多くの人々が平和を願っている一方で、常に世界中のどこかで紛争や戦争が絶えず起きています。
そこで、プロジェクト管理と日常生活 No.459 『国家間のより強い依存関係こそ戦争勃発の最適なリスク対応策』ではプロジェクト管理の考え方に沿って、国家間のより強い依存関係の構築こそが平和維持にとってとても重要であるとお伝えしました。
そうした中、8月1日(月)から4回にわたり放送された「100分de名著」(NHK
Eテレ東京)で「カント “永遠平和のために”」をテーマに取り上げていたので戦争勃発のリスク対応策の観点から4回にわたってご紹介します。
4回目は、“知性”こそが永遠平和のカギであることについてです。
なお、番組の講師は哲学者で津田塾大学教授の萱野
稔人さんでした。
人間は遥か昔から人間同士の争いを避けるため法律を定め、国家を作りました。
しかし、国家同士の争いは絶えません。
18世紀のヨーロッパを代表するドイツの哲学者、イマヌエル・カント(1724-1804)はその著書、『永遠平和のために』(1795年刊行)の中で永久に戦争の起こらない世界をどうしたら導くことが出来るのかを追求しました。
そして、カントは国家と国家の間にも同じように平和を導くための法律が必要だと説きました。
更に、その法律には全ての国家が守ることが出来るよう、公平な道徳が不可欠だと主張したのです。
しかし、この道徳は私たちが考えている道徳とはかなり違います。
萱野さんは、番組の中で次のようにおっしゃっています。
「カントは『永遠平和のために』の中で「道徳と政治の一致について」というテーマで半分くらいの分量を割いて、カントが熱を入れて論じたのは分かるんですけども、では政治は道徳的に営まれれば永遠平和を実現するんだということを述べているわけでは必ずしもないんですよ。」
「カントにとって、永遠平和が実現されるっていうのは各国が法を尊重して法に基づいて紛争を解決しましょうと、そういう状態をいかに実現するかっていうことなんですよ。」
「で、法が多くの国によって守られていくということを実現するためには実は道徳に着目することが大事なんだっていうのがここでもカントの問題意識になります。」
カントは、永遠平和を達成するためには全ての国が無条件に納得出来る道徳をベースにした法律に従わなければならないと考えました。
それを公法の状態と呼んで、次のように記しています。
「公法の状態を実現することは義務であり、同時に根拠のある希望でもある。これが実現されるのがたとえ無限に遠い将来のことであり、その実現に向けて絶えず進んでいくだけとしてもである。だから永遠平和は(中略)単なる空虚な理念でもなく実現すべき課題である。」
公法の状態とはあらゆる国家が共通の法に従っている状態のこと、そのためには法律が誰にでも例外なく公平であることが必要です。
そして、法律を公平にするためには、法律のベースになる法律自体が誰がどんな場合でも無条件に従うべきものでなければなりません。
これを道徳と政治の一致とカントは言います。
しかし、カントの言う道徳は私たちが普段考える道徳とは少し違うのです。
例えば、嘘をついてはいけない、この道徳についてカントは考えます。
多くの人は嘘をつくことはいけないことだと考えています。
しかし、例えばある女性が夫から何年間も毎日のように暴力を受けていました。
ある日、彼女は耐えきれなくなって友人であるあなたの家に逃げてきました。
あなたは友人をかくまいます。
しかし、すぐに夫はあなたの家にやって来て、私の妻はいないかと聞いてきました。
この場合、正しい道徳に沿って考えれば、嘘をつくのはいけない行為なので嘘をつかず被害者の友人をかくまっていることを正直に言わなければなりません。
しかし、カントは道徳を内容ではなく形式で考えました。
道徳を内容で考えると、嘘をつかないという原則を貫かなければならなくなります。
一方、形式で考えるということをカントは次のように言います。
「汝の主観的な原則が普遍的な法則となることを求める意志に従って行動せよ。」
つまり、形式で考えると道徳は誰もが行ってもいいと思えることをどんな場合でも行わなければならないという普遍的な法則になります。
この場合、暴力をふるった夫に嘘をついて被害者をかくまうということを誰がやったとしてもいいと思えるならば嘘をついても道徳的になるということなのです。
