2016年02月24日
アイデアよもやま話 No.3321 公害先進国から環境保護への歩み その8 今も続く国内の公害被害者の苦悩と将来への展望! 

これまで何度となく、一人一人の意識が変わり、行動を起こすことにより社会を変えることが出来るとお伝えしてきました。

そうした中、ちょっと古いですが、昨年7月18日(土)放送の「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 未来への選択(3) 公害先進国から環境保護へ」の録画を最近ようやく観ました。

そこで、主に番組を通して公害先進国から環境保護への歩みについて8回にわたってご紹介します。

最終回の8回目は、今も続く国内の公害被害者の苦悩と将来への展望についてです。

 

公害対策を進めてきた日本ですが、今も課題を抱えています。

公式確認から50年が経過していた昨年5月、新潟水俣病の慰霊祭が初めて開かれました。

ある水俣病の被害に遭われた方は、壇上で次のようにおっしゃっています。

「水俣病被害者にとって、この50年は1日たりとも体と心が休まる日はありませんでした。」

 

この日、被害者が環境大臣に訴えました。

「自分自身の病気が何だか分からないで、昭和33年(1958年)からずっと具合が悪くて、いろんな病院を掛け持ちして入院して、私自身が水俣病であるってことに気が付いたのは平成19年(2007年)のマスコミ報道で・・・」

 

新潟水俣病は、患者に対する偏見が今も残り、病気だと名乗り出られない人もいます。

社会科学者の宮本 憲一さんは、今も公害の被害があった地域を歩き、調査を続けています。

また、日本の公害体験を各地で語り続けています。

宮本さんは、番組の中で次のようにおっしゃっています。

「やっぱり環境を優先するっていう思想は引っ込めてもらっては困るし、それから今原発の問題だとか、あるいはアスベストなんかみたいな化学物質がストックされているわけで、そういうものの公害問題はまだまだこれから解決しなきゃならない。」

「そういう意味じゃ、やっぱり高度成長時代の教訓を忘れないようにね。」

「それから、やっぱりあの時の教訓をもうちょっと若い世代に伝えていかないとならないと思ってますね。」

 

四日市では今公害の記憶を後世に伝えようとしています。

四日市公害訴訟の先頭に立った、四日市公害認定患者で漁師の野田 之一さんは、番組の中で次のようにおっしゃっています。

「ものすごく悪くなった、それをね、四日市の人が知らんということはね、これはどんでもないことやし。」

「でもね、実際に苦しいの味わってね、苦しいの通り越すとね、「ようし、こんなものに負けてたまるか」っていう気持ちになってね、頑張ってます。」

 

かつて亜硫酸ガスと悪臭に満ちていた磯津の浜、海底の土壌を改良し、汚染物質を抑える努力を重ねてきました。

戦後70年、公害先進国から環境保護へと歩んできた日本、次の世代へどんな自然環境を残せるのでしょうか。

野田さんは、番組の中で次のようにおっしゃっています。

「草、要するに草木だな、それから動物、そして人間だと。」

「この3つの種類が地球を支配している。」

「だから、どの一つ欠いてもいかん。」

「だから、この四日市の公害でも一番始めにやられたのが草、草木、植物ですわな。」

「我々がさ、人間だけ勝って、草木もつぶれる、将来動物もなくなったらね、人間どうやって生きていくの、味気ないもんやろ。」

「だから、三者三様に仲良く生きていくのが私の願いやな。」

「俺の願いはね、人類がこの地球を見捨てて逃げていかんように、永代ね、やっぱり地球で生活して、そして漫画なんかに出てくる豊かな世界になって欲しいな。」

 

ご自身が四日市公害認定患者で、60年近く公害反対運動に取り組まれてきた野田さんの言葉はとてもシンプルで重く感じられます。

 

日本は、1955年から1973年にかけての18年間で年平均10%以上の経済成長を達成しました。

まさに高度経済成長時代です。

そして、私たち国民はまさにその恩恵を受け続けているのです。

ところがその裏で、経済最優先による副作用として公害を日本各地で発生させてしまいました。

その影響で、公害発生から60年近く経った今も公害に悩まされている方々が大勢いらっしゃるのです。

こうした方々にとっては、単なる損害賠償金を受け取るだけでは問題の解決にはなりません。

公害で悩まされた時間、あるいは元気であれば出来るようなことが出来なかったということはお金で取り戻すことは出来ないのです。

しかも、こうした公害被害者の家族の方々も長年にわたって大変な心労を重ねてきているといいます。

 

今年は1967年の公害対策基本法の制定から49年、そして1993年の公害対策基本法に代わっての新たな環境基本法の制定から23年です。

ですが、国内の公害問題はいまだに未解決状態が続いているのです。

この事実を私たち国民一人一人は重く受け止めなければなりません。

 

では、日本は今後どのように公害と向き合っていけばいいのでしょうか。

将来への展望について以下に箇条書きでまとめてみました。

・いまだに日々苦しみながら暮らしている公害病患者の方々への手厚いサポートを継続させること

・大規模開発事業にあたり、環境アセスメント(環境影響評価)を徹底させること

・公害の被害について、写真や動画、あるいは講演会などを通して積極的に海外に状況を知らせること

・海外、中でも途上国の経済成長に際し、日本の公害対策、あるいは環境保護関連の技術支援を積極的に展開すること

・同時に、こうした技術に関連する途上国からの留学生の受け入れを図ること


 
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