2017年05月21日
No.3708 ちょっと一休み その594 『人間は料理することで人間になった!?』

毎日食事をするという行為は、当たり前すぎて普段その意味について深く考える人はほとんどいないと思います。

そうした中、2月7日(火)放送の「視点・論点」(NHK総合テレビ)で「料理する意味」をテーマに取り上げていたのでご紹介します。

なお、今回の論者は料理研究家の土井 善晴さんでした。

 

私たちは日頃、「食べること」の大切さを語ることはありますが、食べ物を作る「料理する」という行為については、あまり深く意味を考えたことがないように思います。

私たちの身体を養う料理は、つい健康や栄養的観点を考えがちですが、私たちは栄養のみを食べているわけではありません。

もし、そうであれば、健康食品やサプリメントで済ませばよいことになります。

中食と言われる手作りのおそうざいや加工食品、外食は空腹が満たされ便利さや楽しさがあってたまには良いですが、それが毎日では問題もあり、こればかりでよいとは思いません。

不思議なことですが、言うまでもなく、私たちは「手作りの家庭料理が一番いい」ということをなぜか知っているのです。

そして、それはけして間違いではありません。

 

我が家は一階を仕事場にしています。

料理の仕事をしていますから、なにかしら、うちには食べるものがあるのです。

仕事で作った料理は、撮影が終わってから、みんなで食べたり、お客様に全部持って帰ってもらいます。

クラブ活動から、お腹をすかして帰ってきた娘の晩ごはん。

私など、仕事の料理を適当に盛り合わせて食べさせればいいと、思っていたのです。

でも妻は、娘の『ただいまー』の声を聞いてから、いつも料理をしたのです。

仕事で作ったご馳走と妻がその場で作った料理は、同じものでしょうか。

まったく違うものですね。

娘は、着替えながら、台所で料理する音を聞いて、お料理ができる匂いをかいで、母親が料理をしている気配を感じていたことでしょう。

まさに、料理は愛情です。

彼女は、どれほど帰ってきてホッとしたことでしょう。

どれだけ安心できたことでしょう。

今、私は遅ればせながら、その意味を理解して、妻に感謝しています。

妻は料理することで、[ 子供の居場所 ] を作っていたのです。

私と一緒に仕事をしながら、すごく忙しいのに、なぜそうしたのか、現代の合理精神では説明しにくいところです。

無条件で料理を作ってやりたかった、としか言えないところに、「料理する意味」の本質があるように思います。

だから、若い夫婦がよい家庭を築きたいと願えば、多くの女性はしっかり料理をがんばって作ろうと決心するし、一人暮らしであっても、料理すれば正しく生きていると自信が持てるのです。

 

「人間は料理することで人間になった」とハーバード大学のリチャードランガム博士は、「火の賜物」という著書で語っています。

だとすれば、料理するという行為はすでに人間として人間らしく生きることに含まれていることになります。

調理は外部消化と言われるのですが、食べ物を柔らかくして噛みやすく、消化しやすくします。

それによって、人間の顎や消化器は小さくなり、効率よく合理化したおかげで、余ったエネルギーで、脳を発達させ、また、「余暇」という動物にはない特別な時間を持ったのです。

自由な時間を持った時、人間は何をしたのかと考えています。

人間の命の働きが愛情である以上、人間は自分以外の人のためになることを何かしたのだろうと思うのです。

愛情を持って家族が喜ぶことをする時間が出来たのです。

「料理することはすでに愛している。食べることはすでに愛されている」。余暇を持つことで料理するという行為に情緒的な潤いが出来たのです。

 

私は、「料理する」、「料理を食べる」という行為の周辺にあるさまざまな心地良さを「原生的幸福感」と言っています。

ちなみに、現代社会のお金と交換される幸せは「人工的幸福感」です。

どこの家族にでも普通にあるべき「原生的幸福感」がともなわないと、いくらお金があっても幸福にはなれないものでしょう。

すべての生物が動くのは食べものを得るためです。

食事には生きるための大切な要素が含まれていることは間違いありません。

ものを食べるとなると必ず一定の行動が伴います。

そんな食べるための行為の全てを「食事」といいます。

生きるためには身体を動かし、立ち上がり、手を働かせ、肉体を使って食べなければなりません。

ゆえに、生きることの原点となる食事的行動には様々な知能や技術を養う学習機能が組み込まれているのです。

それは人間の根源的な生きる力となるものです。

 

食を中心に考えますと、人生とは、食べるために人と関わり、働き、料理して、食べさせ、伝え、教育して、家族を育て、命をつなぐことです。

料理することは人間として生きるためには欠かせないものですが、今、私たちのいる現代の日本では必ずしも料理しなくてもよくなりました。

出来上がった料理を手軽に買い求めて食べることで、「料理する」を省略出来るからです。

となると、人間は食べるために必然であった行動を捨てることになります。

「行動」と「食べる」の連動性がなくなれば、生きるための 学習機能を失うことになります。

行動して食べることが心を育てると考えれば、大いに心の発達やバランスを崩すことになってしまいます。

 

