「徳川幕府の将軍は目的ごとに伐採していい樹木の種類やどれくらい大きくなれば材木として利用出来るかなど森林資源の利用を細かく規制していました。」
「また、街道には不正に切られた樹木が流通していないかを監視する番所まで設置されていたのです。」
「そのような政府主導による徹底した資源管理により1600年代から200年以上にわたり日本の森林は持続可能な資源として保たれていたのです。」
欲望の拡大を抑え、持続可能な社会を築いていた江戸時代、それはなぜ可能だったのでしょうか。
法政大学で江戸文化を研究する田中 優子教授は400年前に始まる江戸時代と現代社会との価値観の違いにヒントがあると考えています。
田中先生は、番組の中で次のようにおっしゃっています。
「日本橋に本当に象徴的に表れていると思うんですけどね、高速道路が上にあってすごいスピードで絶え間なく車が通っていて、近代から現代の社会は生産性とか効率性とか特にスピード、出来るだけ大量の生産をしようとして争ってきた。」
「それに比べると、江戸時代は日本橋の上も人々は歩いて通って、自分たちの生活を大事にしたスピード感、そういうもので動いていたと思うんですよね。」
江戸の町では、使える資源が限られていたため様々なリサイクルが行われていました。
割れた瀬戸物を直す焼継師、かまどの灰を集めて畑の肥料にする灰買など徹底して資源を再利用する社会が築かれていました。
こうした社会を支えていたのが繁栄だけを求めるのではない価値観だったと田中先生は、番組の中で次のようにおっしゃっています。
「17世紀の江戸時代は森林伐採をちゃんと制限しようとか無駄な出費を止めようとか、そういう考え方が既に浸透してますので、そういう価値観のことを考えますと、例えば”足るを知る”という言葉がありますけどもまさに自分たちの暮らしの中でこれで十分だという気持ちをいつも持っているんですね。」
「無駄なものを削り取った後の非常にすっきりとした清潔感のあるさわやかな生き方、これが”粋”なんですよ。」
「過剰にいろんなものをくっつけるとかそういうことは粋ではなくて、むしろ本当にぎりぎりここまで削るっていう、だけれどもすぅっと立っている、それが粋な生き方であり、それに沿った着物とか歩き方とか話し方とかあるんですね。」
繁栄や成長を求めない方が格好が良いとする江戸特有の美意識が人々の間に広く浸透していたといいます。
右肩上がりの成長を求めて止まない現代社会、それとは違う独特の価値観が江戸の社会を支えていました。
江戸は、当時世界最大の都市だったといいます。
その江戸で既に資源の少ない中で欲望の拡大を抑え、持続可能な社会を築いていたというのはとても驚きです。
江戸はまさに先進的なエコ社会だったのです。
いったい誰がこのようなアイデアを最初に考えたのでしょうか。
とても興味を惹かれるところです。
それはともかく、そのDNAは省エネ家電やエコカー、あるいはリサイクルを意識した商品など、現代のモノ作りにも引き継がれているように思います。
ただ残念ながら、持続可能な社会というトータルな観点から見た総合的な取り組みがされているかという点では疑問が残ります。
もし、”持続可能な社会”の実現に向けて国を挙げて取り組むならば、日本は間違いなく実現出来る可能性を秘めていると私は確信しています。