2016年02月09日
アイデアよもやま話 No.3308 フリッツ・ハーバーにみる科学の二面性 その2 “毒ガス開発の父”と呼ばれる天才科学者!

昨年11月24日(火)放送の「フランケンシュタインの誘惑」(NHKBSプレミアム)のテーマは「愛と憎しみの錬金術 毒ガス」で科学の持つ二面性について取り上げていました。

そこで、とても重いテーマですが4回にわたってご紹介します。

1回目は、世界的な食糧危機を救った天才科学者として、フリッツ・ハーバーの“光”の側面についてご紹介しました。

2回目は、“毒ガス開発の父”と呼ばれるようになった天才科学者として、フリッツ・ハーバーの“闇”の側面についてご紹介します。

 

今からおよそ100年前、1914年に勃発した第一次世界大戦、それは初めて科学力が総動員された戦争でした。

戦闘機、潜水艦、戦車、そして毒ガスなどです。

世界的な食糧危機を救った天才科学者としての名声を得たハーバーですが、“戦争は科学を発展させる”、その言葉通りの人生をハーバーも多くの他の科学者と同様に歩みました。

 

第一次世界大戦が長期化する中で、空中の窒素をアンモニアのかたちで取り出すハーバーの技術が再び注目を集めたのです。

アンモニアから作られる硝酸アンモニウムは優秀な肥料である一方、火薬の原料でもあるのです。

つまり、ハーバー・ボッシュ法は空気があれば火薬をいくらでも生産出来る技術だったのです。

空気からパンを生み出した技術が、今度は空気から火薬を作り出したのです。

フリッツ・ハーバー研究所所長のマルティン・ヴォルフ教授は、番組の中で次のようにおっしゃっています。

「一つの科学技術が平和利用されることもあれば、軍事利用されることもあるのです。」

「根っからの愛国者だったハーバーは自分の発明が軍事利用されることに何のためらいも感じていませんでした。」

 

こうして、愛国心に燃えるハーバーは軍の化学部門長に就任し、戦争に協力したのです。

ハーバーは科学の力が勝利を導くと軍に進言、そして軍はこれまでの通常兵器とは一線を画した新兵器開発の全権をハーバーに与えました。

その兵器こそ戦場に恐怖と混乱、そして死をもたらす悪魔の兵器、毒ガスでした。

 

毒ガス開発に踏み出したハーバーに対し、自らの命を賭けて科学のあり方を問いただした人物がいました。

ハーバーの妻、クララ・イマーヴァールでした。

クララはブレスラウ大学で女性初の博士号を化学で取得していました。

共に化学を愛した夫婦ですが、クララにとっても大切な学問であった化学を兵器開発に使おうとする夫をクララは責めました。

しかし、そんな妻にハーバーは次のように言ったといいます。

「科学者は平和時には世界に属するが、戦争時には祖国に所属する。」

 

ハーバーの毒ガス開発を非難する人物がもう一人いました。

同じユダヤ人であるアインシュタインは、ハーバーに遠慮のない言葉を浴びせました。

「君はその傑出した才能を大量殺戮に使っているんだぞ。」

 

ハーバーは次のように反論しました。

「国家の存亡が科学の力にかかっている総力戦においては科学者もまた一人の戦士だ。」

 

1915年4月22日午後5時、連合国軍兵士はドイツの方角から黄色の煙が立ち昇るのを見ました。

5700トンの塩素ガスが詰まった6000本近いガスボンベが全長24kmにわたって並べられていたのです。

煙は地を這うように広がり、やがて塹壕内に充満しました。

目を真っ赤に充血させ、嘔吐( おうと)し、次々と倒れていく兵士たち、何が起きたのかわかりません。

戦場は恐怖と混乱に陥りました。

これが史上初めて毒ガスによる大規模攻撃が行われたイーペル(ベルギー)の戦いです。

連合国側の中毒者は1万4000人、死者は5000人に及んだといいます。

ドイツ軍の技術士官としてこの毒ガス戦を前線で監督していたのがハーバーです。

軍服に身を包んだこの男こそが“毒ガス開発の父”と呼ばれた天才科学者でした。

ハーバーは次のように語っています。

「毒ガスによって戦争を早く終結出来れば、無数の人命を救うことになる。」

 

毒ガスの威力を初めて世界に知らしめたイーペルでの攻撃から9日後の1915年5月11日、ハーバーが前線から帰宅したその日も、夫婦は毒ガス開発について言い争いました。

ハーバーはやはり妻の言い分に耳を貸しませんでした。

明け方、中庭に2発の銃声が響きました。

最初の1発は試し打ち、2発目でクララは自らの心臓を打ち抜いたのです。

 

ハーバーは、妻、クララの死に向き合うことを避けるかのように増々仕事にのめり込み、次々と新しい毒ガスを開発していきました。

科学の力で祖国に尽くすという信念は変わりませんでした。

そして、ハーバーの指揮のもと、究極の毒ガス、マスタードガスが生み出されました。

軍服を容易に通り抜け、皮膚に触れただけで火傷を負わせる毒ガス、吸い込めば空気1リットル当たりわずか1.5mgで肺がただれ窒息死する猛毒です。

この毒ガスが初めて実戦で使われたのはまたしてイーペルでした。

ガスを詰めた砲弾100万発がさく裂、1万5000人が死傷しました。

対抗して連合国側もマスタードガスを使用、第一次世界大戦は毒ガスの応酬となりました。

ガスマスクでは防げないマスタードガスは現在においても毒ガスの代名詞となっています。

 

ヴォルフ教授は、番組の中で次のようにおっしゃっています。

「マスタードガスは化学戦のために開発された毒ガスで、その殺傷力は甚大でした。」

「ハーバーは自分の能力を化学兵器開発に遺憾なく発揮し、毒ガス戦をエスカレートさせていった最重要人物でした。」

 

人類を食糧危機から救う未来への扉を開いた人物と同じ人物が恐怖への扉も開いたのです。

まさに、アイデアは使い方次第で私たちの暮らしを豊かにしてくれますが、一方で使い方を誤れば私たちの命を奪うばかりでなく、更には人類の存続すら危うくするのです。

 

人類は、産業革命以来たかだか300年足らずの間にテクノロジーの進歩によりとてつもなく豊かな暮らしに向けて邁進してきました。

ところが、一方で人類の存続すら危うくする毒ガスや核兵器も開発してきました。

ですから、私たち人類は常にテクノロジーの持つこうした危うさを自覚して、今後とも新たなテクノロジーの開発に取り組むことが求められるのです。


 
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