どんな場合でも誰もが例外なく従わなくてはならないと迫ってくる道徳の力こそが道徳の形式だとカントは考えるのです。
萱野さんは、この道徳の内容と形式について次のように解説されております。
「内容で考えている限り、いろんな矛盾する状況が出てくるわけですよ。」
「で、カントが着目するのは我々が道徳的と考えることは一体何なのっていうことなんですよ。」
「嘘をついてでも道徳的だと思うことがあるわけですよね。」
「では、その時の道徳的ってどうやって表現したらいいのってことなんですよ。」
「となると、みんながこうすべきことだって思えることが道徳だって言うしかないんですよね。」
「それが形式で考えること。」
「誰もが行うべきだと考えること、これが「普遍的な法則」、そして「汝の主観的な原則」っていうのは私がやろうとしていることと考えて下さい。」
「だから、私がやろうとしていることが誰もが行うべきだと考えられるような、そんな意志に従って行動すべきなんですよ。」
「一言で言えば、誰もがやってもいいと思えることだけをやって下さいよっていうことなんですよね。」
「(先ほどのドメスティック・バイオレンス(DV)の例で、内容と形式の具体的な違いについての問いに対して、)判断の基準はDVの被害者を助けるために誰もが嘘をついてでも助けるべきだと考えられるならその行動は道徳的だということになるし、やはりこの時は嘘をつくべきではないと誰もが思えるならばこちらが道徳的となると。」
「形式に注目するというのは公平性を確保するっていうことなんですよ。」
「自分だけはいいとか、そういう例外を認めないってことなんですよね。」
「これが公平性につながるとカントは考えたんですよ。」
「政治と道徳は一致しなければいけないとカントが主張するのもこういった公平さを道徳が表しているからなんです。」
「その公平さを法の次元にもちゃんと導入しましょうよ。」
「例えば、国際関係のもとでは法律を強制するものってないですよね。」
「法を守ってもらうには法があらゆる国にとって公平でなければならない。」
「ある国は守らなくていいっていうようなことがあったり、こういう時に関しては例外を認めますよっていうことがあったりすると、みんな法を守るのが馬鹿らしくなって法を守らなくなるじゃないですか。」
「なので、法をあらゆる国が尊重するためには法に公平性が実現されていなければならない。」
「公平性ってのはどう考えたらいいかというと、道徳を形式的に考えることから導き出されますよっていうのがカントの一連の考えのステップなんですね。」
では、法律を公平なものにするためにどうするか、カントは次のように記しています。
「邪悪な悪魔でも知性さえ備えていれば、法律を作り国家を作ることが出来る。」
では、欲深い悪魔がどうすれば公平な法律を作ることが出来るのでしょうか。
悪魔たちの前に美味しそうな大きなケーキが置いてあります。
すると悪魔たちは欲深いのですぐに争いを始め、ケーキの取り合いをしてしまいます。
悪魔たちの争いを止めるような公平な切り方は出来るのでしょうか。
カントの考え方に基づくと、形式を定めて切ることによって誰もが納得する公平な切り方になります。
ポイントは、どの悪魔がケーキを切り分けても自分だけ大きくしないようにすることです。
そこで、ケーキを切る係の悪魔が最後にケーキを取るというルールを決めました。
このルールがあれば、悪魔たちは自分の欲望を最優先して最後に自分が受け取るケーキが他の悪魔より小さくならないように一生懸命考えます。
その結果、均等に切り分けることが自分にとって一番得になるという結論に至ります。
つまり、どの悪魔が切ってもケーキは均等に切り分けられ、争いは起きなくなるのです。
このように、一人の例外も出さずに誰もが均等になるということ、これが公平性が担保されている状態なのです。
萱野さんは、この例について次のように解説されております。
「利己心を認めたうえで平和がもたらされるようにするというのがカントの出発点だったんですよね。」
「利己心があればあるほど公平に切らざるを得ないわけですよ。」
「例えば、今回は悪魔が3人でケーキがこれくらいの大きさかもしれないけども、悪魔が8人でケーキの大きさはこれくらいかもしれない。」
