遺伝子研究がどんどん進歩している中、ナショナル ジオグラフィック日本版の昨年12月17日(木)の配信記事で「賢い遺伝子」の研究について取り上げていたのでご紹介します。
受精後まもない「胚」の段階で遺伝子操作を行う技術が現実のものとなりつつある中、近い将来、人工的に知能を高めた赤ちゃんを作れるようになる日はもはや夢物語ではないかもしれないといいます。
一部の科学者は「賢い遺伝子」の存在を追い求め、彼らの研究は激しい非難の対象になっています。
最も恐れられるシナリオは2つです。
1つは生物学的な相違による人種差別主義を助長する恐れ、そしてもう1つはいつの日か「天才デザイナー・ベビー」を作り出してしまうのではないかというものです。
だからこそ、今、知能遺伝子研究の倫理性について議論することが早急に求められています。20世紀初頭に行われた知的障害者に対する強制避妊手術など、「過去の過ちを繰り返さないよう、研究に制限をかけ、必要な対策を取るよう考えなければなりません」と、生命倫理学のシンクタンク、米ヘイスティング・センター所長のミルドレッド・ソロモン氏は言います。
昨年12月初めに、同センターはニューヨーク市で数人の研究者や倫理学者を集め、知能研究の将来について意見を交わしました。
また、同じ週には人間の遺伝子操作の倫理性をめぐる国際会議も先んじて開かれ、いずれの場でも、危険な応用に直結する一部の研究は、初めから認められるべきではないとの見解が提示されました。
考えてみれば、私たち人類は科学や技術の発達により、薬を飲んだり手術を受けることにより病気を治したり、整形さえすることが出来ます。
こうした延長線上で、背の高さや太りにくい体質、更には目の大きさや顔の輪郭といった見た目と知能の高さといったことを遺伝子操作で可能にする研究が進められることは当然予測されます。
そこで、特にこうした研究の制限を設けなければ、世界中の富裕層は豊富な資金を使って遺伝子操作により親族内で少しでも賢い子どもを産むことに力を注ぐようになるはずです。
でも、一方で遺伝子操作には想定外の問題が発生するリスクを伴うはずです。
では、倫理的な境界線はどこにあるのでしょうか。
今でさえ世界的に整形手術は認知されていますから、目の大きさなどの見た目の制限を加えなくてもいいのではないかという意見があるかもしれません。
でも、遺伝子操作には整形手術以上に失敗のリスクを伴い、実際に遺伝子操作が失敗して生まれてきた子どもの扱いを考えると、やはり先ほどの遺伝子操作の倫理性をめぐる国際会議でも結論付けられたように、危険な応用に直結する一部の研究は、認められるべきではないと思います。