2017年03月27日
アイデアよもやま話 No.3661 母の死に際して その1 実感した霊の存在!

先日、自身の誕生日を迎えて間もなく私の母は89歳で亡くなりました。

そこで母の死に際し、今の私の気持ちについて6回にわたってお伝えしたいと思います。

皆さんが身近な方を亡くされた際、気持ちの整理がつかない時、あるいは大変な落ち込みに悩まされた時に、少しでも助けになればと思います。

1回目は、実感した霊の存在についてです。

 

私は3人兄弟の長男で、三男は土木関係の仕事に就いており、東日本大震災の後、東北地方の復興のため大変心を砕いて尽くしました。

ところが、2年ほど前、連日の働き過ぎのため出張中のホテルで夜間寝ている間に54歳という若さで亡くなりました。

 

私は現在横浜市在住で、鎌倉で毎年1回行われている「白熱教室in建長寺」という催しに出席しております。

そして、以前、「魂は存在するのか、また死後の世界はあるか」というようなタイトルである由緒ある神社の神主が死後も魂は存在すると講演でおっしゃっておりました。

 

そうしたところ、私も今年自ら霊の存在を実感しました。

といいますのは、私は早寝早起きで朝は3時前後には起きてリビングルームで過ごすような生活のリズムで暮らしております。

そして、1月15日の3時過ぎに突然置時計がけたたましい音を出したのです。

驚いた私はすぐに音が鳴りやむようにリセットしました。

ところが、何秒かするとまた音が鳴り出しました。

これが3回ほど繰り返され、さすがに時計の電池を取り出しましたらようやく音がしなくなりました。

なんだろうと不思議に思っておりましたら、その日たまたまリビングルームでテレビを見ていた妻がこの日、1月15日は亡くなった弟の命日だと教えてくれました。

そこで、亡き弟が今日は自分の命日だと知らせているのだと感じたのです。

このような体験はこれまでの私の人生で初めてでした。

勿論、その日の朝、実家の父や亡き弟の家族にもこのことを知らせました。

今から思えば、母の病状から、あるいはもうしばらくで89歳を迎えるという高齢から母はこの先あまり長くないので三男が自分の分も含めて母に出来るだけ寄り添って欲しいというメッセージを発信していたのかも知れません。

 

それにしても何年も前から置きっぱなしの置時計がよりにもよって深夜3時過ぎに、しかも弟の命日に突然なり出したという事実には驚かされます。

霊の存在については、人それぞれで信じる人もいれば信じない人もいます。

しかし、このような体験をすると霊の存在を実感しないわけにはいきません。

 

ここで思い出されるのは以前ご紹介したフィクションという考え方です。(参照:アイデアよもやま話 No.3643 世界が注目するベストセラー「サピエンス全史」の指摘 その1 認知革命!

今だから言えますが、私たち人類の祖先、すなわちホモ・サピエンスは今回私が体験したような事実、すなわちある時突然ふだん起こりえない何かが起きたこと、そしてそれが別の事実と結びつくことからいろいろと想像を巡らし、霊の存在に対しての確信に結びついたのだということです。

このように現実に起きた様々なことをベースにこれらを結びつけていろいろと考えを巡らせていった、その積み重ねがフィクションという考え方に行き着き、現実という枠から出ることの出来ないネアンデルタール人とは別な種へと進化したのだと思います。

そもそもフィクションという考え方自体がフィクションなのです。


 
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