「で、その都度こう切るのが公平ですよって定めていたらきりがないですよね。」
「そうすると、1回で済むようなルールを考えると、ケーキを切った人が最後に選ぶようにしましょうっていうルールで方が付く(決着する)んですよね。」
「これが形式で考えるってことなんですよ。」
「2つ目のポイントは、誰がやっても同じようになるっていうことなんですよね。」
「この人に任せればうまくいくっていうことでは嘘をついている可能性もありますからね。」
「ということは、誰が切っても同じ結果になるような形式を定めましょう。」
「そこに公平性の実現がなされる可能性がありますよっていうのがカントの考えなんですよね。」
「カントは、公平性を実現する過程には終わりがないというふうに考えたんですよ。」
「終わりのないプロセスの中で少しずつ公平性を高めていくべきだと。」
「その点でいうと、現在の法律でも終わりがないんですよね。」
「こういった公平性を少しでも実現していくことが法に対する尊敬、あるいは我々が守ろうとする気持ちを高めるんだと(カントは)考えたんですね。」
更に、法律の公平性を保つために必要なものがあるとカントは次のように記しています。
「国家における国民と国家間の関係に関して、経験によって与えられている様々な関係から法学者が普通想定するような公法の全ての内容を捨象(抽象)してみよう。すると残るのは公開性という形式である。いかなる法的な要求でも公開しうるという可能性を含んでいる。公開性なしにはいかなる正義もあり得ないし、いかなる法もなくなるからだ。」
公開性というのは、全ての人の眼差しに耐えうるものであるということです。
法は、公開されたものでなくては法としての意味が全くありません。
公開されないと誰もその内容を知ることが出来ず、その法に従うことも出来ないからです。
先ほどの悪魔たちの例で、今度はケーキを切る時に他の悪魔に見られないようにカーテンの閉まった密室で行うことにします。
密室の中で欲深い悪魔はケーキを均等に切るというルールを破ってしまいます。
そして、自分の分だけ大きく切って他の悪魔には残りのケーキを均等に切って黙って渡そうとします。
しかし、ここでカーテンが開くと、切り分けた悪魔が大きなケーキを持っていることがバレてしまいました。
すると大問題になります。
悪魔たちはケーキの奪い合いを始め、争いが起きます。
みんなの目にさらされていれば、理性に歯止めが効き、公平に切り分けられたはずです。
つまり、公開性が公平性を守る条件なのです。
カントは最初に永遠平和とは公法の状態を実現することであると言いました。
このように、形式にこだわれば自ずと公平性が実現されて世界は永遠平和へと導かれると説いており、次のように記しています。
「人間愛と人間の法に対する尊敬はどちらも義務として求められるものである。」
「しかし、人間愛は条件付きの義務に過ぎないが、法に対する尊敬は無条件的な義務であり端的に命令する義務である。法に対する尊敬の義務を決して踏みにじらないことを心から確信している人だけが人間愛の営みにおいて慈善の甘美な感情に身をゆだねることが許されるのである。」
カントは、永遠平和を実現するには人間愛よりも法に対する尊厳が大切であると考えているのです。
人間の本質を善と捉える理想論は平和を構築するためには無力でした。
平和のためには、理想を超えた哲学が不可欠だと考えるのです。
萱野さんは、法の公開性について次のように解説されております。
「公開性っていうのは全ての人のまなざしに耐えうるということなんですよね。」
「公開性があれば、最終的には他人にも同じことを認めざるを得なくなりますよね。」
「自分だけ有利な法律を作っておいて運用しようとしても、それが公開されたら俺だってこれ認めろよっていう話になってきますから、結局は公平性、みんなが同じようにすると。」
「誰かが特別扱いされないっていうような状況が少しずつ実現されてきますよね。」
「公開されてみんなの検証に耐えうることが大事だというのがカントにとっての提言ですよね。」
「(国家と国家の間の法律においても公開性が重要なのかという問いに対して、)そうですね、国家と国家の関係で一番重要なのは強制力を行使するような機関がない中で各国に法律を守ってもらうことが永遠平和にとって一番大事なんだと。」
「そのためには法律を各国が尊重しなければいけない。」
