2016年07月23日
プロジェクト管理と日常生活 No.446 『日本は環境アセスメント後進国!?』

今や地球環境問題は世界的に関心が寄せられており、環境アセスメントについてこれまでアイデアよもやま話 No.3079 かつての日本は公害先進国だった!などでも触れてきました。

環境アセスメントは言わば環境に関するリスク管理におけるリスクアセスメントです。

そうした中、3月16日(水)放送の「視点・論点」(NHK総合テレビ)で日本における環境アセスメントの状況をテーマに取り上げていたのでご紹介します。

なお、論者は千葉商科大学の原科 幸彦教授でした。

そもそも環境アセスメントとは、高速道路や飛行場、ダムなどの開発行為の意思決定にあたり、その開発が環境に何らかの影響を与える恐れがあれば、事前にその影響を予測・評価し、できるだけ影響の少ない計画に変えるなどして、影響緩和を図る手続きです。
これは、開発と環境保全、この2つを両立させるための重要な手段です。

しかし、日本国内の環境アセスメントは、世界の標準的なアセスメントとは違い、先進国のものとは言えない状況です。

迷走した新国立競技場建設問題を例にすると、昨年、2015年の半ばに国民の注目を浴びた新国立競技場計画の案が白紙撤回されました。

イギリスの建築家、ザハ・ハディッドさんのデザインをもとに作られたこの巨大な新国立競技場計画は2520億円もの費用が必要とされましたが、計画のプロセスが不透明だと批判され、昨年7月、白紙に戻されました。

8月末には、整備計画を決めましたが、費用上限を1550億円としました。

そして、年末には、この上限近く、1500億円ほどの費用の計画案が決まりました。

しかし、ロンドンの競技場は530億円で出来たといいますから、それより1000億円ほども高いという巨額です。

どうして、こんなことになったのでしょう。

これは、計画見直しのプロセスが再び不透明だったからです。

巨大なキールアーチをやめましたが、スペースは1割ほどしか減っていません。

まだ、ロンドン五輪の競技場の2倍ものスペースがあります。

7月以降の見直しの際、アスリートや一部有識者の意見は聞きましたが、立ち退き対象の都営アパートの住民や、この問題を提起してきたNGOの声は聞いていません。

そして、公開の場での議論がなく、巨大な規模のままとした根拠がわかりません。

このような問題を解決する世界共通の手段が環境アセスメント=環境アセスです。
諸外国では、このような公共施設の建設に当たっては、その計画段階で情報が公開され、アセスメントが行われ、意思決定過程の透明化が図られます。

しかし、日本では多くの人が懸念を持っていても、なかなかアセスメントの対象とはなりません。

例えば、この巨大な競技場計画でさえ、日本国内ではアセス対象にはならないのです。

なぜ、諸外国ならアセス対象になるのに、日本では駄目なのでしょう。

それはアセス対象を、ほんの一部の巨大事業に限定しているからです。

その結果、日本国内のアセス実施件数は極めて少なく、国の環境影響評価法のもとでは年平均20件にも達しません。

ところが、アメリカの連邦政府のアセス、NEPAアセスでは、年間3万〜5万件もが行われています。

まさに「月とすっぽん」です。

これは、アメリカでは規模が小さくても、環境への影響が懸念される場合は、まず簡単なアセスを行うからです。

詳細なアセスを行うかどうかを決めるため、まず簡単なアセス、すなわち簡易アセスを行います。

これは集団検診のようなもので、その結果、問題がなければ、詳細なアセスに進まなくて済みます。

NEPAアセスでは、99.5%は簡易アセスメントで終わっています。

簡易アセスは通常3〜4ヵ月程度で終了し、費用もあまりかかりません。

アセスメントは事業者と公衆との間のコミュニケーション手段です。

情報公開したうえで公衆の疑問や意見に答え、相互の信頼関係を築くことができます。

だから、アセスはやっかいだという日本の感覚とは随分違います。

ポイントは早期の情報公開と参加です。

英語ではpublic concernsといいます。

これは人々の懸念という意味ですが、これに正面から答えようとするのがアセスメントです。

これが世界標準の考え方ですが、日本のアセスにはこの理念が欠けています。

 

日本でアセス対象を限定してきた背景には、アセスメントは事業推進の障害になるとの考え方がありました。

 

世界のアセスメントの先駆けはアメリカで、NEPAアセスが1970年代初めから始まっています。

当時、日本でも米国に続いてアセスメント導入の検討が始まり、1972年、ストックホルムの国連人間環境会議で日本政府はアセス制度の導入を世界に表明しました。

ところが、翌年の1973年のオイルショック後、状況が大きく変わりました。

                              

電力会社や当時の通産省は、新たな発電源としての原子力発電所の建設の支障になると考え、発電所をアセス対象から外すよう求めました。

また、当時の建設省や運輸省、農林省などの事業所管官庁も消極的になり、アセスは極めて限定的な適用で良いとなってしまいました。

その後、紆余曲折を経て1997年にようやく成立した環境影響評価法でも、一部の巨大事業に限るという考え方は残りました。

 