「このお芋、なんかおいしいねー」といつもは黙っている子供が言うのです。

「あんたよう分かるねー。おばあちゃんが「掘り立てや」言うて、送ってきてくれたんよ。おいしいやろ。」と、なんでもない親子の会話。

家庭には、こういった日常のやり取りの中に、とても大切な情報の交換があるのです。

親が料理することで、子供は多くのことを見聞きしています。

 

家庭料理は、自然や季節とつながる食材、調理する余裕、時間、作り手の気持ちの有り様、家族の状況など、さまざまな事情を原因にして作られます。

家族は、出来上がったお料理を食べるにしても、料理の向こう側にあるものを感じながら食べているのです。

目には見えないものも無意識のうちに感じ、経験しているのです。

正しい原因によって日々繰り返される家庭料理は生きる経験です。

その経験によって、本質を見て 判断する基準 「定数の一という経験値」を身に付けていくのです。

子供達は大人になって社会に出れば、あらゆることを判断しなければならないのです。

しかし、初めてのことでも身につけた無限大の「定数の一」を基準にして正しい判断が出来るのです。

それが直観力です。

 

カンのいい人がいます。

なんとなくこっちのお店の方が美味しそうだとわかるのです。

同じ一枚の写真を見ても、そこには写ってないものまで気づく人がいます。

料理屋では、小さなことに気づいて喜んでくれるお客様を、「もの喜び出来る人」と言いました。

とても素敵な人です。

相手の気持ちがわかる人は、思いやりがある人です。

気づくことは閃きに通じ、幸せになる力です。

また、それは人を幸せにする力となることでしょう。

家庭料理は大人の責任です。

毎日ご馳走である必要などありません。

家庭料理は自分の都合で「今日はお休み」とは言えないのです。

だから、「毎日食べても飽きないもの」、また、「持続可能なもの」でなければなりません。

ですから、毎日一汁一菜、ご飯と具沢山の味噌汁で大丈夫です。

「簡単なことをていねいに」手作りすることが一番大切なことと考えています。

毎日の営みである食事には、人間の根源的な生きる力を養う力があるのです。

 

以上、番組の内容をご紹介してきました。

 

今回ご紹介した番組には、料理に関連した素晴らしい言葉が散りばめられていると感じたので以下に羅列してみました。

◇料理は愛情であること

・無条件で料理を作ってあげたいところに「料理する意味」の本質があること

・愛情を持って家族が喜ぶことをする時間が出来たこと

◇人間は料理することで人間になったこと

・調理は外部消化と言われており、食べ物を柔らかくして噛みやすく、消化しやすくしていること

・それによって、人間の顎や消化器は小さくなり、効率よく合理化したおかげで、余ったエネルギーで脳を発達させ、「余暇」という動物にはない特別な時間を持ったこと

・毎日の営みである食事には、人間の根源的な生きる力を養う力があること

・生きることの原点となる食事的行動には、様々な知能や技術を養う学習機能が組み込まれていること

 

更に、私なりの解釈で以下のようにまとめてみました。

人は何らかのきっかけから料理をするようになりました。

そこには、料理を作る側の愛情と料理をいただく側の感謝の気持ちが入り混じっています。

そして、料理をする延長線上で、料理以外のかたちでも自分以外の人に何かしてあげたい気持ちが芽生えました。

また、生きることの原点となる食事的行動には、様々な知能や技術を養う学習機能が組み込まれているのです。

ですから、毎日の営みである食事には、人間の根源的な生きる力を養う力があるのです。

 

また、人間は調理することにより、顎や消化器が小さくなり、食べるという行為を効率よくし、余ったエネルギーで脳を発達させ、「余暇」という動物にはない特別な時間を持てるようになりました。

その結果、私たち人間の顔のかたちなど身体に変化が生まれ、同時に科学技術、あるいは文化、芸術など他の生物にはない人間独自の活動を広げられるようになったのです。

 

こうしたことから、“人間は料理することで人間になった“という考え方は根源的に正しいと思うのです。

 

そして今や、人間は料理のみならず、モノづくりや移動手段などあらゆる人間の活動分野において効率化を図り、なおも追求し続けています。

その延長線上に見えるのは、私たち一人一人がどんなことであれ自分のやりたいことに重点的に時間を使える時代、すなわち自己実現指向時代の到来です。

そうした時代においても、家族など身近な人たちとのコミュニケーションのベースは料理であって欲しい、と番組を通して強く思うようになりました。

やはり料理は人間の根源的な生きる力だと思うからです。


 
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