「では、各国が法律を尊重するためには法律が公平なものでなければいけない。」
「でも、国際的な関係というのは、強国が自分の都合のいいように法律、国際法を定めるっていうことが結構多いじゃないですか。」
「貿易の交渉でもなかなかこれ(公平性)が実現しずらい空間ですよね。」
「だからこそ、公平性をどうやって実現するのかってことにカントは考えを巡らしたんですよね。」
「(核の拡散問題について、)核拡散防止条約(核不拡散条約)があって、核保有国を認めているわけですよ。」
「認めたうえで他の国は持っちゃいけないって言ってるわけですから強国の論理ですよね。」
「自分たちは特別扱いして他の国にはその権利を認めないと。」
「でも、あれは不拡散で拡散しないようにしろ。」
「で、最終的には核を無くしていくことを目的にしている法律ですから、いくら強国だからといって核を持つことは許されず、あらゆる国が核を無くしていくということがやっぱり公平だってことになりますよね。」
「カントが言ってるのは、そういった公平性の実現には時間がかかるかもしれないけども方向性だけは明確でしょと。」
「法の公平性を確保するためには公開性をちゃんと担保しなければいけない。」
「永遠平和はあくまでも努力目標みたいなもんなんですよね。」
「ただ努力目標も自分の目標とか利己心を抑えて実現するような努力目標ではなくて、この欲望・利己心をうまく活用する方法を考えて実現しようという努力目標なんですよ。」
「なので、人間が利己心に満ちて行動している中にも平和に向かって行くような要素が実は隠れているんですよ。」
「それをうまく活用すれば我々は少しでもいい世界に進めるんですよっていうのがカントの永遠平和のための提言かなというふうに思うんですね。」
以上、番組の内容をご紹介してきました。
以下に私なりの解釈を交えて番組の内容を箇条書きで整理してみました。
・永遠平和は利己心を認めたうえで欲望・利己心をうまく活用する方法を考えて実現しようという努力目標であること
・永遠平和を達成するためには全ての国が無条件に納得出来る道徳をベースにした法律に従わなければならないこと(公法の状態であること)
・カントの言う道徳とは、誰もが行ってもいいと思えることをどんな場合でも行わなければならないという普遍的な法則であること
・こうした考え方、すなわち形式に注目するというのは公平性を確保すること
・従って、政治と道徳は一致しなければいけないこと
・邪悪な悪魔でも知性さえ備えていれば、法律を作り国家を作ることが出来ること
・法の公平性を確保するためには公開性を担保しなければいけないこと
・永遠平和にとって、国家と国家の法律において一番重要なのは強制力を行使するような機関がない中で各国に法律を守ってもらうことであること
・各国が法律を尊重するためには法律が公平なものでなければいけないこと
・公平性を実現する過程には終わりがないこと
さて、これまで4回にわたってカントの著作、『永遠平和のために』を通して戦争勃発リスクの対応策を考えてきました。
結局、私なりの解釈では“知性”こそが国の平和、あるいは国家間の平和をもたらすカギであるという結論に至りました。
カントは、『永遠平和のために』の中で以下のような刺激的な記述をしています。
・人間は邪悪な存在である
・人間の悪が平和の条件である
・邪悪な悪魔でも知性さえ備えていれば、法律を作り国家を作ることが出来る
“邪悪”、“悪”、あるいは“悪魔”はずる賢い象徴と位置付けているのです。
そのずる賢さを突き詰めていくと“知性”に昇華され、その知性を具体的なかたちにすると公平性や公開性といった条件を備えるルールや法律に展開されていくというわけです。
しかし、現実にはこうしたプロセスで国家間の平和を維持することはとても困難であることをカントは見抜いていたのです。
ですから、公平性を実現する過程には終わりがないというように、永久平和の実現に向けてのルールや法律の改定には終わりがないとクギを刺していたのです。
では一番肝心の“知性”を私たちが身に付けるためには何が最も必要なのでしょうか。
それは教育だと思います。
家庭でのしつけも教育の一環です。
あらゆる教育や経験を通して、“知性”は磨かれていくのです。
そして、“知性”を磨くことにおいて終わりはないのです。