稼働後の変更をきちんとシステムに反映することが出来なくなってしまいます。