対象が限定的で早期からの情報公開がないことが、多くの問題を引き起こしています。

アセスメントの考え方、つまり、人々の懸念に答えるというのは本来、周囲の人に気を使うという日本的な態度です。

簡単なチラシを配って説明し、周囲の人の声に答える、こういう感覚で行うのが簡易アセスで、早期の情報公開が信頼を生みます。

事業の意思決定過程の透明化に効果のある簡易アセスを日本にも早急に導入することが求められます。

例えば、新国立競技場計画も、最初の枠組み作りの段階で簡易アセスが行われていれば、風致地区である神宮外苑地区に70mもの巨大な建物を許すという設計条件は設けられなかったでしょう。

人々の常識が反映されたはずです。

2012年にザハ・ハディドさんが当初デザインした新国立競技場の当選案の形は悪くはありません。

でも、それは建てる場所によります。

この巨大さは、神宮外苑地区の環境には合わないことは、そのデザイン図をよく見ればわかります。

神宮外苑地区では、新国立競技場の建設予定地のすぐ近くに位置する絵画館は高さ約30mを上限として制限されてきました。

昨年解体されてしまった旧国立競技場も、このため高さを抑える工夫をしていました。

なんと地下に掘り込んでまで建物の高さを抑えていたのです。

 

高さ70mの見直し前の計画案と、高さ30mの旧国立競技場の比較を簡易アセスしてみれば、明らかに環境影響は無視できないこともわかります。
こういうコミュニケーションを可能にするのが、簡易アセスなのです。

新国立競技場計画も、検討のプロセスが非公開でなく、まず、簡易アセスにより公開の場で行われていれば、あのような迷走はなかったことでしょう。
簡易アセスは、日本を持続可能な社会にしてゆくうえで重要な意味を持ちます。

簡易アセスを導入して、人々の環境影響に関する懸念事項、public concerns、に答えることが普通になる社会に、日本を変えてゆくことが必要です。
簡易アセスメントは、言ってみれば持続可能社会における作法のようなものです。

 

以上、番組の内容をご紹介してきました。

なお、番組内での図による説明部分は変更してお伝えしております。

 

千葉商科大学の原科教授のお話から見えてくるのは、環境アセスをする側である国の意図です。

国際的にも一応環境アセスは導入していると見せながら、実態は事業者側から見て少しでも大規模な建設や開発をスムーズに進めやすくしたいという魂胆です。

 

本来、環境アセスは早期に情報公開したうえで公衆の疑問や意見に答え、相互の信頼関係を築くことにより開発をより効果的に、そしてより効率的に進めることが狙いなのです。

ところが、残念ながら、日本における環境アセスはそうした真の狙いからかけ離れた枠の中で進められているのです。

 

ですから、新国立競技場計画のような問題が起きてしまうのです。

見直し案で発覚した聖火台の設置場所漏れなどはその最たるものと言えます。

更に、原科教授のお話で驚いたのは、1973年のオイルショック後に電力会社や当時の通産省は、新たな発電源としての原子力発電所の建設の支障になると考え、発電所をアセス対象から外すよう求め、結果としてアセスは極めて限定的な適用となったという事実です。

更に、1997年にようやく成立した環境影響評価法でも、一部の巨大事業に限るという考え方を残したということです。

 

もし、環境アセスが国内で本来の狙いに沿って厳格に運用されていれば、原発の建設や大規模開発の進め方も随分違ったかたちになっていたと思われます。

福島第一原発事故も防ぐことが出来ていたかもしれないのです。

あるいは、原発建設そのものが却下され、その代替手段として火力発電所の発電効率の向上や太陽光発電など再生可能エネルギーへのシフトが早期に進んでいたかもしれません。

 

あらためて思うのは、環境アセスは一種の保険のようなものだということです。

確かに、環境アセスの実施にはお金と時間がそれなりにかかります。

しかし、それによってリスク回避の可能性が高まるのです。

今回の新国立競技場計画の問題でも、環境アセスをきちんとしていなかったことにより、結果としてどれだけのお金と時間が無駄になったことでしょう。

 

現状のままでは、今後とも環境アセスの不備により、お金と時間の無駄が繰り返されるはずです。

ですから、今後の持続可能な社会に向けての取り組みのためにも、国には抜本的な環境アセスの見直しをしていただきたいと思います。

 

さて、こうした環境アセスを有効に活用出来るかどうかはアセスをする側の人たちの意識次第なのです。

しかし、残念ながら事業を推進する側の人たちは環境アセスは事業推進の障害になると考え、とうしても積極的に取り組もうという意識が低くなる傾向があります。

そうした時にとても大切なのは、アイデアよもやま話 No.3313公害先進国から環境保護への歩み その1 四日市から始まった公害問題などでもお伝えした事業の結果に影響を受ける一般国民の声なのです。

やはり、一般国民の声は“最後の砦”なのです。

 

大規模開発事業に限らず、どんな事業においても事業を推進する側と事業により影響を受ける側との2つの立場があります。

その双方による適切なコミュニケーションが事業を成功へと導く大きな要因であることを忘れてはならないのです。

その手段が環境アセスであり、一般的なリスクアセスメントであるわけです。

 

ということで、是非日本には早期に環境アセスメントの後進国から先進国へと転換して欲しいと願います。


 
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