2006年01月24日
No.11 『守(しゅ)』『破(は)』『離(り)』のご紹介
『守(しゅ)』『破(は)』『離(り)』とは足利三代将軍義光時代に「能」を完成させた観阿彌・世阿彌親子が、道を極めることを表現した言葉だそうです。
若い方にはあまり馴染みのない言葉かも知れません。
ちょっとおこがましいですが、アイデアとの関連でも非常に深い意味を持っていると思いますので、これについて私なりの解釈を交えて簡単にご紹介いたします。
『守』・『破』・『離』とは指導者から何かを学び始めてから、ひとり立ちしていくまでに人は、『守』・『破』・『離』という三つの段階を踏んでいくことを表現しています。

『守』
第一段階では、指導者の教えを忠実に守ります。
学生であれば、学校の授業をきちんと理解します。
社会人であれば、先輩の教えをやはりきちんと理解して実務を正確にこなします。
この段階は、将来大きく成長するための基礎固めです。
基礎がしっかりしていないと、将来の大きな成長が見込めません。(もちろん、一部の天才といわれる人たちには無用ですが。)

『破』
第二段階では、指導者の教えを守るだけではなく、自分独自に工夫して指導者の教えとは違った方法を試行錯誤してみます。
学生であれば、授業で学んだやり方とは別な方法で回答を模索します。
社会人であれば、先輩からの教えとは別な方法で実務をこなしてみます。この場合、実務に影響を与えるリスクを考慮して、先輩に事前に内容を相談しておいた方がいいです。
実は、この段階で少しづつアイデアが芽生えています。

『離』
第三段階では、指導者の教えから完全に離れて、自分自身のオリジナリティを展開させていきます。
この段階に達した方はどの道を歩もうとも、まさにプロといわれる方だと思います。
この段階では縦横無尽にアイデアが次々と溢れています。

以上、本来の意味を多少こじつけているかも知れませんが、『守』・『破』・『離』のおおよその意味は理解していただけたと思います。
みなさんの中には、なんで自分はこんなことをいつまで続けなければいけないのか、と時には不満や疑問を持つことがあるかも知れません。
でも、自分は将来その道のプロを目指すのだという気持ちを持っている方は是非、そのような時に『守』・『破』・『離』という言葉を思い返していただければと思います。

 
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