昨年11月24日(火)放送の「フランケンシュタインの誘惑」(NHKBSプレミアム)のテーマは「愛と憎しみの錬金術 毒ガス」で科学の持つ二面性について取り上げていました。
そこで、とても重いテーマですが4回にわたってご紹介します。
1回目は世界的な食糧危機を救った天才科学者、フリッツ・ハーバーの“光”の側面について、2回目は“毒ガス開発の父”と呼ばれるようになった天才科学者、フリッツ・ハーバーの“闇”の側面についてご紹介しました。
3回目は、一度開かれた扉を閉じることは出来ないことについてです。
1933年、アドルフ・ヒトラー率いるナチスが政権を取り、ユダヤ人迫害政策が始まりました。
多くのユダヤ人がただユダヤ人であるだけを理由に公職から追放されていきました。
ハーバーが所長を務める研究所にもナチスの手は迫ってきました。
ハーバー自身は退役軍人であることを理由に追放を免除されましたが、研究所内のユダヤ人科学者たち全員を追放するよう命じられました。
ハーバーは自分だけが助かる道は選ばず、自ら辞職を申し出ました。
ハーバー研究の第一人者で歴史学者のマルギット・スツェレシ・ヤンツェ教授は、番組の中で次のようにおっしゃっています。
「アインシュタインがハーバーに言ったことがありました。」
「「君は非常にドイツ人的だ、自分がユダヤ人であることについてよく考えた方がいい」と。」
「ハーバーには自分がユダヤ人であるという意識はありませんでした。」
「しかし、ナチスによって自分がユダヤ人であることを暴力的に思い知らされたのです。」
ハーバーはナチスに宛てた辞職願に次のように抗議の言葉を書き記しています。
「科学者として私はこれまで知性と個人の資質によって共同研究者たちを選んできました。」
「人種を条件としたことは一度もありません。」
「私は誇りを持って祖国ドイツに終生仕えてきましたが、その誇りが今度は辞職することを命じているのです。」
しかし、結局ハーバーの抗議の声も時代の流れを止めることは出来ませんでした。
ハーバーは故郷を離れ、さすらいの身となりました。
そんなハーバーのもとに再会を願うアインシュタインからの手紙が届きました。
でも再会の夢はかないませんでした。
エルサレムに向かう旅の途中で立ち寄ったスイスのバーゼルが終焉の地となりました。
祖国、ドイツへとつながるライン川が目の前を流れていました。
1934年1月29日、かねてから心臓発作を繰り返していたフリッツ・ハーバーはひっそりとその生涯を終えたのです。(享年65歳)
フリッツ・ハーバーが最後に望んだのは、妻、クララと共に眠ることでした。
毒ガス開発に反対し、自ら命を絶った妻と共にハーバーは小さな墓に眠っています。
ハーバーの死から5年後の1939年、第二次世界大戦が勃発、ナチスによるユダヤ人大虐殺、ホロコーストが行われました。
強制収容所でユダヤ人殺害のための毒ガスとして使用されたのはチクロンB、かつてハーバーが開発した害虫駆除薬でした。
殺されたユダヤ人の中にはハーバーの親族や研究仲間も含まれていました。
その後も毒ガスは世界各国で開発され、広がっていきました。
ナチスドイツでは皮膚に触れただけで死に至るタブン、イギリスでは人類が生み出した毒ガスの中で最も毒性が高いVXガスが開発されました。
1988年、イラン・イラク戦争(1980-1988)ではイラク軍が神経ガスなどを使用、毒ガスが開発途上国やテロリストでも簡単に作ることが出来る、言わば“貧者の核兵器”であると実証されました。
1995年にはオウム真理教が東京の地下鉄車内で神経ガス、サリンを使った無差別テロ、地下鉄サリン事件が起きました。
ハーバーが扉を開いた毒ガスの恐怖は今や私たちのすぐそばまで迫っているのです。
ハーバーが初代所長を務めたカイザー・ウィルヘルム物理化学・電気化学研究所は、1953年、その名をフリッツ・ハーバーの名を冠したフリッツ・ハーバー研究所に改称しました。
ハーバーの功績を讃えると共にハーバーが行った毒ガス開発への戒めを忘れないためだといいます。
そして、この研究所は今も化学研究の世界的拠点の一つであり続けています。
今回ご紹介したように、ハーバーの発明した毒ガス兵器はハーバーの死後もどんどん進化し続けております。
そして、ハーバーの死から5年後にはナチスによるユダヤ人大虐殺が行われ、その後イラン・イラク戦争、そしてオウム真理教による地下鉄サリン事件でも毒ガスが使用されたのです。
こうして、毒ガスが多くの死傷者を生み続けてきたのです。
さて、昨年11月13日、IS(イスラム国)によるパリ同時多発テロ事件が起きました。
フランスのパリとサン=ドニにおいて、銃撃戦と爆発が同時多発的に発生し、少なくとも130人が死亡した事件です。
テロ事件は当分収まる気配はありません。
一方で、毒ガスは開発途上国やテロリストでも簡単に作ることが出来る“貧者の核兵器”と言われています。
ですから、いつISなどによるテロで毒ガスが使用されるか分からないのです。
毒ガスによるテロが日常茶飯事に世界各地で起きたら、と想像するだけでゾッとしてきます。
でも一度開かれた扉を閉じることは出来ないのです。
では、こうした状況にならないための対応策はあるでしょうか。
究極的には、以下の2つがあると私は考えます。
1.世界中の人たちが貧困や格差に悩まされることなく、心身ともに豊かな暮らしが出来るような社会の実現
2.世界中の人たちが思想や宗教などの違いを乗り越えてお互いを尊重し合うこと